第147話 最後の手順
世界から「奇跡」が消えた。
星が沈黙し、魔導師たちが誇っていた指先の火花が潰える。
聖都ルミナスから降り注いでいた指向性エネルギー波が止まったことで、大気中のナノマシンはただの塵へと成り下がった。
かつて誰もが「神の加護」と信じて疑わなかった力は消え去り、そこにはただ、冷たい風と物理法則だけが支配する荒野が広がっていた。
空を埋め尽くしていた天使たちは揚力を失い、次々と地上に落下してただの肉塊となり、魔族も今や理性を欠いた獣の群れへと退化した。
帝国軍残党と戦っていた狂信者の群れは、拠り所としていた神の加護を失い、ただの困惑する人間の集団へと変貌し戦意を失って戦闘が停止し、奇妙な静けさが辺りを覆った。
「……この状況、上で何かあったな」
リオとセレニティの最終決戦が行われた神殿の瓦礫の中で、エイデンは手にした剣を杖代わりに立ち上がった。
魔法が消えた戦場。
それは、魔法適性の低さを理由に虐げられてきた者たちが、初めて「物理法則」という平等な天秤の上に立たされた瞬間でもあった。
リオが星と戦う為に天へと去った後、聖都ルミナス神殿跡で残存する敵と戦い続けていたエイデンやシオンたちは、世界を満たしていた「魔力」が消えたことを敏感に感じ取っていた。
「魔法が完全に消えた。空にあるあの星で、陛下が何かを成し遂げられたに違いあるまい」
軍服を血に染めたモルトケが空を見上げる。
「陛下から賜ったこの箱を聞いてみましょう。科研でも研究していた無線というやつです。魔法が消失したこの状況、つまり、陛下が神に勝利したということ。何か直接ご命令があるかもしれません」
シオンは、かつてリオがばら撒いたガラクタを、瓦礫の上に設置すると、適当な銅線で長いアンテナを張り、地面にアースをする。
「あ、それ、聖女様が僕の商会で作ったやつじゃないですか。見えない波を捉える機械――」
バーンが駆け寄る。
ガガッ……ピー……ザザッ……。
魔法という強烈な電磁波干渉が消えたクリアな空の下。動力を持たず、ただの石と針で波を拾うだけの受信機が、その真価を発揮し始めていた。
『……聞こえる……? みんな、聞こえる……?』
「この声は……陛下! フフ、やはり貴女は生きていた。遂に、遂に神を屠ったのですね」
シオンが恍惚とした表情で叫ぶ。
イヤホンから聞こえるのは、ノイズ混じりではあるが、それは間違いなく宇宙へと旅立った少女の声だった。
その響きには、かつての「聖女」としての神々しさも、「皇帝」としての威圧感もない。
冷徹な知性と、感情が混ざり合った「人間」としての意志がそこにあった。
『私はリオ。……これから、この世界を救うための「最後の手順」を伝えるわ』
◆
ルミナスの神殿、王都の屋敷、アイアンポートの造船所。
いたる所で、その小さな木箱に接続されたイヤホンから流れ出る「声」に耳をすませた。
『いい、もう魔法は使えない。私たちの力で、星から未来を取り戻すための、最後の人間の戦いを始めるわ。よく聞いて。……今、聖都ルミナス、ナブラ王都のアルビオン、サパー共和国のアイアンポート、そしてロキヌス帝都ガラドの神殿地下に、世界を滅ぼす対消滅爆弾が仕掛けられている』
「対消滅……爆弾?」
聞き慣れない言葉に、シオンは眉をひそめる。
だが、リオの声は容赦なく続けられた。
『理屈は後。それは「神の奇跡」じゃなく、ただの「物理装置」よ。放っておけば、三時間後に爆発する。四つのうち、たった一つでも爆発すれば、全てが誘爆して地球は粉々になる。止める方法は、神への祈りじゃない。……物理的にどうにかするしかないわ』
「物理的?」
『爆弾は、強力な磁気で反物質を封じ込めている。しかも、恐ろしいほど圧縮した反物質をね。ボールほどのサイズに反物質3000億トン。それでも神殿が潰れないのは、システムが重力相殺を行っているから。なら、その設定値をオーバーフローさせる。重力の枷を外して、「負の質量」を無限大に振り切るのよ。……死神を、宇宙へ追い返すの』
◆
ゲーレンが、半身を使って星から吸い上げた情報から、この反物質爆弾の概要は判明していた。
縮退された反物質が詰め込まれた爆弾。一つ当たり、大きな山脈にも匹敵する反物質3000億トン程度が高密度に縮退され、僅か数十センチのボール程度の大きさになっている小型の爆弾だ。
しかし、そのような縮退物質が神殿地下にあるにもかかわらず、神殿は倒れず、人が超重力で地面に吸い付けられることもない。反物質の重さは正である以上。考えられる可能性は一つ。何らかの方法で重力を制御して、縮退反物質の重さ、負の質量で軽くしているのだ。
だとすれば、その負の質量を限界まで高めれば、爆弾は急速に地球を離脱し宇宙へと飛んでいくはず。
それが、リオやゲーレンが、到達した結論だった。
そのためには、敵の防御を突破して、爆弾のパラーメータの設定を直接書き換えるしかない。魔法という、ナノマシンのネットワークが消失した今、その場所で物理的に操作するしか、他に方法はなかった。
◆
リオの声は、そこから極めて具体的、かつ非情な「マニュアル」へと移行した。反重力制御のパラメータを強引に書き換えるために。
『解体なんて考えちゃだめ、下手に動かした瞬間に爆発する。……爆弾の右側の装甲板を叩き壊して、中にある赤い結晶体の隣、銀色のスライダーを最大限まで上に引き上げて……』
シオンは一言も逃さないように、リオの声を聴き続けた。
『そうすれば、爆弾内の反重力係数は限界まで引き上げられるはず。地球の引力を拒絶し、文字通り「負の質量」となって、勝手に飛んでいくわ。……神殿が閊えて邪魔なら、自分たちの手で今すぐ叩き壊しなさい! もう、神は死んだのだから無用の長物よ』
「聞け、皆の者。この神殿の地下に神の爆弾が仕掛けられているという。我々は、陛下の命により、これから地下に突入して、敵を排除しつつ、この爆弾を無力化する」
シオンが全軍に檄を飛ばした。
「神の爆弾だって? 彼女は無事なのか? 一体、何を伝えてきたんだ?」
エイデンが尋ねる。
「この世界はあと3時間後に破壊されてしまう。生き延びたくば、直ぐに神殿地下へ行って、その爆弾をどうにかするしかない。陛下のご命令が下ったのだ」
そういうと、シオンはイヤホンをエイデンの耳に突っ込んだ。
そこからは、同じことを繰り返して何度も、リオの声が響き渡っていた。
◆
同じころ、ナブラ王都。
「お父様、これ! リオの声ですわ!」
ラナが叫び、父であるサンジェルマン公爵にラジオを差し出した。
公爵は、空から降ってくる「天使」の残骸を一瞥し、鼻を鳴らした。
「あの娘……天上へ行ってなお、この儂を使い走りにするか。だが、絶望して膝を突くよりはマシだ。物理的に止めてみせよう。ラナ、聞こえたな。我々も、神殿へ突入するぞ! 王立騎士団も、街の住人も、王族も全員動員して神殿を爆破解体しろ! 大聖女から神託だとでも言え。科研の倉庫からありったけの爆薬をもってこい。我がサンジェルマン家の家訓は「長いものには巻かれろ。特に、自分の娘には」じゃ!」
◆
サパー共和国、アイアンポート。
「おい、親方! なんか、お嬢の声がするぞ!」
潜水艇『ノーチラス・ゼロ』を組み上げた職人たちが、造船所で、リオが残していったラジオを聞き耽っていた。
ゲーレン砲による星表面の巨大爆発と極地でもないのに発生したオーロラ。そして、その後に魔法が一切使えなくなった異変から、アイアンポートの人々も、あの風変りな少女が遺していった、このへんてこりんな機械が、今こそ何かを語るのではないかと、固唾をのんで聞いていたのだった。
「ああ、聞こえてるよ。相変わらず無茶苦茶な命令を垂れ流してやがる。おい野郎ども! 聞いたか! お嬢の言う通り、爆弾の設定を変えちまえばいいんだな。……ふん、お嬢の潜水艇よりはマシな構造だろうよ! あと神殿の発破もするぞ! 仕事の時間だ!野郎ども行くぞ」
◆
ふたたび、ルミナス神殿。
「……兄上。やるのですか。本当に、神殿を破壊してまで」
洗脳が解けたセラスの問いに、エイデンは剣を杖に、不敵に笑った。
「わざわざ空の果てから指示をくれているんだ。……神の機嫌を伺うより、僕は最愛の彼女の言葉を最後まで信じるさ」
エイデンは剣を抜き放ち、地下へと続く大階段を指し示した。
「全軍に告ぐ! 魔法の時代は終わった! これからは『科学』の時間だ! 目標、爆弾の心臓部! 未来を勝ち取るぞ!」
シオンとエイデンが、神殿地下へ向けて駆け出してゆく。
皆が希望を繋ぎ、泥と油にまみれながら死に物狂いで走り出す。
だが、その歓喜と焦燥が入り混じる喧騒の中で、バーンだけは氷のように立ち尽くしていた。
彼の顔から、さっと血の気が引いていく。
彼は今、イヤホンを耳に入れて、リオの放送を聞いていた。
頭の中で、リオが告げた爆弾の設置場所が、呪いのようにリフレインしていた。
聖都ルミナス。
王都アルビオン。
アイアンポート。
そして――ロキヌスの帝都、ガラド。
(……待ってくれ。ガラドだって?)
この土壇場で、バーンの脳内に極めて論理的で、そして絶望的な事実がパズルのように組み合わさってしまった。
鉱石ラジオを梱包して送ったのは、商会を統括する彼自身だった。
リオを支持する帝国軍残党には、確かに送った。だからシオンが持っている。
王国のサンジェルマン公爵やラナ様にもいくつか送ったし、生産地であるアイアンポートでは、大量のラジオを配った。
でも、帝都ガラドには、自分がラジオを送った記憶が、ない。
セレニティとの初戦で、ガラドの科研本部や工場地帯は衛星軌道からの偏光砲によって完全に消滅した。
あんな空からの攻撃で突然消える街に住みたい人間などいるはずがない。シオンなどの知り合いは、皆逃亡者となっていた。だから、ガラドへラジオを送っていなかったのだ。
しかし、ガラドの神殿地下にも爆弾は仕掛けられていると、リオは言った。
今、このリオの放送を誰も聞いていない可能性が最も高いのは、他でもないガラドだ。
その事実に行き着いた瞬間、バーンの胃の腑が恐ろしいほどに冷え切った。
(四カ所のうち、一つでも爆発すれば、対消滅の連鎖で地球が粉々になるって、聖女様は言った……! だとすれば、ガラドの爆弾は一体どうやって止める!? もし、誰も聞いていなかったとしたら……!)
「どうしたんですか、バーン?」
皆が神殿を破壊し、そして地下へ行く中で、固まってしまったかのように、青ざめ、ガタガタと震え始めたバーンの元に、メアリーが駆け寄ってきた。
「メ、メアリー……! ちょっと、帝都ガラドの事を考えていたんだ。もし、ガラドで聖女様の声を聴いて、立ち上がる人が一人もいなかったら……爆弾は、爆発してしまうんじゃないかって……!」
「だったら、私達が行って、止めれば……!」
「でも、たったの三時間しか時間がないんだ! ガラドまでは、早馬を飛ばしても数日はかかってしまう!」
バーンは両手で頭を抱え、悲鳴のような声で叫んだ。
「魔法も使えない! たった三時間じゃ、どんなに足掻いても絶対に間に合わないんだ……!」
魔法という「依存」を奪われた人類が、自らの指先で、未知の科学装置に挑む。
ルミナスや王都で人々がどれほど奮闘しようとも、何も知らないガラドでカウントダウンが進めば、地球は宇宙の塵となる。
全ての爆弾を止めるには、あまりにも絶望的な時間と距離の壁が立ちはだかっていた。
「そんな……」
メアリーは茫然と呟き、絶句した。
リオたちの命を懸けた戦いが無に帰す。その恐ろしい事実に、彼女の瞳が揺れる。
時間と空間という、越えられない物理の壁。
静かに進む臨界へのカウントダウン。
「……バーン。泣くのは早いですわ。あの星で、お嬢様はまだ、この世界を救う為に戦っておられます。そして、このことは私達ならできると信じて託してくれたのだもの、きっと何か方法があるはずよ。お嬢様ならどうされるか、私達も考えましょう。お嬢様が帰る家を守るのは、家臣やメイドの務めですわ」
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