第八話 世界の果て 自分の果て
夕日が徐々に沈んでいき、夜に移り変わる。
街にはポツポツ街灯が光るが屋上は暗い。腋毛契約という一大イベントを終え、俺たちはだらだらと過ごしていた。
「恥ずかしい……先輩の前であんな姿を」
草壁は後悔の時間に入っていた。テンション上がると見境なくなる。
わかってきた。草壁はそういうやつなんだ。
「いや、なんていうか、エロかったね」
先輩はシンプルすぎる感想を言った。まだ興奮冷めやらぬ様子だ。
「露出とか向いてるんじゃないかい?」
「そっちを進めるのやめてください」
草壁がつっこんで静かになる。屋上、雑音がないので沈黙になりやすい。快適だ。
「よっと」
俺は背中から寝転がる。床が冷たくて気持ちいい。
「いきなりなにしてる?」
「屋上に来たらやってみたかったんだ。外で寝転がるってなかなか無いから快感だぞ」
「ふむ、たしかにね」
先輩も横になる。隣にその存在がわかる。
「……じゃあ、私も」
草壁が躊躇いながら俺の左側に寝転ぶ。三人で川の字。俺にとっては両手に花だ。
「草壁は両腋に毛だけどな」
「その脳内のつっこみを勝手に放出してくるのやめて」
仰向けになる。色々あって疲れた体ごと、重力に吸い込まれる感じがする。このままずっといられそうだ。
必然的に空が見える。地上から見るより星が光って見える気がする。
隣の二人も同じように眺めているのがわかる。先輩がふぅと息を吐いて、口を開く。
「こういう時、星座とかさらっと言えるとかっこいいよね」
「ちょっとかっこつけ感強くて微妙じゃないっすか?」
「あれがかみのけ座です」
草壁がさらっと言った。かっこつけより毛の話をしたいという強い思いを感じる。
「マイナー星座のなんでもあり感半端ないな」
「春の大三角のちょっと横にあるあれです。一つ一つの星は目立たないけど星団が髪の毛に見立てられてるんです」
まず春の大三角がわからんし、星座って本当にそれに見えたことないよな。
「二人とも、見てごらん」
伊達先輩が言った。腕を空に伸ばして、ピッと指をさしている。
「あれが月だよ」
「誰でも知ってます。無理に対抗しようとしないでください」
「ふふっ」
暗がりに笑い声だけ響く。三人とも横になったまま、穏やかな空間だ。
「………………」
会話が一区切りすると、沈黙が目立つ。それを破るように、先輩が言った。
「このまま眠ってしまいそうだ」
「寝たら風邪引きますよ」
「登山家みたいだね。ボクらは学園という山を登り切った登山家だからね」
「一人で勝手に例えて勝手にドヤ顔しないでください」
「ふふ……ふあぁ」
本当にあくびしてるし。たしかにぬるい風がまとわりついて気持ちいい。
「……………………」
三人とも黙り込む。そういう時間がまた、あった。
「……ボク、薄々思ってたんだよね」
沈黙を破って、先輩がぽつりと言った。
「君たちとの日々はとても楽しくて、素晴らしい経験だったと思うのだけど」
寝転がったまま、よくわからんことを呟いている。
「だからこそ非常に言いづらいのだけど、でも自由を尊重してるから言うのだけど」
長い前置きの後、先輩は言った。
「屋上、いざ来てみたら、やることないね」
それは決定的な言葉だった。
「先輩がそれを言うんですか」
俺は起き上がってつっこむ。みんな薄々思ってたけど黙ってたのに。
「そ、そうですよ。それにやることはあります……その、例えば……」
慌てて否定する草壁。気を使ってなにか言おうとするが、具体例は出ないようだ。俺は助け舟を出す。
「じゃあ野球でもやるか」
「絶対無理」
「野球ってボールを投げてるのにピッチャーが悪い球投げたらボールって判定されるのがややこしいけど、そこを乗り越えたら楽しいと思うぞ」
「そんな所で野球挫折する人いないから」
草壁は冷静につっこんだあと、先輩に向かって言う。
「今やることなくても、普段楽しめばいいと思います。昼休みとか」
「昼でも同じさ。例えば授業をサボってここに来たとする。寝ようとしても。昼だから眩しいし熱いし日焼けするし風は強いし床は硬いし。たぶん良いことないよ」
先輩は急にめっちゃ冷静だ。屋上屋上言ってた人とは思えない。
なにを考えてるのか、俺は理由を考えて、尋ねてみる。
「先輩、もしかして腋毛契約に混ぜてもらえなかったから拗ねてるんですか?」
「ある意味で正解だよ」
嘘だろおい。
「ボクは拗ねてたんだ。教室もどこにも馴染めず、世界を面白いと思えなくて。それで屋上に勝手な理想を抱いていたんだ」
拗ねていた。その言葉は衝撃だ。
俺は思ったことをそのまま伝える。
「先輩……俺は最初からずっと、そう言ってたんですけど」
なに今初めて気づいたみたいなってんだ!
「ふっ、そうだね」
俺のつっこみに、先輩は笑って答える。
「ボクは屋上そのものに行きたかったわけじゃない。屋上は自由だって、勝手に意味をつけたんだ。一人で過ごしてるうちに勝手に夢になって膨らんでいった。屋上なんて、ただの高いところ。そんな場所いくらでもある。気づいてたけど目を逸らしてたのさ」
ふうっと息をはいて、自嘲気味に言う。
「バカと煙は高いところに行きたがるってやつだったのかもね」
「へえ、上手いこといいますね」
「初見のリアクションやめて」
草壁は俺につっこみつつ、躊躇いながら言う。
「でも先輩、それだと私たちがやってきたことが虚しく聞こえるのですが……どうして急に目を覚ました感じになってるのですか?」
草壁の疑問、まさにその通りだ。なに急にさわやかになってんだ。
「それはね、草壁君、無藤君、キミ達のおかげだよ」
突然名指しされた。草壁と俺。なにをしたんだろう。
「屋上が自由なんて誰でも思いつくテンプレ。でも腋毛に自由を見出す人間なんかいない。レベルが違う。それを見せつけられたんだ」
たしかにそんな人おらんわな。
「草壁君の異様さを見てわかったよ。ボクは自由とか本気で悩んでなかったんだ」
「私はそんなに異様ではないと思うのですが」
異様だぞ。
「腋毛を生やすなんてボクにはできない。ましてそれを男の子に見せるなんて無理だ。植え付けられた恥じらいが邪魔してしまう。授業をサボって本を読んで天才ぶるのが限界だった。その敗北感から、気づいたんだ。自分のやっていることは滑稽だとね」
「そう、ですか」
草壁の反応、困ったような、照れてるようなだ。伊達先輩は、爽やかに続ける。
「そして無藤君にもね、気づかされたよ」
「俺ですか?」
なんだろう。俺がやったすごいこと。思いつかないが、まあ勝ってしまったのなら仕方ない。先輩の言葉を聞こうじゃないか。
「無藤君がピッキングをして屋上に出たときに、思ったんだ。扉、それはシンプルに、安全性のために閉じられている。私達を閉じ込めるためじゃない。秩序を抑圧と、無秩序を自由と同一視している単純さ。ボクは無藤君を見て、それを痛感したんだ」
……なんかいいこと言ってる風だけど、俺の方ちょっと辛辣じゃないか? 間接的に俺が馬鹿だって言われてない?
「二人共、ありがとう。ボクは今、本当に自由になれたんだ。屋上という逃避に、自由という言葉に囚われていた自分から解放されたのさ」
先輩は満足そうに言葉を続ける。スッキリした顔、暗がりでもそれがわかる。
「君たちの過ごした時間は、想定外なことばかりだった。短い間だったけど、ボクにとって、人生で一番楽しい日々だったよ」
それはずっと見栄を張ってきた先輩からの、素直な言葉に聞こえた。
なら、いいか。
俺はそう思った。
自由を求めた長い戦い、それは突然終わった。
わかってたことなのだ。
屋上、学校の最果て。ずっとここにはいられない。
どこかにいかねばならない。
俺たちはしばらくだらだらした後、扉を開け、学園に戻った。
結局何も変わっていない。
それでも少しだけ自由になっている。そんな気がした。




