第144話 副官の特権
警告。左腕部人工筋肉、断裂。メインカメラ、および各部光学センサー大破。
真っ赤な警告文字が、ノイズの走る私の網膜投影を埋め尽くしていた。
私は鋼鉄の皮膚の内側で、血の滲む唇を、肉を断つほどに強く噛み締めた。
装甲越しに衝撃が伝わるたび、全身の骨が軋む不快な音が響く。思考接続を通じて脳内に叩き込まれる過負荷は、もはや痛覚を通り越し、魂を直接削り取るような灼熱となって私を焼く。
機体が直立を維持していること自体、物理的な奇跡。あるいは、ナブラで得た人としての執念が、鋼鉄の屍を無理やり動かしているに過ぎなかった。
目の前には、白銀の悪魔――《セラフィム・ゼロ》が、何事もなかったかのように浮遊している。
私たちが命を、魂を削って刻んだ渾身の斬撃も。レイラがその全演算能力を注ぎ込んだ弾痕も。
背後の動力炉から血管のように繋がったエネルギーラインが、無尽蔵のエネルギーを送り込み、瞬きする間に修復していく。こちらの命というリソースは底を突き、対して奴は、依然として神のように無傷のままだ。
「……ハァ、ハァ……。撤退する。アノン、レイラを担いで。私が殿を務める」
私の脳内の「ナイン」が、冷徹に敗北を告げていた。
あの死神が背後の動力炉と直結している限り、私たちは「無限」を相手に消耗戦を挑んでいるに等しい。
今は、戦略的撤退をして、冷徹に作戦を練り直すべきだ。
だが。
『撤退なんて、そんな戯言、却下よ』
レイラの、凛とした声が響く。
『逃げても背中から刺されて、幸福な結末は無し。……総統、本当にここから逃げられると思っているの? そうだとしたら、状況判断が甘いわよ。……昔のアンタなら、この状況でそんなこと言わない』
冷徹に考えれば考えるほど、私たちの損傷具合からして、撤退など不可能な選択肢だった。
それでも、「地上へ帰りたい」という私の強烈なエゴが、戦場において最も避けるべき「生存への甘い期待」という誤った判断をはじき出していた。
この敵は、そのような浅い覚悟で太刀打ちできる相手ではない。
そして、目の前の動力炉を破壊する以外、最初から私達に勝ち目などないのだ、Ⅰ計画の時の私ならどうした。
ここを破壊すること。それが私が作られた目的であり、存在意義。
だとしたら、私はⅠ計画の時と同じに。
でも、今の私には……。
『ふふ、本当に「心」を得たのね。アンタ……でも、それは弱さじゃないわ』
ガション、と重々しい金属音を立てて、レイラの機体が私の横に躍り出た。
武装を失った手を広げ、生身のレイラを包む鋼鉄が、ゆらりと、私の機体の右肩に手をかけた。
「レイラ、何を――」
『最後の切り札よ。三機合体、最大出力による大型励起加速砲の射撃』
「合体……」
『私達の機体のエネルギーをオメガへ送り込むバイパス回路を、さっきの修理の時につけておいた。……さあアノンも、オメガの左肩に手を!』
「了解した。……信じよう、副官の策を」
アノンが私の機体の左肩に、静かに、しかし力強く手を添えた。
大型励起加速砲の限界突破システム。ゲーレンの工作室での修理中、レイラは万が一の事態を見越して、この「切り札」を組み込んでいたのだ。
機関の施設にいた時代から、彼女には幾度となく助けられていた。
三機の縮退炉を最大出力で同時制御し、考えられ得る最大限の砲撃を叩きつける。
恐らくはゲーレン砲の発射システムを流用して、最速でこのソリューションを作り出すその能力。
私にとって、最高の相棒レイラ。
今回も……。
『できれば、これだけは、やりたくなかった。これをやれば機体が完全に限界を超えるから……ね。……アタシたち、お茶会、ちゃんとできるのかしら』
「レイラ……」
『行くわよ、総統! 全縮退炉全力運転! 三連励起! 全エネルギーを、大型励起加速砲へ接続!』
レイラの絶叫が、思考接続を通じて脳内に直接響く。
次の瞬間、世界が変わった。
アノンとレイラ、そして私の機体。三基の縮退炉を物理的な限界を超えて同期させ、その崩壊の悲鳴すら無視して強引にエネルギーを搾り取る。そこから生み出された莫大な高密度エネルギーは、ヴァルキリー・オメガの臨時バイパス回路を暴威となって駆け抜け、私の左腕へと押し寄せた。
「グ、アァァァァァァァッ!!」
強化外骨格が悲鳴を上げる。人工筋肉は引き千切れんばかりに収縮し、フレームがギチギチと軋む。
エネルギーの奔流は、思考接続を通じて私の脳をも直接焼き始めた。痛覚など疾うに通り越している。脳髄が沸騰し、魂が灼熱の光の中に溶けていくような錯覚。
左腕の外部装甲の隙間から、青白いプラズマが漏れ、周囲の空気を焼き焦がす。
アノンとレイラが私の機体の両肩を強く掴んでいる。二人の機体からのエネルギーが、私という「核」を通じ、大型励起加速砲へと収束していく。
ライフルの銃身が、過出力によってチェレンコフ光にも似た蒼い輝きを帯び、融解が始まった。ゲーレン砲のシステムを応用したとはいえ、本来の設計限界をはるかに超えた負荷だ。銃身自体が、エネルギーラインそのものと化していた。
『撃って、総統! 敵ごと、あの動力炉を貫いて!!』
レイラの、魂の叫び。
私は、死力を尽くして銃身をセラフィム・ゼロへ固定した。網膜投影に表示される照準器は、光に飽和して見えない。ただ、そこに敵が、砕くべき神がいる。それだけを頼りに、私は引き金を引いた。
一瞬。世界はホワイトアウトした。
音すらも置き去りにする、超高速のエネルギー塊。
それは光線などという生易しいものではない。三つの太陽を一つに束ね、物理的な質量として叩きつけるような、破壊の奔流だ。
大型励起加速砲の銃身は、発射の瞬間に莫大な熱と圧力に耐えきれず、先端から融解・四散した。銃身を構成していた超硬度合金は、超高温のプラズマと化し、熱線と共に前方へと噴射される。
私の網膜保護機能は、その圧倒的な輝きに、焼き切られんばかりの警告を発し、真っ白な視界の中でノイズが走った。
ドガォォォォォォォォォォォォンッ!!
空間が震え、衝撃波が動力室の壁を無残にえぐる。音響センサーは即座に機能を停止した。
発射の莫大な反動が、ヴァルキリー・オメガの左半身を襲う。
フレームが砕ける音が、ニューラルリンクを通じて脳に直接響く。私は、もはや役目を果たせない、融けかかったライフルの残骸を左腕から強引に引き剥がし、投げ捨てた。
床に転がったライフルの残骸は、自身の残熱で床を融かしながら、ジュブジュブと音を立てて沈んでいく。
強化外骨格の左腕は、外部装甲が弾け飛び、内部機構が剥き出しになって、狂った信号灯のように不気味に赤く明滅していた。人工筋肉は焼き切れ、二度と動くことはないだろう。
光が引き始めた時、私は目を見開いた。
三連励起による直撃。
白銀の悪魔――セラフィム・ゼロは、そこにいた。
機体を激しくえぐられ、剣を喪失しながらも、奴は最後の一撃を受け止めきっていた。
そして、見るも無惨なその傷口が、動力炉からのエネルギーの奔流によって、既に恐ろしい速さで再生を始めているのが見えた。
「あれを受けて……この程度の傷しかつかないなんて……」
『まだよ!!』
ボロボロの機体で、レイラが私の前に躍り出た。
『アタシの機体の縮退炉、もう臨界点ギリギリなんだよね。だから!』
突如、《アルテミス・レイヤー》全ての装甲が緊急パージされた。
不格好に露出した細いインナーフレーム。その中央で、剥き出しの縮退炉が太陽のように激しく明滅し、全力で出力を上げていく。
このままいけば、制御を失った超高密度エネルギーが四散する。爆発などという生易しいものではない。完全なる、存在の消滅だ。
「馬鹿なことを! 許可しない! 命令よ、レイラ!」
「あー……ごめん。通信機、マジで壊れちゃったみたい。ノイズで、何も聞こえなーい」
わざとらしくとぼける声色。だが直後、彼女の声からギャル特有のふざけた響きが消えた。
装甲を失いスカスカとなった彼女の機体の隙間から、かつて旧世界を支配した誇り高き副総統の声が、直接聞こえてきた。
「……ねえ、ナイン。知ってる? アタシが旧世界で「感情制御の失敗作」って呼ばれてたこと。あいつら、アタシの演算能力は認めてたけど、戦場で仲間のために泣いたり怒ったりするアタシを、「兵器として欠陥がある」って笑ってたんだよね」
「レイラ、もういい、もういいから……っ!」
「でもさ、今なら胸を張って言えるよ。……この「感情」があったから、アタシはアンタたちを守りたいって思えた。……大好きだから、命を懸けられるんだ。これ、プログラムされたロジックなんかより、百万倍強いんだから!」
その瞬間、全ての枷を削ぎ落とした《アルテミス・レイヤー》が、空間を断ち切るほどの超加速で突進した。
ドゴォォォォォォォンッ!!
衝撃音が空間を揺らす。質量を極限まで減らした彼女の機動は、もはやセラフィム・ゼロの演算すらも上回っていた。
彼女は、私達の砲撃によって生じた「傷跡」へと、正確に自らの腕を突き立てた。
「どう、私という「異物」が混ざり合う感覚は。……これなら、貴方の演算も追いつかないでしょ!」
彼女は自らの機体フレームを、ゼロの修復プロセスそのものに強制的に割り込ませたのだ。
ナノマシンが傷口を塞ごうとするその中心に、レイラは物理的な「楔」として自らを食い込ませる。修復しようとすればするほど、レイラの機体パーツをゼロの装甲の一部として取り込んでしまい、再構築は致命的なエラーを吐き出し続ける。
セラフィム・ゼロは、自身の傷口に楔として食い込んだアルテミス・レイヤーを排除すべく、残された銀色の腕を無慈悲に突き出した。
分厚い外部装甲をすべてパージし、骨組みのようなインナーフレームだけを纏っている今のレイラに、それを防ぐ術はない。
ドシュッ。
肉と骨を断つひどく鈍い音が響き、銀の腕が、レイラの生身の腹部を――彼女の身体に這うインナーフレームごと、完全に貫通した。
「レイラッ……!!」
私の悲痛な絶叫。
装甲という覆いを失い、剥き出しになった彼女の姿が、私の網膜に焼き付く。
自らの腹部を貫く白銀の刃。その致命的な一撃を浴びながらも、レイラは倒れない。
頭部を保護するバイザーも既に失われ、乱れた銀髪の隙間から彼女の素顔がはっきりと見えた。口元からはおびただしい鮮血が溢れ出し、彼女を支える鋼鉄のフレームを赤く染めてゆく。
死の淵にあるはずのその顔には、しかし、絶望など微塵もなかった。
彼女は、激痛に顔を歪める代わりに――血に染まった唇で、笑ったのだ。
自らを貫く敵の腕をガッチリと掴み込み、満足げに微笑む彼女。
「……捕まえた。これで、もう逃げられないわよ、神様。貴方の再生システムに、アタシという消せないバグを上書きしてあげる」
血の混じった声が、直接、私の耳に届いた。
レイラの機体背面から、太陽の表面温度に匹敵する熱量と、純白の閃光が溢れ出す。
「やめて……お願いだから、やめてレイラ! 私たち、まだベリーパイ食べてない! お茶会も、してない……ッ!!」
「……悪いね、ナイン。こういう汚れ仕事は、お姉さんで、副官であるアタシの特権よ。アンタには、アタシ達、不幸な子供を代表して、最後に大ボスの顔を殴り飛ばす大役が、まだ残ってるでしょ?」
「レイラァァァァァッ!!」
私の悲痛な絶叫を置き去りにして、レイラの機体は背部スラスターを最大出力で噴射させた。
自分を串刺しにしたセラフィム・ゼロを、物理的な強制力で引きずり、背後の巨大な動力炉へと――音速の壁を超え、一直線に激突した。
「生きなさい、アンタたち。……地上のことは、任せたわよ」
微かに空気を震わせて聞こえた最期の声は、いつものふざけた調子ではなく、かつて戦場で共に背中を預け合った、かけがえのない仲間の温かなものだった。
直後。
網膜保護機能が焼き切れるほどの白銀の閃光が、世界を埋め尽くした。
音すらも置き去りにする、超高エネルギーの連鎖爆発。
星の心臓部で発生した臨界爆鳴が、無敵を誇ったセラフィム・ゼロを、そして――レイラという一人の少女の命を、慈悲もなく、永遠の光の中へと飲み込んでいった。
動力炉の供給ラインは、彼女という「不溶の楔」を抱えたまま、内側から完全に瓦解した。
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