第159話 久世守 理緒
その時。 ふと、脳裏に「別の顔」がよぎった。
『お嬢様! またドレスを破いて! 今すぐお直ししますわ!』 小言を言いながらも、いつも私を綺麗にしてくれた、世話焼きなメイド。 『陛下! 大丈夫、俺たちも戦えます!』 泥だらけになりながら、必死に国を守ろうとしている兵士たち。
彼らは、ここにはいない。 この完璧な楽園の外、寒くて残酷な地上で、今も震えながら「リオの帰還」を信じて待っている。 魔法を失って、それでも必死に生きようとしている。
『僕の希望だ! 君を守りたい!』 不器用に剣を振るい、真っ直ぐな瞳で愛を告げてくれた、金髪の王子。 もう一人の私、リオが愛した、エイデンもまた、地上で私の帰りを待っている。
私が、この手を取り、ここに留まったら、彼らは……。
でも、リオではない私は、ここに居たい。だから、今度は私が……人類を、裏切る。
それで、一体何が悪いの?
私の愛も、友情も、大切なものは、みんな、みんな失われてしまった。
この手をとれば、私はそれを再び手に入れることが出来る。
できるのよ!
彼らは、私に全てを押し付けた。
破星の使命に殉じることだけを、期待して。
そして、計画の果てにいた最後の敵は、人間だった。それでも、救うの? 救わなくて、何が悪いの?
人類は、星に管理されるだけで滅亡するわけじゃない。
彼らには、それで十分。
星に逆らう理由なんて、合理的に考えて、まるでないように思えた。
思考がまとまらない。
ちがうそんなことじゃない。なんでもよかった。
私は、目の前に差し出されたアノンの手を、ためらいなく取りたかった。
◆
(ナイン……貴女も心を持ったのね。最初の頃はとんでもない危険人物だと思ったのに、今は普通の少女のように――悩んで悲しんでいるなんて)
「貴女は――久世守理緒。なぜ今さら、お前が。もう、私に溶け込んでいるはずでしょう」
(だとしたら、今のわたしは、貴女の思考の一つということになるのかもね)
「私は……ここに残りたい。私も幸せになりたいよ」
理緒は何も言わない。
「だってそうでしょ、私の心を殺し、世界の全てを押し付けて、最後の最後には、自分の父すらも殺したわ。私に嫌な事を押し付けた人々を、なぜ助けなきゃいけないの?」
(そうね。その点に関しては、全面的に同意する。なんてひどい事するのかって。私のいた世界では考えられない)
「だから、私にも幸せになる権利あるでしょ。ねぇ、リオだって、そう思わない?」
(絶対あるわよ! その手を取ってもいいのよ。でも、本当にそう思っているなら、なぜわたしと、まだ話しているの?)
「……」
(心を持ってしまったあなたは、罪悪感から逃げたいと思っても、それができないのでしょ? 違う? なぜなら、わたしが愛したエイデンや、地上の人々を、あなたもまた深く愛しているから。違うかな、ナイン)
私の足が止まった。 伸ばしかけた手が、空中で凍りつく。
「それは……」
(わたしはあなただもの。そんなこと、最初から、もう全部わかっているのよ)
「父が、わざわざ貴女を私に送り込んできた本当の理由が、それだったわね。本来の私なら星とは戦わないって。でも、今の私は……完全に一緒になってしまったらしい」
(あのクソ親父。ほんと、私のチート返してよ。光の大聖女になりたかった。そうすれば、乙女ゲーと同じで、壮麗な宮殿住まいで、綺麗なお洋服着て、恋愛は無双体質だったのに、何でこんな訳の分からない不気味な星の中で血だらけになってんのよ、わたし。もう、さっさと帰ろうよ)
「フフ……まだ、言ってる……共犯者は緊張感がないわね」
◆
『怯える必要などありません。抗うことすら、もう無意味なのですから。眠りなさい……選ばれし者よ』
星が告げる。 目の前のアノンが、さらに優しく微笑む。「おいで、リオ」と。 その笑顔は完璧だった。完璧すぎて――あの必死な形相とは、程遠かった。血を吐きながら、私を守ってくれた、あの顔とは。
「アノン……彼は、私を「破星」と呼ぶ。軍人だから、固いの。死の間際まで、自分の気持ちを決して漏らさないくらいに」
私の中で、少し面映ゆいような違和感が波紋のように広がってゆく。いつもの私が見れば簡単に気づくようような差異。
こんな作り物に、惹かれるなんて……私は。
この人たちは、アノンじゃない。お父さんじゃない。……私の記憶を映しただけの、綺麗な人形。
彼らは、全てを懸けたのだ。
夢の中で私と遊ぶためじゃない。私を生かし、人類の「未来」を守るために、現実で、その身を燃やし尽
くしたのだ。
「……行けない」
私は呟く。
『なんだって……?』
星の冷徹な声が、一瞬だけ澱んだように聞こえた。
「そっちには、行けない。だって、地上でみんなが待っているもの」
『……地上の人間たちのことですか? 彼らは、我々のシステムに飼い慣らされた家畜に過ぎない。選ばれし者が、気にするようなものではないでしょう』
「私もただの人間よ。そして、貴方をここまで追い詰めた、死んでいった仲間たちもね。」
『ここまで私を手こずらせたことは、認めましょう。……それが、何だと言うのです? 本星は既に、新たなる戦力を派遣している頃でしょう。結果は、何も変わりません』
「やはり、地球に向けて新たな戦力が……」
私の声が低く震えた。ゲーレンの危惧が現実になってしまった。
この戦いの終わりは、独立戦争の始まり。
『そうです。人類は滅亡するのです。貴女が私と融合して助けなければね。今回、多少それが先延ばしされただけのこと』
「ちがう。人類はただ滅亡したりしない! 帰らなきゃ、いますぐにでも」
私は叫んだ。 その声に呼応するように、美しい庭園の景色にヒビが入る。
「私が愛しているのは、思い出の中の死者じゃない! ……今、泥だらけになって必死に生きている、生者よ!」
エイデン。メアリー。シオン。バーン。 不完全で、弱くて、すぐに死んでしまうかもしれない人間たち。それでも彼らは、爆弾を止めてみせた。貴方たちが恐れていたものは、ちゃんとここにある。
「アノンは、私に『生きろ』と言った。父さんは、私に『自分の足で立て』と言った。……ここで眠ることは、彼らへの裏切りよ」
私は幻影たちに背を向けた。もう、振り返らない。過去への未練を断ち切った瞬間、砕かれたままだった私の心が、ようやく一つに繋がった気がした。
”私”は、このやさしすぎる偽りの世界じゃなく、剥き出しの現実を生きたい。
『馬鹿な……。永遠の安らぎと、我々の叡智の一部となる栄誉を捨て、苦痛に満ちたこの世界を選ぶというのか? 理解できない……だから貴様たちは、危険なのだ!』
「ええ。それが、やっと人間となった私の最初で最後の『ワガママ』だから」
パリンッ!!
楽園の幻影はガラスのように砕け散り、剥き出しの現実の戦場が広がる。
美しい庭園も、陽だまりも、幻影の仲間たちも消え失せた。それでいい。私は、仲間の死体が転がるこの血まみれた場所に、自らの意思で、帰ってきたのだから。
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