第155話 守護者の約束
「が、ぁ……っ!」
視界が黒く明滅する。かつて師だったモノの指が、鋼鉄の万力となって喉に食い込み、気道と頸動脈を容赦なく締め上げていく。抵抗しようにも、指一本動かせない。圧倒的な力の差。
『機能、停止まであと5秒……4……』
頭上から降ってくる、無機質なカウントダウン。薄れゆく意識の中で、私は死を受け入れかけた。私の甘い判断ミスが、この結果を招いた――。
「放せぇぇぇぇぇッ!!」
鼓膜を破らんばかりの咆哮とともに、銀色の閃光が奔った。
アノンだ。彼はボロボロの体を限界まで酷使し、捨て身の神速突撃を敢行していた。
一閃。それはこの世界の理を置き去りにする、純粋な剣技の極致――『外流雷の型・刺殺』。
なぜ、旧世界文明を生きた大佐=アノンが銃と共に、あまりにも古風な刀を持つのか。
それは、旧世界の軍人が持つ儀礼用のサーベルではない。
ゲーレン機関の装備には、装飾という概念は存在しない。
全ては実戦、ひとたび銃を撃てば、即座に死につながりかねない、真空中の宇宙を漂う宇宙船内での白兵戦を想定してのことだった。
彼にとって剣とは、銃と同等、いや、たとえ相手の武器が何だとしても、確実に護衛対象を守り抜き、勝つための手段であった。
旧世界最高の剣の使い手、あらゆる装甲をも穿つべく鍛え上げられた日本刀が、寸分の狂いもなく代行者の右肘関節へと突き刺さる。
そこはナノマシンの流動が最も激しい、装甲の「結合部」だった。限界を超えた速度が超振動の衝撃波を生み、神の腕を物理的に強引に弾く。
『障害発生。エラーコード・物理干渉――出力を上方修正』
代行者が冷酷に右腕を引き戻そうとする。だが、アノンは弾き飛ばされなかった。世界最高の護衛としての戦術的判断は瞬時に最適解を導き出す。刀の柄を左手一本で逆手に握り直して固定し、肉薄した超至近距離、文字通りの零距離から右手の大型リボルバーを代行者の顔面に突きつけた。
ドン! ドン! ドン!
至近距離でのマグナム弾の連射。旧文明の遺産である大口径の破壊力が、至近距離で炸裂する。見えない障壁が激しく火花を散らし、空間が歪むほどの物理的衝撃が代行者の視界を肉眼レベルで一瞬だけ遮った。
「おおおおおッ!」
その僅かなブラインドを突き、アノンはさらに深く踏み込んだ。これこそが彼の本領、護衛対象の脅威を排除するためなら、神の領域をも屠る戦闘狂としての獰猛な牙。
『外流雷の型・旋殺』!
突き刺した刀を肉ごと強引に引き抜き、その回転エネルギーを乗せた返す刃で、代行者の首筋を容赦なく狙う。極限まで研ぎ澄まされた白刃が、空間を切り裂き敵の頸部を一刀両断せんとする、息をもつかせぬ最速の二連撃。
だが――世界が凍りついた。
代行者は、その神速の刃を、わずか「二本の指」で挟み込んで止めていた。鋼鉄と鋼鉄が激しく噛み合う、耳を劈く不吉な金属音が響く。刀身に走る、無数の亀裂。アノンがどれほど超人的な剣技を繰り出そうとも、相手は星のシステムそのものに変貌したかつての師なのだ。
『無意味だ、下等生物。戦闘ログの解析を完了。当該個体――の排除を実行する』
代行者は羽虫を払うように左腕を振るった。たったそれだけの動作が、超高圧の質量兵器と化した衝撃波となってアノンを襲う。刀身が粉々に砕け散り、アノンはナノスーツごと胸部を叩き割られ、砲弾のように吹き飛んだ。背後の強固な隔壁に激しく激突し、金属の壁が大きく窪む。
だが、その命を賭した猛攻のおかげで、私を絞めていた万力の拘束は完全に緩んでいた。私は床に落下し、激しく咳き込む。
「ゲホッ、ハァ……! アノン……っ!」
「逃げろ……破星!!」
アノンは大量の血を吐きながら、信じられない執念で再び立ち上がった。
かつて旧世界で私を庇って爆発に巻かれたあの時と同じ、ボロボロの古傷が赤く染まっていく。勝てるわけがない。相手は神の力を宿したゲーレン総帥の肉体だ。アノンの装備も、鍛え上げられた肉体も、とっくに限界を迎えて崩壊しかけている。
それでも彼は、折れた刀の柄を捨て、震える足で私の前に仁王立ちになった。
残された唯一の武器、大型リボルバーを両手でしっかりと構え直す。ガチャリとシリンダーが回転し、マグナム弾が薬室に装填された。
「俺の、最重要護衛対象に……触れるな」
アノンが獣のように吼える。
それは、彼にとっての絶対の法。
代行者が冷酷に右手をかざした。
その掌に、大気中のナノマシンが文字通り凝縮され、眩い高密度の光球が収束していく。旧世界のテクノロジーすら超越した、純粋な熱エネルギーの奔流。回避不能の、絶対的な死の光が溢れ出す。
『障害ごと特異点を排除する』
アノンは何も言わず、絶対の盾として、私との射線上に縫い付けられたように踏みとどまる。
いや、違う。ただの盾になったわけではなかった。
彼は狙っていた。
熱線が放たれる大元の発射口――代行者の掌にある、エネルギーが極限まで圧縮された『収束点』そのものを。動いている相手の小さな目標。
あんな狭い発射口を打ち抜くのは、私でも不可能だ。
それでも、アノンはやるつもりなのだ。どんなに勝算が低くても、私を守るためだけに。
確実な死の光に向かって、彼は自ら正面から突っ込みながら、右手のリボルバーからマグナム弾を発射した。
その刹那。同時だった。
『――消えろ、特異点』
空間を焼き裂き、一筋の熱線が放たれた。
私を庇うように立つアノンごと、後ろにいる私までを一直線に消滅させる、合理的で無慈悲な一撃。
私の動体視力ですら光の残像しか追えない、絶対的な破壊の速度。
(もう、間に合わない――!)
銃弾といえど、絶対の光の速度には及ばない。
マグナム弾が届くより一瞬早く、放たれた熱線がアノンの巨体を容赦なく捉えた。
だが、その直後。放たれたマグナム弾が、熱線の中心を真っ向から突き破り、代行者の掌に直撃する。
その瞬間、極限まで圧縮されていた神の熱エネルギーが、銃弾の物理的破壊によって行き場を失い、代行者の手元で大暴走を起こした。
ズドォォォォォンッ!!
激しい閃光と爆発が空間を呑み込み、途端に、私をも焼き尽くすはずだった熱線の光跡が弱まり、霧散する。
敵の攻撃に身を晒す、その狂気的な相打ちは、神の肉体をも確実に穿っていた。
絶大なエネルギーの逆流を至近距離で浴びた代行者は、右腕から右胸にかけての装甲と肉体を大きく吹き飛ばされ、激しく火花を散らして後方へ倒れ込む。
遅れてやってきた爆風と共に、アノンの肉と骨が焦げたひどい臭気が、背後の私の鼻を衝いた。
(こんな無茶なことをすれば……!)
私の目に、知らずに再び涙があふれてくる。
静寂が、メルトダウンの熱気が残る広い空間を支配した。
代行者は床に転がったままピクリとも動かない。激しい火花を散らしていた銀色の回路模様が、すうっと色を失い、完全に沈黙していた。
「敵が、沈黙した……?」
熱線はアノンの体を貫通する直前で消え去り、その後ろにいた私は無傷だった。
私は、信じられない思いでその光景を見つめた。
神のシステムが、止まっている。
勝ったのか。いや、アノンが、己の命と引き換えにあの化け物を討ち倒したのだ。
「ア……ノン……?」
ドサリ、と。
私を最後まで守り抜いた巨体が、斜めに傾き、ゆっくりと床へ崩れ落ちていく。
赤黒く燃えるその胸の真ん中は、熱線によって無残に抉り取られていた。
「嫌……嫌よ! アノン、しっかりして!」
私は弾かれたように駆け寄り、彼の体を抱きとめた。
攻撃を受けた体は、心臓を完全に焼かれ、本来なら即死しているはずの致命傷。口からは大量の血が溢れ、その瞳は、もう焦点が合っていなかった。
「へっ……やった、か……?」
掠れた声で、アノンが呟く。私は溢れ出る涙を拭うこともできず、激しく首を縦に振った。
「ええ、ええ……! 倒したわ、敵は完全に沈黙した! だからもう、無理をしないで……!」
私の言葉を聞いた瞬間、アノンの口元が、ふっと柔らかく緩んだ。
それは護衛としての冷徹な顔ではない。この上なく満ち足りた最期の笑顔だった。
「約束……守った、ぞ。……お前を、守るって……」
「馬鹿よ! 私なんかより、逃げればよかったじゃない! どうして……!」
私の慟哭に、アノンは愛おしそうに、震える手で私の頬に触れた。
「言っただろ……いつか、結婚するなら……」
「っ……!」
あの舞踏会の夜、バルコニーでの言葉が蘇る。彼は本気だったのだ。ずっと昔、旧世界の時代から、彼はずっと私だけを見ていてくれた。でも、心が無かった私はその思いにずっと気が付けなかった。そして、気が付いた時には……。
「それに……俺は、あいつの……ゲーレンの願いも、守りたかった」
「え……?」
「あいつに……これ以上、罪を背負わせるわけにはいかない……」
アノンの息が途切れ途切れになる。 彼は最後の力を振り絞り、私の耳元で囁いた。
「……お前の、父親だからな。だから、このことは奴が望んでいた……ことだったんだ」
私の思考が停止した。 父親。ゲーレン総帥が? 師であり、宿敵であり、味方だったあの男が?
「あいつは……ずっとお前を……不器用に愛してた……。だから……実の娘を殺させるわけには……いかなかったんだ……だから、奴の事も気にするな」
「嘘よ……そんな……」
脳裏に、総帥との記憶がフラッシュバックする。 厳しかった訓練。チートの削除。突き放すような言葉。 そして最期の瞬間、自分を突き飛ばして守ろうとした姿。
その全てが、「父」という一本の線で繋がった瞬間、私の心は引き裂かれるような激痛に襲われた。
「破星……生きろ……。お前は……俺たちの、希望だ……」
アノンの手が、私の頬から滑り落ちる。
「……愛して、る……」
最期の言葉は、吐息のように消えた。 私の腕の中で、最強の護衛であり、最愛の理解者だった男は、静かに動かなくなった。
「あ、ああ……アノン……!」
私は彼の亡骸を抱きしめ、絶叫した。 残酷な子供達として作られた私の涙は枯れ果てていたはずなのに、魂から血が流れ出るような嗚咽がずっと止まらない。
だが、その最後の別れの時を引き裂き、感情の無い電子音声が響き渡った。
『損傷部分の修復完了。出力低下するも……特異点の排除に支障なし。行動を再開する』
無慈悲な宣告。
床に転がっていたはずの代行者が、激しく銀色の火花を散らしながら、不気味な関節音を立ててゆっくりと立ち上がっていく。吹き飛ばされたはずの右半身は、周囲のナノマシンを強引に吸い上げ、すでに元の精緻な装甲へと復元されていた。
ただの自己修復。神のシステムにとって、アノンの命を賭した一撃すら、数分間で処理できる時間稼ぎに過ぎなかったのだ。
だが、私の瞳から、怯えの色は消えていた。 愛する男を奪われ、実の父を残酷な兵器に変えられた。 その事実は、悲しみを通り越し、私の中に眠っていた最終破壊者「破星」としての本能を、極限まで覚醒させようとしていた。
私は泣くのを止めた。
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