第150話 職人魂
サパー共和国の港町、アイアンポートの空気は、いつも機械油と潮の匂いに満ちていた。
だが、その日の高熱を帯びたざわめきは、これまでのどの進水式よりも、どの新型蒸気機関の火入れ式よりも異質だった。
世界から魔法が消え失せたその時、バーン商会の広大な造船ドックでは、数十人の職人たちが、リオが残していった数台の木箱を囲んで頭を突き合わせていた。
「おい、親方! 今の、間違いなくお嬢の声だったよな!?」
顔を真っ黒に汚した若い鍛冶工が、クリスタル・イヤホンを耳からむしり取り、興奮で声を裏返らせる。
受け取った親方は、太い指で不器用にイヤホンを己の耳へとねじ込み、ノイズの奥から繰り返されるリオの冷徹な「解体マニュアル」に耳を澄ませた。
『……爆弾の右側の装甲板を叩き壊して、中にある赤い結晶体の隣、銀色のスライダーを最大限まで上に引き上げて……』
「ああ、聞こえてるよ。相変わらず無茶苦茶な命令を垂れ流してやがる」
親方はフンと鼻を鳴らし、イヤホンを引き抜いて作業台へ放り出した。その瞳には、恐怖など微塵もない。あるのは、かつて泥と油にまみれたドレス姿の少女に、徹底的に叩き込まれた技術者としての闘志だけだった。
「おい野郎ども! 聞いたか! お嬢の言う通り、その神の爆弾ってやつを設定変更して、宇宙へ叩き返してやりゃあいいんだな!?」
『応よ、親方!』
職人たちが油まみれの工具を掲げて怒号のような歓声を上げる。
「ふん、お嬢の設計した『ノーチラス・ゼロ』の、あの狂った配管に比べりゃ、神様の爆弾なんざ動かねえだけマシな構造だろうよ! あと、閊える、邪魔な神殿の発破も同時にやるぞ! 仕事の時間だ、野郎ども行くぞ!」
鉄工所のクレーン車や、石炭と水だけで不眠不休で動く蒸気トラックが、轟音を立ててドックから出撃していく。荷台には、造船用の分厚い鋼鉄板や、岩盤を穿つための工業用ダイナマイトが山と積まれていた。
目指すは、アイアンポートのセレブな一等地に聳え立つ、白亜の神殿。
普段であれば、高貴な神官たちが適合率を盾に偉そうにふんぞり返っている神聖で優雅な場所だったが、今のそこはただのパニック映画の撮影現場だった。
「お、おい! 魔法が使えん! 門の防衛結界が消えたぞ!」
「神の適合率ゲートが、ただの石の門に……ひえぇ、悪魔の仕業だ!」
神官たちが色の消えた聖堂で右往左往しているところへ、正面の石門を文字通り粉砕しながら、バーン商会の巨大な蒸気トラックが乱入した。
「な、何をするのですか、不浄な職人どもめ! ここは神聖なる至聖所――お前らの様な下々のものが、おいそれと、やって来ていい場所ではないのですよ」
「うるせえ! お嬢の命令だ! お前ら、閊える天井は全部ぶち壊せ!」
トラックから飛び降りた職人たちが、神官たちの制止を完全に無視して、神殿を支える大柱や梁に手際よく爆薬を括り付けていく。
かつて、お嬢様ステルスとかいう訳の分からない理屈でツインテールにフリフリのドレスを着込み、その上から革エプロンを締めて巨大モンキーレンチを振り回していたリオ。彼女に「1ミリでも図面からズレたら圧搾肉の塊よ!」と怒鳴られ続けた職人たちにとって、神殿の解体など、ただの簡単なスクラップ作業に過ぎなかった。
「構造力学に基づきゃあ、この要石をブチ抜けば、一発でドームは自重で崩落する! お嬢の講義を思い出しな! ――点火ッ!」
導火線に火が放たれ、中庭で凄まじい物理の爆音が一斉に炸裂した。
ズズゥゥン! と大気を激しく震わせる重低音。
純粋な火薬の化学反応が、凄まじいの効率でその破壊力を解放する。神殿の大ドームは、職人たちの計算通りに内側へと美しく崩落し、青白い空を遮っていた天井が一瞬にして取り除かれた。
「地上は空いたぞ! 地下室へ突入だ!」
巨大なスパナや大槌を担いだ職人たちが、埃を吸い込みながら地下への大階段へと雪崩れ込む。
通路でへっぴり腰で杖を構える神官たちなど、最初から魔法をアテにしていない職人たちの肉体的な体格の前には、ただの障害物ですらなかった。巨大なボルトを締め上げるための腕力で、神官たちは次々と文字通り引き剥がされ、道が開けられていく。
そして、一行は最奥の円形状に広がる爆弾の設置場所へと到達した。
室中央の台座で明滅する、わずか数十センチの金属球。この中に山脈一つ分に匹敵する「反物質三千億トン」が超高密度に縮退されているという質量兵器。
「お嬢の言う通り、まず、右側の装甲をブッ叩け!」
親方の怒号に応え、屈強な職人が特大のハンマーを振り下ろした。
ガキン! と激しい金属音が響き、変形した装甲板が強引にへし折られる。剥き出しになった制御基盤の奥、禍々しく輝く赤い結晶体の隣に、リオが告げた通りの「銀色のスライダー」が固定されていた。
「これだな! よし、設定変更だ!」
親方は渾身の腕力を込め、レバーを一気に、最上部へと引き上げた。
「重力の枷を外して――負の質量を、無限大へ!」
スライダーが限界に達した瞬間、爆弾の内部から空間を震わせるような高周波音が響き渡る。
地球の引力を完全に拒絶した爆弾は、凄まじい速度で「真上」へと逆落下を開始した。
金属球は、地上での盛大な爆破解体によって綺麗に天井の消え去った神殿の残骸を突き抜け、白銀の流星となって、アイアンポートの青空へと向かって超高速で上昇していく。
それは、神が仕掛けた絶対の秩序を、ただの物理の書き換えでひっくり返した、職人たちの執念の結晶だった。アイアンポート地下の対消滅爆弾は、完全にパージされたのだ。
「ふん。やっぱり、お嬢のスクラップ潜水艇よりは、よっぽどマシな構造だったな。ちゃんと素直に動くじゃねえか」
吹き抜けとなった神殿の底から、大気圏の彼方へと消えていく白銀の光を見上げ、親方は満足げに笑って煙草に火をつけた。
ナブラ王都、聖都ルミナス、そしてここアイアンポート。世界を滅ぼすはずだった神の鉄槌が、人間たちの泥臭い行動によって、次々と宇宙へと叩き返されていく。
地球破壊爆弾の爆発まで、残り一時間半。
世界の命運を繋ぐ白銀の槍は、ついに最後の地、ロキヌス帝都ガラドの空へと引き継がれる。
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