第151話 星の真実
世界から魔法が消え去ったその瞬間、二重帝国の片翼たるロキヌス帝国の帝都ガラドに聳え立つ中央大聖堂は、文字通りの阿鼻叫喚に包まれていた。
大気中のナノマシン濃度が急速に低下し、神官たちが権威の象徴として誇っていた魔導障壁や、永続の灯火の魔法が、煙のように掻き消えていく。
「お、おい! 灯りが消えたぞ! 魔石の輝きが戻らん!」
「静粛に! 祈りを捧げるのだ! これは神が天上で邪悪なるものと再び戦っておられるのだ! もっと祈りを……もっと祈りを……」
きらびやかな法衣を纏ったガラド神殿長が、色の消えた祭壇に縋り付いて声を枯らしている。
魔法が消え、不安になった市民たちも、かなりの数が神殿に押し寄せていた。
神官たちは、魔法が使えなくなった理由を、神話にある邪悪なるものが復活し、魔法の神が今戦っているからだと語っていた。
ここには、リオの放送を知る者はいなかった。
だから、魔法が消えた本当の理由など、誰も知らなかったのだ。
「……そして、祈るだけではだめだ、もっと、もっと、お布施を差し出すのだ! さもなければ魔法は永久に失われたままであろう」
リオが帝位を簒奪して皇帝に即位して以降、科学振興が図られ、なおざりにされていた神殿であったが、リオがセレニティに敗れて失脚し、科研の工場群が破壊されて以降、ガラドの人口は減ったものの、神殿への信仰は戻りつつあった。
しかし、その矢先に、肝心の魔法が使えなくなってしまったのだった。
高い適合率を誇った神官たちも、もはや、ただの人になり果てていた。
だから、彼らは必死に信者たちの不安を煽って、なんとか信仰を繋ぎとめようとしていた。
だが、いくら神に祈ろうとも、冷え切った大理石の床に奇跡の光が灯ることは二度となかった。彼らは自分たちの足元――神殿の地下深くで、世界を宇宙の塵へと変える最終清算プロトコル『地球破壊爆弾』のカウントダウンが着々と刻まれていることなど、夢にも知らない。
ただ魔法が使えなくなった異変に怯え、右往左往するだけの哀れな人形に過ぎなかった。
◆
同刻。地球の衛星軌道上、星の内部。中枢動力炉。
レイラが自らの命と引き換えに引き起こしたメルトダウンの爪痕が残る空間で、私の視界に網膜投影された戦術データが、目まぐるしくシグナルを弾き出していた。
私の愛機は、完全に沈黙していた。
レイラの自爆による爆炎と衝撃波から私を守るため、全エネルギーを防御フィールドの展開に回した結果、縮退炉は焼き切れ、駆動系も全損。指一本動かすことすらできない、文字通りの「ただの鉄の棺桶」と化している。生きているのは、かろうじて直結させた通信機と戦術センサーだけだった。
『聖都ルミナス:重力反転確認・パージ成功』
『王国都アルビオン:重力反転確認・パージ成功』
『サパー共和国アイアンポート:重力反転確認・パージ成功』
「……ルミナス、王都、アイアンポートもやったわね。流石だわ」
私は動かない装甲の中で、内心で深く安堵の息を吐いた。だが、網膜の隅で点滅する最後の一箇所――『ロキヌス帝都ガラド』のステータスだけは、依然として不気味な赤色のまま、臨界への秒読みを進めていた。
「三か所はパージ成功したようだな。最後の一か所はどうした、誰もラジオを聞いていないのか?」
ゲーレンもまた、星の端末から、パージを確認したらしい。
「ガラドが今、どうなっているか、私にもわからない。セレニティとの戦いで逃走してからは、行っていないし、そこへはラジオを送っていないから」
私は悔しさに唇を噛む。だが、録音したものを繰り返し放送し続ける。私の声を受け取ってもらうために。
「でも、地下の研究室に誰かいれば、そろそろ何が動きがある筈よ。他の三か所が成功したってことは、電波は確実に中継地点のガラドにも届いているはずなんだから……」
電波が届いているのは確実だ。だが、それを誰かが受信し、行動に移しているか。今の私には分からなかった。
「ガラドの爆弾をパージできれば、我々人類の勝ちだな。我が数千年に渡る計画は完遂される」
ゲーレンはそこで言葉を区切り、自嘲気味に肩をすくめた。
「だが、そこに誰もいない可能性もある」
「最後の最後が運否天賦とは、歯がゆい話だな」
少し離れた場所で腕を組んでいたアノンが、たまらずといった様子で床を踏み鳴らした。その表情には、焦燥が色濃く滲んでいる。
「宇宙にいる我々には手出しできないのだから、仕方がなかろう」
ゲーレンは二人の視線を受け止めるように、ゆっくりと首を振った。
「幸い、時間はまだ少しある。ここで、お前たちに、この星が何なのか、私の知る限りの情報を伝えておこう」
その声は、あまりにも静かで、酷く達観していた。
「星の正体だと?」
怪訝そうに眉をひそめるアノン。
「ああ、お前たちも、この星が惑星改造用のテラフォーミングシステムだとは気づいているだろう」
「ええ」
私は装甲が開いたままのヴァルキリーの中から、ゲーレンの背中を見つめ、言葉を返す。
「では、なぜこのようなものが地球に送り込まれてきたのか。――この星を送り出したのは、銀河の中心にある異星文明だ。銀河中央文明より遣わされし、環境制御ユニット『スター・シード』。それこそが、この星の正体。その目的は、地球文明の科学技術を退化させることと、科学を進化させる知性――『特異点』の回収にあった」
「我々の文明を、退化させる……だと?」
アノンが呆然と呟く。ゲーレンはその動揺を意に介さず、言葉を繋いだ。
「私が星から聞き出した範囲だがね、異星文明は地球文明を恐れていたのだよ。我々の科学力が、いつか強大になることをな。だから、これ以上科学を発展させないよう、進化の頭打ちとして『魔法』というキャップを取り付けた。そして同時に、特異点の回収を目論んでいた」
私は思わず冷ややかに笑った。旧世界の、あの脆弱な宇宙開発の歴史が脳裏をよぎる。
「まだ人類は、太陽系すら出ていないのよ? これだけの超科学を持ちながら、なぜ彼らが私たちを恐れるの?」
星の海を渡る技術すら持たない私たちを、なぜ恐れる。
彼らは、この「星」という超文明システムを、銀河の中心からこの地球がある辺縁まで送り込めるほどの、我々の何十世代も先を行く恐るべき科学力を有しているというのに。
「そうだな。だが、彼らは我々を恐れた」
ゲーレンの目が、鋭く輝く。
「環境に最適化されすぎた文明は、変化を拒む。だが、お前たちは身を以て証明してみせたではないか。追い込まれた我々の科学力が、異星の技術で作られた『星』をも破壊し得るということを。異星文明の懸念が現実になったのだよ。人類の持つ、危機に瀕した際の不連続な進歩速度――それこそが、彼らのシステムにとっても予測不能のバグなのだろうな」
「……確かに。隕石発見以降の地球の科学力の増大には、目を見張るものがあったかもしれないわね」
私はその言葉に、苦い納得を覚えた。
「危機が人類を飛躍させたといってもいい。でも、その後は魔法によって、数千年も停滞させられている。見事な飼い殺し計画ね」
「ゲーレン総帥」
それまで二人のやり取りを黙って聞いていたアノンが、一歩前に踏み出した。
「そもそも『特異点』とは、一体何なんだ? 貴方と破星のどちらかがそれだと言っていたが」
「地球の科学力を、数百年単位で一気に進歩させることができる人物のことだ。異星文明にとっては、自らの文明に脅威をもたらす存在そのもの。蓄積された技術の歴史ではなく、個人の脳内で行われる超飛躍的なブレイクスルー……それ自体が、彼らにとっての『特異点』なのだよ」
「でも、なぜわざわざ、そんな遅れた文明の科学者を回収しようとするのかしら?」
私は壊れた装甲の奥から、冷徹な疑問をぶつける。
「その人物が技術的特異点だとしても、星の海を旅する異星文明の科学力には遠く及ばないはずよ。サンプルとして標本にでもする気?」
「さあな。だが、星は回収を強く望んでいた。候補者である私を手中に収めてはいたものの、もう一人の候補者であるお前も、早期に回収したかったようだ。恐らくは、捕まえてから真贋を見極めれば良いと考えていたのだろう。ただ、私が『どちらが本物か証明する』と言ったため、お前に接触したり刺客を送り込むこと自体には反対しなかった。……そのおかげで、時間稼ぎができたわけだがね」
ゲーレンは平然と言ってのけた。ヴァルキリーの中でなければ、この男に、特大の溜息を吐いてやりたいところだった。
「……なるほどね」
じっと、彼の佇まいを睨みつける。
「聖女だ、神の花嫁だと、何度も勧誘してくる割に、私を殺そうとする。星の意図に統一性がないと思っていたけれど、そういうことだったのね。星と貴方の思惑が、裏で噛み合っていなかった、いや、貴方は自らの計画を実行していた」
「私の最高傑作であるお前が、あの程度で死ぬはずがないと信じていたからな」
ゲーレンは事も無げに笑う。
「だからこそ星から見れば、私がお前を本気で叩き潰そうと行動しているように、完璧に偽装できたのだ」
結果的に、ロキヌス皇帝が私にキマイラを、四使徒がエネルギー源としての魔石を渡したようなものだ。セレニティすら、彼にとっては計画を前に進めるための捨て駒に過ぎなかったということかもしれない。それに、動力炉に直結すればセラフィム・ゼロをいくら強化できるとはいえ、急所である動力室で最終決戦という戦術……疑わしい点は沢山あった。
ゲーレン。本当に目的のためには手段を選ばない人。
旧世界の昔から、この人は何も変わっていない。
「総帥……。サラッと言ってくれるけど、私、本当に死にかけたんだからね。それに、レイラは……」
そこまで言って、言葉が詰まった。メルトダウンの熱気が残る広い空間に、重い沈黙が流れる。アノンも俯き、拳を握りしめている。
「……本音を言えば」
ゲーレンが静かに視線を落とした。
「星に半分取り込まれている時には、お前を排除して私が特異点に、という野心がなかったと言えば嘘になる。だがこれは、裏で星を欺くための一か八かの賭けだ。ほぼ星に敗退している人類が、最後に勝つために針の穴を通すような所業だった。だからこそ……一切の手加減はできなかったのだ」
「逆に言えば、星に『半分しか』取り込まれていなかった……」
アノンが顔を上げ、ゲーレンを見据えた。
「貴方がゼロとなった、あの薬のおかげか」
「大佐、その通りだ。後天的に『残酷な子供達』と同じ特性を付与する薬剤。あれを服用したからこそ、星に取り込ましても、私はある程度正気を保つことができた」
「なるほどな……。しかし、これだけの科学力を誇る星が、そこまであんたらを欲しがるとはな」
アノンが呆れたように息を漏らし、周囲の巨大な構造物を見上げる。
「彼らの高度にシステム化された文明は、すでに均一化し、新たな進化の可能性を失っているのかもしれん」
ゲーレンは、どこか遠い宇宙の彼方に思いを馳せるように目を細めた。
「だからこそ、未開の星から生まれる『不条理な天才』を、自らのリソースとして組み込もうとしたのやもしれんな」
「まったく、気味の悪い話ね」
私は冷淡に言い放つ。
「そうだとすると、宇宙の果てから私目当てに地球にやってきた可能性も否定できないわけじゃない。究極のストーカーだわ」
「そして彼らはやって来て、人類に魔法を与えた」
アノンが、顎に手を当てて思考を整理するように呟く。
「人類の科学力を停滞させるために。……でも、なぜだ? そんな面倒なことをするくらいなら、最初から地球を破壊してしまったほうがずっと簡単だ。実際、今彼らは地球破壊爆弾を起動して、そうしようとしている」
アノンのもっともな疑問に、ゲーレンが静かに天井を仰いだ。
「魔法適性を極限まで引き上げられ、天使や魔族へ造り替えられた人類の末路を知っているか? そう、お前たちが戦っていたあの連中だ。彼らは今も、銀河辺縁の星間戦争へ使い捨ての兵士として投入されている。奴らは脅威を排除すると同時に、人類を合理的に資源化していたのだ。……まあ、特異点を生きたまま『回収』するための時間的猶予も必要だったのだろうがな」
「そんな事だろうと思っていたけど……ちょっと待って」
私は、網膜のデータを凝視した。目の前で腕を組んでいるゲーレンの背中へ、声を叩きつける。
「今、特異点候補の貴方と私は、この星の中にいる。……まさかとは思うけれど、これは星にとって『回収できた』と同義なんじゃないかしら? だから、あっけなく地球を破壊する手に打って出た。用済みだから消去する、というように」
「いや」
ゲーレンは振り返り、こちらへと視線を向けた。
「この星の動力炉はレイラによって破壊されている。魔法が消えたのが何よりの証拠だ。星のシステムは、自分たちが制御不能に陥ったからこそ、最終清算プロトコルを起動した。だから、ガラドさえ何とかできれば、我々の勝利のはずだ」
網膜に表示されているガラドの爆弾のステータスを見つめる。
そこにあるのは、直径わずか数十センチの、不気味に明滅する金属球。
これこそが地球を滅ぼす対消滅爆弾。この小さな球体の中に、大きな山脈一つ分に匹敵する「反物質三千億トン」が、恐ろしい密度で縮退されている。
「総帥。高尚な講釈は結構だけど、よくよく考えてみれば、私たちは異星文明の中枢には、何の手出しもできていないわ」
私は冷徹に現実を突きつける。
「第二、第三の星がやってくるかもしれない。あるいは、入植のための本隊が向かってくる可能性だってある。これではただの時間稼ぎよ」
ゲーレンはしばらく沈黙し、それから重く、静かに言葉を置いた。
「……そうだな。今の我々の戦いは、人類の独立戦争の『始まり』に過ぎないのだろうな。異星文明は既に我々を認識していて、人類に対し明確な悪意を持っている。それは間違いない」
彼はゆっくりと歩き出し、窓から見える、青い地球へと視線を向けた。
「だが、まずはこの戦いに勝たねば明日はない。地球を破壊されてしまえば、全てが終わるのだから」
「そうね。まずは、ガラドよ」
焦燥感が胸を焼く。未だに、パージのシグナルは灯らない。
「……まだできない。総帥、星の端末から爆弾をハッキングできないの?」
私はヴァルキリーの端末で何度も試したが、爆弾への接続は拒絶され続けていた。こんな時に、レイラがいてくれれば……何か方法はあったかもしれないのに。
今更ながら、喪った彼女の存在の大きさを痛感してしまう。
「私の方でもすでに何度も試している」
ゲーレンは虚空を見つめると、首を横に振った。
「システムが完全にスタンドアロンに移行している。物理的に、こちら側の信号を受け付けないのだ」
星の神経系が死に絶えた今、有線も無線も、中枢からの制御コードは完全に遮断されていた。システムを媒介とした遠隔操作は、完全に不可能なのだ。
「全ては、地上の皆にまかせるしかないということね」
「そうだ。我々にできることは、すべてやった。あとは……人間たちの不合理な底力を信じる以外にない」
ゲーレンの横顔には、どこか祈るような色があった。
私は、窓の向こうにある、青い地球を見つめた。
ナインとしての合理性は、生存確率の低さに絶望を告げている。けれど、私のエゴが、私の心を受け入れた村娘の魂が、人間達の奇跡を信じることをやめない。
合理性を越えて、彼らならやってくれると、根拠もなく考えていた。
だが――時は残酷に過ぎてゆく。
ガラドのカウンターは、いっこうに、止まらない。
すでに3つの爆弾がパージされているとしても、ガラドの爆弾一つに搭載された反物質の量だけで、地球文明を終わらせるには十分すぎる破壊エネルギーを秘めていた。
やはり、誰もいないのか。
宮殿地下の、あの研究施設には――。
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