第145話 Ⅱ計画
レイラが散った爆心地には、不気味なほどの静寂が満ちていた。
それは単なる音の不在ではない。星の神殿に入って以来、鳴り響いていた不快な羽音――「星の動作音」が、動力炉の崩壊と共に唐突に途絶えたのだ。
「……ぁ……」
私は、辛うじて意識を繋ぎ止めていた。
レイラが動力炉に激突した瞬間、私はアノンの怒声に弾かれるようにして、ヴァルキリーの防護壁を最大出力で展開した。膨大な光と熱が世界を白く塗り潰し、私を飲み込もうとしたが、そのエネルギーの奔流を、機体そのものを身代わりにすることで凌ぎきったのだ。
私の《ヴァルキリー・オメガ》も、アノンの《ギガント・フォートレス》も、その損傷は甚大で、もはや一歩も動かない沈黙した鉄屑に成り果てていた。
目の前にあるのは、何かを抉り取られたような巨大なクレーター。レイラの最期の輝きは、確かに星の絶対的な守りを砕いたのだ。
「……終わった、の……?」
呆然と呟く私の耳に、ズズズ……という、重い鋼鉄を引き摺る嫌な音が届いた。
まだもうもうと立ち込める粉塵の奥底から、信じられない執念が這い出してくる。
「嘘……でしょ……?」
煙を割って現れたのは、あの白銀の悪魔――《セラフィム・ゼロ》だった。
だが、その姿は凄惨を極めていた。左半身と下半身は完全に溶解して消滅し、剥き出しになった脊椎のようなフレームと、残った右腕だけで床を這いずっている。単眼の頭部も半分が吹き飛び、露出した内部機構が、狂った信号灯のように不気味に赤く明滅していた。
『排……除……排、除……、プログラム、継続……』
それはもはや兵器ですらなかった。執念だけで動く死神。レイラの命を懸けた特攻ですら、星の守りを完全には葬りきれなかった。
「ふざけるな……! これで死なないなら、何で死ぬっていうんだ!」
アノンが吼え、力任せに機体をパージした彼は、機体の格納コンテナから引き抜いた愛刀を構えて突っ込む。だが、セラフィム・ゼロは文字通りの死神だった。這いずりながらも放たれた裏拳が、生身のアノンを紙屑のように弾き飛ばした。
「ガハッ……!」
「アノンッ!」
壁に激突し、崩れ落ちるアノン。セラフィム・ゼロの赤い瞳が、ゆっくりと私を捉えた。
『……ターゲット、確……認。抹殺……』
残った右腕の筋肉繊維が膨れ上がり、空気を圧縮して衝撃波を生むほどの予備動作に入る。
私は動かないヴァルキリーを必死に操ろうとしたが、エネルギーを失った強化外骨格はただの重い棺桶と化していた。私の腕力では装甲解除すら間に合わない。
(――死)
死の冷気が肌を刺す。私は反射的に目を閉じた。
ドォォォォォォォォンッ!!
鼓膜を破る凄まじい衝撃音。そして、熱風が頬を叩く。
だが、痛みは来ない。
「……え?」
恐る恐る目を開けた私は、信じられない光景を目撃した。
鼻先数センチのところ。セラフィム・ゼロの必殺の拳が、止まっていた。
いや――止められていた。
漆黒の戦術皮膚を纏った一人の男が、私の前に立ちふさがり、その拳を「素手」で受け止めていたのだ。
男の足元の床は衝撃でクモの巣状に砕け、半ばまで沈み込んでいる。それでも、その背中は微動だにしない。
「……詰めが甘いな、破星」
聞き覚えのある、低く落ち着いた声。
男は、受け止めた天使の拳を強引に弾き返すと、がら空きになった天使の胸部――剥き出しのコアめがけて、流れるような掌底を叩き込んだ。
「浸透勁」
ドムッ、と鈍い音が響く。
次の瞬間、セラフィム・ゼロの背中へと衝撃波が抜け、残っていた装甲が内側から破裂した。
外側の硬度を無視して内部を破壊する、東洋の古武術。私に生存技術を叩き込んだ、あの男の技だ。
動力源を失い、再生能力を喪失していたセラフィム・ゼロにその精密な一撃は致命傷となり、怪物は断末魔を上げることもなく、今度こそ沈黙した。
男はゆっくりと振り返る。
「なぜ……貴方が、今さら……」
私の喉から、絞り出すような声が漏れる。
「なぜ貴方が私を助ける! レイラを……レイラをあんな目に遭わせた貴方が!」
私は、強化外骨格の残骸から強引に這い出して、目の前の男と対峙する。
「……」
そこにいたのは、敵であるはずの、そして私のすべてを壊した元凶――ゲーレン総帥だった。
だが、彼は私の非難を受け流し、どこか憑き物が落ちたような目をして語りだした。
「我々は、Ⅰ計画の敗北を乗り越えて、遂に星の動力炉を破壊した。我々人類の勝利だ」
「それって……どういうこと?」
「頭の中のノイズが消えたのだよ、破星。……レイラが命を賭して動力炉を破壊し、星からの強制信号が停止した。私の半身を支配し、思考を汚染していたナノマシンも機能を停止した。私は、ようやく私に戻れたのだ」
ゲーレンは、静かにクレーターを見つめた。その瞳には、かつての冷酷な狂科学者の影はなく、ただ一人の孤独な先駆者の哀愁があった。
「レイラ、本当にすまない。……そして、私の呪いを解いてくれて、感謝する」
「……」
彼の言葉に嘘偽りはないようだった。
でも、なぜこんな事に。
「そして、破星。良くここまで辿り着いた。約束通り、お前にはⅡ計画の本当の意味を教えてやろう」
ゲーレンの手が、私に触れる。その瞬間、戦術皮膚の思考接続を通じて、膨大な情報の奔流が流れ込んできた。
それは、世界が書き換わる直前――数千年前の記憶。
宇宙要塞の機関室は、静まり返っていた。
足元には、裏切った部下たちの死体と、凶弾に倒れた私――ナインの亡骸が転がっている。
だが、ゲーレンは、それらを顧みることもなく、ただメインモニターに映し出された「絶望」を見つめていた。
目標天体『オウムアムア2』。
人類の叡智を結集した「ゲーレン砲」による、時空ごと対象を消滅させるはずの一撃すら、高次元干渉によって「復元」してしまった化け物。
「Ⅰ計画は失敗した。……これより、Ⅱ計画へ移行する」
血に濡れたコンソールを叩くゲーレンの指が、記憶の中で震えていた。
表向きに公開されている隕石迎撃を目的とした「Ⅰ計画」。しかし、機関内ではもう一つの極秘計画が並列的に進められていた。
これまでの、核攻撃の失敗、高出力レーザーの無効化、そして世界中で発生していた原因不明の精神汚染《カルト化》。統計データが示していた全ての異常値が、ある一つの仮説を導き出していた。
我々の技術のいかなる観測装置を用いても、それが、あれがありふれた隕石であることを示していた。しかし、あの隕石が単なる自然現象などではないことを、我々は感じでいた。
そして、ゲーレン砲の発射を経た今となっては、もはや仮説ではなく疑いの余地はなかった。
『Ⅱ計画』。
それは、相手が絶対的な上位存在であると仮定した場合の、唯一にして最後の生存戦略。すなわち、「全面降伏」を担保とした「種の保存」のための悪魔の取引。
「ナイン、及び生存している『残酷な子供達』を直ちに回収。地下深層の『避難所』へ搬送し、コールドスリープを実行せよ」
ゲーレンは、搬送されていく私……ナインを見つめていた。
彼には分かっていたのだ。あの星の目的は、地球の破壊ではなく「支配」と「改変」。
星が地上に降りれば、世界は奴らの都合の良い環境へ書き換えられる。理が上書きされ、人類は家畜になる。
だが、家畜として生かされている限り、牙を研ぐ時間は稼げる。
いつか、ナインという名のシステムが再起動し、この偽りの神を物理的に粉砕してくれる、その日のために。
『――条件を受け入れよう。我々は貴方の理に従う。……だから、種の絶滅を停止せよ』
遠い昔、旧世界の最後の日、ゲーレンは、人類を代表して、星と契約を結んだ。
彼は「総帥」の名を捨て、天から来訪した神の使徒――人類に首輪をつける看守となった。
己の脳をナノマシンで汚染させ、星の端末となって、長い長い冬の時代を独りで耐え抜いてきた。
すべては、私という「反撃の芽」が目覚めるこの時のために。
「……そんな。貴方は、何千年も、ずっと一人で……戦い続けていたというの?」
記憶の奔流が止まり、私は目の前のゲーレンを見た。
彼は、ただ静かに頷いた。
「泣くのは後だ、破星。まだ、終わっていない」
「……え?」
「ここには宇宙船があるはずだ。残存する敵を掃討しつつ、脱出するための船を探し出し、今すぐ、こんな場所を離脱する」
(……生きて、帰れる……?)
希望が胸を掠めた、その矢先。
破壊された動力炉の底で、赤い光がドクン、と不気味に脈打ち始めた。
『ゲーレンよ……やはり貴方は、最後の最後で、この私を裏切りましたか』
どこからともなく、中性的な、透き通った声が響き渡る。
『私の動力炉が砕かれた事実を以て、地球文明の脅威レベルを「極大」と定義します。よって、地球そのものを破壊し、脅威を完全に除去することと致しましょう。滅びるがいい、人類』
「貴様、まさかあれを起動したというのか!」
ゲーレン総帥の顔から血の気が引く。
『フフフ……ええ。起動しましたよ。あなた方、旧世界の強者はすべてここにいる。地上に残っているのは、私が与えた安易な魔法に頼り切った奴隷ばかりだ。魔法が消失した今となっては、各国の神殿地下に仕掛けられた「地球破壊爆弾」を止められる者は、もはや存在しない。さぁ、人類よ! 宇宙の塵と化すがいい』
「くっ……なら、私たちが行って止めるわ!」
私は声を張り上げた。
『無駄なことを。エネルギーが底をつき満身創痍の強化外骨格で、どうやってそこまで行くつもりですか? 爆弾は四つあるのです。あなた方は、そもそも三人しかいない。無駄なことはやめて、この宇宙の特等席から、地球が木っ端微塵になるその瞬間を……ぜひ鑑賞したまえ』
星の外郭に巨大な窓が開き、私たちに見せつけるように、漆黒の宇宙に浮かぶ青い地球が映し出された。やがて、赤い光は霧散し、あとには不吉な沈黙だけが残された。
ただ、私たちの網膜に、無慈悲なカウントダウンを刻む赤い数字だけを残して。
残り、三時間。
何も知らずに暮らしている人々がいる、あの青い地球。
エイデンやメアリーたちが生き、レイラが命を懸けて守った故郷。
それが、あと数時間で、すべてが灰燼に変わる。
「……ふざけないでよ、こんな結末……」
「破星……」
刀を杖代わりに、アノンが這うようにしてこちらへ戻ってくる。
私は、ゲーレンに問いかけた。
「総帥……。地球を救う方法を、教えなさい」
私は、かつての仇敵であり、今や唯一の希望となった男を、射貫くような目で見つめた。
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