閑話 深淵なる計画
――それは、運命の日より十数年前。
極北の地下要塞、ゲーレン機関の最深部にある戦略会議室。
部屋の照明は落とされ、中央のメインモニターだけが青白く輝いていた。そこに映し出されているのは、太陽系外から飛来した未確認恒星間天体『オウムアムア2』の膨大な観測データと、近年急増している深刻な「汚染報告」の数々だった。
「……報告しろ」
ゲーレン総帥の低く重い声に、主任科学者が脂汗を拭いながら立ち上がった。
「は、はい。……まず、目標天体『オウムアムア2』の軌道解析についてです。木星軌道を通過した際、対象に明確な非重力加速度が観測されました。主流派の天体物理学者たちは、これを太陽風による輻射圧か、あるいは氷の昇華に伴うアウトガス効果だと結論付けています」
「だが、お前は違うと言うのだな」
「はい。アウトガスによる加速にしては、ベクトル制御が『最適化』されすぎています。まるで、意図的に地球への衝突コース、あるいは静止軌道への投入コースへ乗るための『軌道修正』であるかのように……。それに加え、近年世界中で同時多発的に発生している『隕石崇拝者』の暴動。彼らの脳波を測定した結果、全員の扁桃体から、自然発生ではあり得ない『奇妙な同期パターン』が検出されたのです」
主任科学者は、モニターの画面を切り替えた。
隕石の重力波データと、カルト信者の脳波データが重ね合わされる。
「この二つの波形は、完全に同期しています。私の仮説ですが……あの天体から、極めて微弱な、しかし量子レベルで『人類の脳神経』を直接書き換える『精神干渉波』が放出されている可能性があります。それが人間の持つ不安や恐怖といった感情をフックにして深層心理をハッキングし、狂気へと駆り立てているのではないかと」
その報告が終わるか終わらないかのうちに、円卓を囲む他の幹部たちから激しいヤジと嘲笑が飛んだ。
「馬鹿馬鹿しい! オプティカルセンサーや電波望遠鏡によるスペクトル解析の結果を見ろ! あれはただの珪酸塩と鉄で構成された『巨大な岩石』だぞ! 熱源もなければ、人工的な電波の放出も一切確認されていない!」
「そうだ! ありふれた『巨大なS型小惑星』にすぎん!」
「異星人の宇宙船がテレパシーで地球人を操っているとでも言いたいのか? 三流のSF映画の観すぎだ! 我々ゲーレン機関は、人類の存亡を賭けた物理的破壊計画を進めているのだ。オカルトまがいの異端説で会議の時間を無駄にするな!」
白衣を着た別の重鎮が、呆れたように机を叩く。
事実、世界の科学界におけるコンセンサスは「極めて運悪く地球に直撃する軌道を持った、ただの恒星間隕石」であった。異星文明の産物などという説は、陰謀論者か一部の狂った学者が唱える妄言に過ぎない。
だが。
「……黙れ」
ゲーレンの一喝で、会議室は水を打ったように静まり返った。
彼は冷ややかな視線で、主流派の幹部たちを睨みつけた。
「相手がただの岩石だろうが、高度な自己増殖型探査機だろうが、そんな学術的真理はどうでもいい。問題は『万が一』だ」
ゲーレンは、机の上で両手を組んだ。
「もし主任の言う通り、あの星が未知のテクノロジーによってカモフラージュされた人工物であり、特定の波長で我々の脳に干渉してきているのだとしたら。……破壊計画の実行部隊である我々の機関員までもが精神汚染され、土壇場で発射ボタンを破壊する恐れがある。それは、我々が直面する最も致命的なリスクだ。……違うか?」
幹部たちは押し黙った。
科学的な確率が0.1パーセントであろうと、それが人類滅亡に直結するリスクであるならば、指揮官はそれに備えなければならない。ゲーレンの異常なまでの危機管理能力が、彼を計画遂行の頂点に立たせていた。
「主任、仮にその『干渉波』が存在するとして、対策は?」
「……はい。干渉波が『人類特有の脳構造』や『感情』をターゲットにして侵入するシステムであるならば、方法は三つあります。まず一つ目が……遺伝子レベルでの『非人間化(脱・人類)』です」
主任科学者は、ある遺伝情報とカプセル型の培養槽の画像を表示した。
「『デウス計画』。現在開発中の残酷な子供達……特に、次期候補である九番『ナイン』には、受精卵の段階でこの処置を徹底的に施します。生体構造を根本から書き換え、生物学的に『人間ではないもの』へと変異させる。これにより干渉波のターゲットから完全に外れる。彼女こそが、どれほど強烈な精神汚染下であってもエラーを起こさず、冷徹に作戦を遂行できる最強の『兵器』となるでしょう」
「……よかろう。元々彼女は、計画の要だ。直ちに進めろ。次だ」
「二つ目は、そのナンバーズに対する『極限のサバイバル訓練』です。いつ、どこで、誰が汚染され隕石崇拝者と化し襲ってくるか分かりません。どれほど優秀な護衛要員をつけても、彼ら自身が発狂し背中から撃ってくるリスクがある。護衛要員がそうならない保証など、どこにもないのです。ゆえに、彼女たち自身が素手と銃器のみで生き残るための、確実な生存能力を叩き込みます」
ゲーレンは静かに頷いた。最も信頼できる部下でさえ、明日には神を讃える狂人に変わるかもしれない。ならば、単独で殺戮を遂行できる戦闘機械に仕立て上げるしかない。
「妥当だ。私自ら、東洋の古武術や白兵戦術のすべてを彼女に叩き込んでやる。……それで、最後は何だ?」
「機関内のセキュリティの強化……いえ、『強制執行手段』の確立です」
主任科学者は、青ざめた顔で恐る恐る提案した。
「いくら対策をしても、既存の職員が汚染される可能性は排除できません。もし要塞内部で裏切り者が出れば、破壊計画は根底から瓦解します。……ですので、全機関員に対して、物理的な安全装置を設けることを推奨します」
ゲーレンは、即座にその意味を理解し、決断した。
「全機関員、及び要塞乗組員の頭部に、遠隔操作式の『極小爆弾』を埋め込め。名目は感染症予防のナノワクチンとでもしておけ」
「なっ……!? 総帥、味方の脳に爆弾を埋め込むというのですか!?」
幹部の一人が立ち上がり、悲鳴のような声を上げた。だが、ゲーレンの冷酷な双眸に見据えられ、声は尻すぼみに消えた。
「仮に、隕石が異星文明によって送り出された人工物なのだとしたら、汚染された者は、もはや人間ではない。敵の『端末』だ。即座に処分できなければ、残った正常な人間まで殺され、作戦は失敗する。これは裏切りへの罰ではない。パンデミックを防ぎ、確実に隕石を破壊するための『防疫』だ」
反論しようとした幹部たちも、ゲーレンの鬼気迫る表情に口を閉ざした。
彼は、計画を成功させるためなら、文字通り悪魔に魂を売る覚悟なのだ。
「……それで。その非人間化の処置とやらは、子供ではなく、我々のような、既に成長しきった大人には施せないのか?」
ゲーレンの問いに、主任科学者はビクリと肩を震わせた。
彼は白衣のポケットから、厳重にロックされた小さなガラスの薬瓶を取り出し、震える手で机の上に置いた。
「後天的に脳神経と生体構造を書き換え、強制的に『人間ではないもの』へと作り変えるナノマシン薬剤の試作品です。……ですが、これは劇薬すぎます。脳の可塑性が失われ、すでに完成された大人の肉体を非人間化すれば、強烈な拒絶反応を引き起こし、脳幹からの出血で死に至ります。動物実験での致死率は九十九・八パーセント……」
ゲーレンは、机の上に置かれた薬瓶を手に取った。
透明なカプセルの中で、銀色の粉末が鈍く光っている。
「総帥……?」
「指揮系統のトップである私が汚染されれば、爆弾のスイッチも、ナインの指揮権も、すべて星に明け渡すことになる。それは、いかなる確率論においても許容できない」
「ま、待ってください! それを飲めば確実に死にます! もし、あなたがいなくなれば――」
「私が死ねば、私はこの計画において不要なパーツだったということだ。すぐに副総帥を昇格させろ」
言うが早いか、ゲーレンはカプセルを水も無しに飲み込んだ。
科学者が制止する間もなく、薬はゲーレンの食道を通り、胃壁で溶解し、即座に血流に乗って脳髄へと到達した。
「――グッ、アァァァァァァァァッ!!」
突如、ゲーレンは喉を掻き毟り、椅子から転げ落ちた。
人間のDNAを強制的に書き換えるナノマシンの暴走。全身の血管が異様に隆起し、眼球の毛細血管が破裂して白目が真っ赤に染まる。鼻、耳、そして目から、どす黒い血が止めどなく溢れ出した。
「総帥!! 医療班! 早く解毒剤を!」
幹部たちがパニックに陥り、科学者が叫ぶ。
だが、血の海でのたうち回っていたゲーレンは、自らの血で滑る床を掴み、ゆっくりと、機械仕掛けの人形のように立ち上がった。
「……不要だ。静かにしろ」
その声は。
先ほどまでの彼とは決定的に違う、絶対零度の冷たさを帯びていた。
顔面を血塗れにしたまま、ゲーレンはピタリと痙攣を止めた。その赤く染まった瞳の奥から、「恐怖」も、「焦燥」も、「絶望」も、人間らしい感情のすべてが消え去っているようにも見えた。
致死の拒絶反応を、作戦遂行という狂気じみた精神力と論理だけでねじ伏せ、彼は自らの種族を「人類」から外したのだ。
ゲーレンは、ハンカチで顔の血を無造作に拭うと、再び総帥の椅子へと腰を下ろした。視界がクリアだ。不安も恐怖もない。あるのは、目的を遂行するための純粋な論理演算だけ。
「今日より、私のことを『零番』とでも呼ぶがいい。……さて、会議を続けるぞ」
息を呑む幹部たちを見据え、ゲーレン――否、ナンバー・ゼロは淡々と告げた。
「……でも、総帥」
別の幹部が、おずおずと手を挙げた。
「そこまでしても……もし、主任の言う『異端の仮説』が真実であり、あの隕石が我々の想定を遥かに超える神のごとき存在で、『|物理的破壊』そのものが通用しなかった場合は……人類は一体、どうなるのですか?」
その問いに、部屋の空気が凍りついた。
どれだけ完璧に作戦を遂行しても、どれだけ己を非人間化し、味方の頭に爆弾を仕込もうとも。相手が破壊不能の知性体であれば、人類は終わる。
「……その時は、『Ⅱ計画』へ移行する」
ゲーレンは、隠していたもう一つのファイルをモニターに表示させた。
「破壊計画と並行して、地下深層に隕石の激突から逃れるための『避難所』を建設せよ。そこへ、旧時代の最高技術と、人類の『種』……ナンバーズをコールドスリープで保存する」
「地下への退避……ですか? しかし、地上が滅びれば意味が……」
「全滅よりはマシだ。それに、今の主任の仮説が正しく、あの星の挙動が自然現象ではなく『意思』を持った干渉であるというのならば。……相手には必ず何か『目的』があるはずだ。ならば、交渉の余地がある。破壊できなければ、最悪、我々は奴らに全面降伏し、家畜としてでも生き延びるのみだ」
「バカな! 降伏だと!? あの星からの応答はこれまで一度もないのですよ!? ただの推論でそこまで――」
「破壊できなければ、従うふりをして時間を稼ぐしかない。……百年でも、千年でもな」
ゲーレンは、自らの掌を見つめた。
人類の枠を外れた脳が、極めて冷徹な「敗北後の青写真」を描き出している。
彼自身、あの星が異星文明のものであるという仮説を完全に信じているわけではない。だが、計画が失敗する可能性が万が一にもあるのなら、彼は冷徹にその敗北すらも計算に入れる。だからこそ、二重三重の布石を打つ。
「いいか。表向きは破壊計画に全力を注げ。ナインを完成させ、仲間に爆弾を埋め込み、何としてでもあの空の星を砕くのだ。……だが、裏では静かに穴を掘れ」
人間であることをやめたゲーレンの顔に、獰猛な笑みが張り付いた。
それは、人類という種の生存本能が生み出した、究極の狂気だった。
「もし、空の星を砕けなかった時は……我々が地の底の星となり、永劫の時を超えて、奴らの喉元に食らいつく」
――こうして、人類の存亡をかけた二つの歯車が回り出した。
勝利のための非人道的な「Ⅰ計画」。
敗北と隷属を前提とした、深淵なる「Ⅱ計画」。
すべては、どちらに転んでも人類という種を存続させるための、そして自ら人間であることを捨てた『零番』ゲーレンの、狂気じみた矜持だった。
それが数千年後。星の干渉エラーを引き起こす「非人間」の身体を持ちながら、それでも,星に融合され、完全には星を拒絶できず苦しみ抜きながらも、決して魂までは明け渡さずに反撃の時を待ち続けた孤独な「看守」の、原点となる記憶であった。
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