第154話 神の簒奪
不吉な警報音が、響き渡る。それは外部からの音ではない。
ゲーレン総帥の体内――彼を構成するナノマシンそのものが発する、強制起動の共鳴音だった。
「ぐ、あぁぁぁぁっ……!?」
ゲーレン総帥が、突然、糸が切れた人形のように崩れ落ちた。彼が膝をついた床から、赤黒い光の粒子が噴き出し、彼を繭のように包み込んでいく。
「総帥!?」
私はヴァルキリーオメガから出て、彼に駆け寄ろうとするが、総帥は血を吐くような声でそれを制した。
「来るなッ!!」
「え……?」
「星が……システムが、中に入り込んでくる……!動力炉を失った奴が、代わりのプロセッサとして……私の脳と体を……!」
総帥は自身の頭を抱え、苦悶の表情で床に額を打ち付ける。星のシステムは、破壊された動力炉の代用として、その場にある最も高性能で、適合率の高いハードウェア――つまり、最初の接触者であり、半身をナノマシンで強化されたゲーレン総帥を選んだのだ。
「そんな……嘘?やっと、やっと終わったと思ったのに!」
私はいつになく感傷的に叫ぶ。しかし、侵食は加速してゆく。総帥の左腕が、意思に反して勝手に動き出し、私の首を狙うように持ち上がる。彼は右手でそれを強引に押さえつけるが、全身の血管が浮き上がり、限界が近いことは明らかだった。
「くっ……星め。私を予備にするとは」
総帥は歪んだ笑みを浮かべると、懐から自身の拳銃を引き抜こうとする。しかし、指が痙攣して動かない。彼は充血した目で、アノンと私を睨みつけた。
「撃て!!」
「ッ!?」
「私が『私』であるうちに、心臓を撃ち抜け!早くしろ!!」
それは、総帥としての最期の命令だった。自分が怪物と化し、手塩にかけた部下を殺すその前に、人として死なせてくれという懇願。
アノンが即座に反応した。彼は表情を凍らせ、リボルバーを総帥の心臓に向ける。護衛対象を守るためなら、たとえ恩人であろうと引き金を引く。それが彼だ。
「……すまない、ゲーレン」
アノンの指がトリガーにかかる。だが。
「駄目ぇぇぇぇぇッ!!」
ドンッ、と。いつの間にか私は、アノンの体を横から突き飛ばしていた。私はアノンの前に立ち塞がり、両手を広げて銃口を遮った。
「退け破星!奴はもうゲーレンじゃない!殺さなきゃ俺たちが殺される!」
「嫌よ!嫌!!レイラもいなくなって、総帥まで……これ以上、私の前からいなくならないで!」
それは、冷徹な「破星」の判断ではなかった。私自身、痛いほどそれがわかっていた。
(……ああ、そうか。私とこの人は……)
数千年の間、たった一人で人類の未来を背負い、心を殺し、狂気を纏い、孤独に戦い続けてきた男。その生き様は、かつて感情を捨てて戦い続けていた「私」そのものではなかったか。
(似た者同士なんだ……)
だからこそ、彼は、人類の誰よりも傷つき、誰よりも泥をすすってきたのだと、他の誰でもない、私だけには痛いほどよく理解できてしまう。
戦いは、もう終わったはずなのに!
星からの解放を一番望んで、ずっと一人きりで戦ってきたこの男が地球に帰ることなく、こんな場所で孤独に処分されてしまうなんて、そんなこと――そんなことは、私には、どうしても許せなかった。
この割り切れない思いは、あまりに多くの喪失を重ね、精神的に追い詰められた「村娘リオ」の、幼く、弱々しい拒絶。そして、自分と同じ地獄を生き抜いた「師」への、理屈を超えた強烈な同情と祈りだった。
「馬鹿者……!撃てと言っているんだ……!」
総帥が絶叫する。だが、私は首を振るばかりで動けなかった。
これから、皆で新しい世界を作るはずだったのに。
涙でぐしゃぐしゃになった顔で、「一緒に帰るんでしょう!?」と叫び続ける。その甘さが、その優しさが、今は残酷なほどに彼を苦しめているとも知らずに。
◆
(……ああ、そうか。これが『情』というものか)
薄れゆく意識の中で、ゲーレンは悟る。非情になりきれない彼女の弱さが、彼自身が望んだ「人間らしさ」の証であることが、どうしようもなく誇らしく、そして絶望的だった。彼は最期の力を振り絞り、リオへと手を伸ばす。殺すためではない。その涙を拭うために。
「……リ、オ……」
◆
彼の伸ばされた指先が、私の頬に触れようとした、その瞬間。
ブツン。
総帥の瞳から、「光」が消えた。理性の光も、苦悶の色も、最期の慈愛も。全てが消失し、代わりに底のない「虚無」が宿る。
「――接続完了。認証、コード・ゼロ」
彼の口から発せられたのは、彼のものではない、幾重にも重なったような無機質な合成音声だった。私の頬に触れていた手は、瞬時に鋼鉄の万力へと変わり、無造作に私の首を掴み上げた。
「が、ぁ……!?」「総帥……?」
宙に吊るされた私が見たものは、もはや師の顔ではなかった。全身の皮膚が硬質化し、銀色の回路模様が顔面を覆い尽くしている。背中からはナノマシンが結晶化した翼のような放熱板が突き出し、人間という枠を超越した「神の器」がそこに立っていた。
「ほんとうに……あぶないところでした」
かつて師だったモノが、ゴミを見るような機械の目で私を見下ろし、歪んだノイズ混じりの合成音声で嘲笑うように言葉を吐き出した。
「まさか、下等な存在が私の動力炉を完全に叩き潰すとは計算外もいいところです。あやうく、私という神のシステムが完全に消滅されるところでした……この男にバックアップ用のナノマシンを植え付けておいたのは正解だったようです」
ギュ、と首を絞める手に、さらに冷酷な力が込められる。
「ふん。数千年の間、私を欺き続けていたこの裏切り者。皮肉なものです。動力を失い消えゆく我を繋ぎ止めるための、これ以上ない最高性能の依り代が、こうして目の前に転がっていたのだから。コイツの脳と神経をすべて上書きし、寄生することで……かろうじて、私は生き残った。神に逆らい続けたこの男にも、最後の最後で、やっと神に奉仕する素晴らしい機会が与えられました」
星のシステム。その本質は、不変の神などではない。
レイラに心臓を叩き潰された今となっては、他者の命に『寄生』しなければ存在すら維持できない、醜悪で貪欲な情報寄生体に過ぎなかったのだ。
「個体名ゲーレンの意識消去を確認。地球の破壊には失敗か。だが、我をここまで追い詰めた危険な存在――お前たちの排除だけでも、ここで執行することとしよう」
星の代行者。あるいは、ラスボス。
かつて師だったモノは、ゴミを見るような目で弟子を見下ろし、その喉笛を砕くべく冷酷に力を込めた。
読んで頂きありがとうございます。
ブクマや☆での評価・応援、どうかよろしくお願いします。




