第29話 市場という戦場と、意図しない包囲
エーヴェルハルト公国――王城、財務室。
「標的は北方王国です」
財務官が淡々と告げた。
「理由は」
宰相が問う。
「ヴェル依存度が高いにもかかわらず、敵対行動を示しているため」
一拍。
「加えて、今回の襲撃未遂にも関与が疑われております」
「……妥当だな」
公王が短く言う。
「軍は使わん」
「はい」
「市場で落とす」
静かな宣言。
だが。
それは戦争だった。
◇
「具体的には」
財務官が資料を広げる。
「アリアベル様の移動を利用します」
「現在、ヴェルは“存在依存型”の流動を示しております」
「姉上の位置に連動する、ということか」
「はい」
「であれば簡単です」
一拍。
「北方王国の主要交易圏から、意図的に外す」
「……可能か」
「可能です」
迷いはない。
「ルートを調整し、商会を誘導すれば」
「資金は自然に流れます」
◇
「同時に」
宰相が続ける。
「ヴェル供給を絞る」
「北方王国向けのみ」
「……干上がるな」
公王が呟く。
「はい」
「数日で市場が機能不全に陥ります」
◇
「では実行する」
公王が告げる。
誰も異論はない。
それが最適解だからだ。
◇
その頃。
「……次はどちらへ行きますの?」
私は地図を見ながら聞いた。
「こちらです」
アルヴェインが即答する。
「南方経由で西へ」
「そうですの」
特に異論はない。
「このルートで問題ありません」
その一言で。
すべてが決まる。
◇
数日後。
北方王国――王都。
「……報告しろ」
王が低く言う。
「は」
財務官が青ざめた顔で答える。
「ヴェルの流通が停止しております」
「主要商会が、すべて取引を中止」
「代替通貨は」
「信用が足りません」
一拍。
「市場が機能しておりません」
沈黙。
「……なぜだ」
「理由は明白です」
宰相が答える。
「アリアベル様が、こちらを通らなかったためです」
それだけだった。
「……それだけで?」
「はい」
「それだけで、すべてが止まりました」
◇
「物資は」
「滞っております」
「価格は」
「暴騰しております」
「……軍は」
「補給に支障が出ております」
詰みだった。
完全に。
◇
「……ふざけるな」
王が拳を叩きつける。
「たった一人の女で、国が揺らぐなど――」
「現実でございます」
宰相が遮る。
「すでに“通貨”ではなく“存在”に依存しております」
逃げ場がない。
「……対処は」
「ございません」
即答だった。
「現時点で可能なのは」
一拍。
「公国に頭を下げることのみです」
沈黙。
それが答えだった。
◇
その頃。
「……この道、綺麗ですわね」
私はのんびりと景色を眺めていた。
特に何もない。
ただの移動。
「はい」
リシェルが嬉しそうに頷く。
「この辺りは交易路としても重要で――」
「姉上」
アルヴェインが静かに言う。
「どうかしましたの?」
「いえ」
首を振る。
「問題ありません」
その表情に、わずかな満足が浮かんでいた。
◇
その日。
一つの国が、静かに膝をついた。
戦争はない。
血も流れない。
ただ。
流れが変わっただけ。
それだけで。
国家は崩れる。
そして。
その中心にいる少女は。
何も知らないまま。
ただ、旅を続けていた。




