閑話 宿命への決別
――それは、遠い昔の記憶。
極北の凍土に穿たれた地下要塞、ゲーレン機関・第百八戦略研究施設。
そこには、人類が自らの生き残りを賭けて造り出した、「兵器」がいた。
残酷な子供達。
遺伝子操作と精神調律によって、来るべき星の衝突に抗うための「部品」として設計された子供たち。
「……また、死んだわ。三番、そして七番」
無機質な調整槽の横で、私は自嘲気味に呟いた。
私の識別番号は五番。後に自分で「レイラ」と呼ぶことになる、この計画における「感情制御の失敗作」だ。
大人たちは私を見ては溜息をついた。演算能力や身体スペックは一級品なのに、戦場で仲間の死に涙を流し、恐怖に怯え、あまつさえ「お腹が空いた」と泣き言を言う私は、兵器として決定的な欠陥を抱えていた。
対して。
私の視線の先で、真っ赤な返り血を浴びたまま、無造作にライフルを点検している少女がいた。
九番。個体名『ナイン』。
彼女こそが、機関の最高傑作。一切の情動を演算のノイズとして切り捨て、人類存続という唯一の「最適解」を出し続けるために作られた、完璧な指導者個体。
「ナイン。……あんた、怖くないの? 三番たちが、ああやってただの肉塊になっていくのが」
私の問いに、ナインは表情一つ変えずに答えた。
「べつに。三番や七番の損壊は戦術上の損失であり、それ以上の意味はない。感情にリソースを割くのは、生存確率を低下させるバグよ、ファイブ」
その瞳。
空色をしたその瞳には、何も映っていなかった。
死を悼む心も、明日を夢見る希望も。
彼女は、人類が耐えきれなかった「絶望」を肩代わりするために造られた、空っぽの神様だった。
かつて。ナインがその椅子に座る以前。
人類存亡の全権を握る「破星」という役職は、呪われた椅子と呼ばれていた。
英雄としてその席に座った大人たちは、皆、数ヶ月と持たずに退場した。
何億という同胞を「効率」の名の下に見捨て、飢えさせ、切り捨てていく。その決断の重みに、生身の脳は耐えきれない。良心に焼かれて死ぬか、或いは民衆の怨嗟に焼かれて殺されるか。破星の系譜は、常に血と絶望で塗りつぶされていた。
自殺するか、さもなくば誰かに暗殺される。それが、「破星」という役割に課された、逃れられぬ終着駅だった。
だから。
大人たちは、最後にナインを造り出したのだ。
「死にたい」とさえ思わない、最高精度の計算機。
「殺されない」最強の存在を。
罪悪感をバグとして処理し、立ちはだかる敵を一蹴する、凍りついた怪物。
彼女が破星に就任した日、私は大人たちが安堵の溜息を漏らすのを見た。自分たちが背負いたくない「罪」のすべてを、一人の少女に押し付けたことに、彼らは心底から安堵していた。
(……可哀想なナイン)
私は彼女が羨ましかった。同時に、吐き気がするほど哀れだと思っていた。
絶望して死ねるなら、まだ「人間」だ。
けれど、ナインには絶望する権利さえ与えられていない。
死ぬことさえ「非効率」だと一蹴し、冷徹に独裁を続ける彼女の横顔。
私は、ふざけたギャルの仮面を被ることにした。
そうでもしないと、副官として、彼女の隣で、この狂った世界の重圧に耐え続けることはできなかった。
ナンバーズになれずに死んでいった何百という実験体、そして、三号の、七号の遺志を。
生きたいと願い、果たせなかった彼らの執念を。
そして、この計画のために切り捨てられた数十億人という、屍山血河。
私が「感情」として覚えていなければ、ナインが冷徹に処理した「死者」は、ただの数字になって消えてしまうから。
「アタシだけは、あんたを『人間』だと思って見ててあげるよ」
いつか。ナインが。
もしも万が一、彼女の中に「心」が芽吹いてしまった時。
その瞬間に、歴代の破星を襲ったあの絶望の奔流が、彼女を飲み込んでしまわないように。
その時、代わりに汚れ役を被って消えるのが、予備機である私の、最後の役割なのだと決めていた。
◆
――そして、数千年の時を超え。
星の中枢動力炉の前で、リオ……ナインは、言った。
「撤退する。アノン、レイラを担いで。私が殿を務める」
……プッ。
思わず、噴き出しそうになった。
ナイン。あんた、本当に状況判断が甘くなったわね。
生存確率を最大化させるなら、ここでアタシたちを見捨ててでも、あんただけが逃げ延びるのが正解のはずなのに。
(ああ、ようやく。……やっとこっち側に来たんだね、ナイン)
旧世界の「優等生」だった彼女が、新しい世界で見せた「欠陥」。
それは、かつて自殺していった歴代の破星たちが持ち続けていた、けれど任務のために殺さなければならなかった、高潔な「弱さ」そのもの。
あんたが、そんな弱音を吐けるくらい人間になったことが。
アタシたち欠陥品と同じ場所に、降りてきてくれたことが。
……本当に、死ぬほど嬉しいわ。
「撤退なんて、そんな戯言、却下よ」
私の声が、自分で驚くほど凛と響いた。
今のリオは人間だ。ベリーパイが大好きで、アノンの不器用さに呆れて、明日の平和を夢見る、ただの女の子。
そんな「リオ」に、またあの破星としての、穢れた役をさせてたまるもんですか。
星を砕くために、また命を捨てる決断を、今の彼女に強いるのは残酷すぎる。
ここから先は、かつて旧世界で感情を殺し、ふざけた仮面の裏で絶望を飲み込み続けてきた、アタシの出番だ。
三号、七号……そして、実験体たち。
死んでいったナンバーズの仲間たちの、その全ての無念を背負って。
大人たちが押し付けた、人類生存という名の呪われたバトンを、アタシがここで断ち切る。
(泥を被るのは、お姉さんの特権よ、リオ)
アタシは機体の装甲をパージする。
身軽になったフレームが、自分の「心」の熱量と一体化していくのを感じる。
縮退炉の臨界。それは私の命が、ただの数字から、神さえも貫く「特異点」へと変わる瞬間。
一直線に突っ込んだアタシの生身の腹を、冷たくて硬い白銀の腕が貫通した。
ドシュッ、という、ひどく嫌な音が自分の中から響く。
(……っ、あぁ、痛い……ッ!)
痛い。凄まじく痛い。
痛覚が脳を焼き、視界が真っ赤に明滅する。口の中から、鉄の匂いのする熱い血が止めどなく溢れ出してくる。
完璧な兵器なら、ここで痛覚を遮断して、ただの『損傷』として処理するのだろう。でも、アタシは失敗作だから。この痛みを、命が削り取られていく恐怖を、全部そのまま感じてしまう。
痛い。痛いけど。
不思議と、絶望はなかった。
私は、自分の身体を貫く敵の腕を、血に濡れた手でがっちりと掴み込んだ。
これで、もう逃げられない。アンタの自己修復システムに、アタシというバグを完全に上書きしてあげる。
(ああ……命を燃やすって、こんなに痛くて、こんなに熱いんだ)
それは、実験施設の中でただの数字として死んでいった仲間たちが、一番やりたくて、できなかったことだ。
血に染まった唇が、自然と笑みの形を作っていた。
「生きなさい、アンタたち。……地上のことは、任せたわよ」
あいつの悲鳴が聞こえる気がしたけれど、もう振り返らない。
さようなら、かつて私が羨望したナイン。そして、リオ。
感情があったから、あんたを大好きになれた。
感情があったから……今、最高に不合理で、最高に幸福な、この選択をできる。
「あとの『平和』は、あんたの仕事。……汚れ仕事は、アタシがあの世に持っていくからね」
白銀の閃光の中へ。
かつて歴代の破星たちが求めてやまなかった、けれど得られなかった「救済」を胸に。
読んで頂きありがとうございます。
ブクマや☆での評価・応援、どうかよろしくお願いします。




