恐妻家
「はあ・・・・」
停学期間も終わり、さくらは毎日詩の監視という名目で彼の家に来ていた。そんな七月十五日の夕方だ。
詩は大きくため息をついた。
今に始まったことではない。彼は先週あたりからこの調子であった。
『何かあったの? 悩みとかあったら言ってよ』
さくらは一週間悩んだ末、深刻そうな詩に言う。
「ああ、すまん、大した悩みじゃないんだ。それにさくらに言えることじゃない」
私に言えない・・?
初期不良につき劣化している堪忍袋の緒に、傷がつき始める。
『あっそう、ならいいわよ』
悩みとは何だろう、それに私に話せない。
この男、浮気でもしているんじゃないでしょうね。していたら・・・・
「生かす」
「何か言ったか?」
詩がけだるそうに反応する。
「何でも!」
「そうか」詩はそう言って立ち上がる。だいだらぼっちみたいな重みを感じさせる。
「トイレ行ってくる」続く彼の声は今日最悪の色だった。
カチャリと、小さな音を立ててドアが閉まる。
ここまでくると半分は本気で心配になってきた。
「見よう」と思った。座椅子の左におかれた詩のスマートフォンに手を伸ばす。
パスワードは彼の誕生日。これ以上なく短絡的だ。
メッセージアプリのトークには、特におかしいことはなく、強いて言うとしたら、いつもどおり詩と功の会話がバカげていたことくらいだ。
『これと言って収穫はないか』
何気なく検索エンジンに忍び込み、『履歴』の表示をタップする。
さくらの顔が凍り付く。
「これ・・・・は・・・・」
『残尿 高校生』
『残尿 原因』
『残尿 病気』
『残尿 対策』
『残尿 多い』
ーー「それにさくらに言えることじゃない」
彼の言葉を思い出し、顔を覆う。
カチャリ、と先ほどと同じ音を立てて戸は開く。
直後、詩の顔もまた凍り付く
「見た・・のか・・?」
こくり、と、さくらは顔を覆いながら小さくうなづく。
詩もまた、顔を引き攣らせて少々頬を赤らめる。
「だから・・・・」
覆う指の間から彼の顔をうかがう。
「だから『言えない』って言ったのにぃ・・・・」
『だ、大丈夫なの? その・・ざ、ざざ、ざん・・にょう・・・・』
顔はさらに赤くなる。
なぜそこまで無理をして言った? 詩は心の中でキレ良くツッコミを入れる。
「だだ大丈夫だ。別に残尿があるからって、今俺のパンツが湿っているとかそういうことではないからな? 時間がかかるんだ。その・・お花摘みに」
『言わなくていい!』
さくらの金切り声は、町中に響き渡った。
平日の日中に住宅街を突き抜けた、少女の『言って』はこの瞬間から、長くこの町の都市伝説として知られることとなった。
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「お前、残尿が悩みらしいな」
花壇の裏に隠しておいた茶を飲んでいた俺は、楽し気な彼の言葉に、最後のひと口を階段にまき散らしてしまった。
「てめえ、それ誰から・・・・! まさか椿紅から・・」
「いや? 先生から聞いた。『あいつ女子中学生が趣味で、残尿が悩みみたいだからどうにかしてやってくれ』って」
先生・・? どこでそれを知ったのだろうか。全く分からない。さっきは疑ったが椿紅はそんなしょうもないことを人にチクるようなやつではない。
「先生って担任だろ? あいつ今度ぶちのめしてやる」
そこまで言って、功に要件があったことを思い出した。
「そういえば椿紅の天敵をお前が追い払ったんだって? いやまさかお前が女の子を手にかけるとはな・・・・少し意外だった」
「おい、人聞きの悪い言い方はやめろ。あれはただ少し黙らせただけだし、やったのはバカ姉だ。それに・・・・」
俺がわざとらしくさげすむと彼は慌てて自分の行いを正当化する。
「それに?」
「あんなのは僕の中じゃ女の子ではない」
「『女の子』はただの性別だ」
「いや」と功は真面目な顔をして、水晶みたいに綺麗な目を少し泳がせる。
「『女の子』ってのはドジでも真面目でも、不真面目でも、僕が興味惹かれる人のことを言うんだよ。その点においてはお前は『女の子』なのかもしれないな」
なんてわけのわからないことを言い出す。
「んなわけあるか阿保が」
校庭では女子たちが持久走をしている。+先頭を走るのはもちろん。
「それにしても椿紅さん、万能人だなほんと」
今まさに最後尾に一周差を付けようとしているさくらをみて、功が感心している。
「いやはや、運動と勉強ってのはやっぱり若者のやることだねえ」
俺も功に同意して彼を見る。
もう校庭のほうを見てはいない。
「どうやら僕たちも他人事ではなかったみたいだ」
「それってどういう・・・・」
鈍感な俺が鈍感にそう答えると、図太い声が腹に響く。
「おっ前らサボってんじゃねえ糞阿保共! 単位やらねぞ!」
同じく持久走の男子から抜け出してきた俺たちを見つけ、教師が怒鳴る。
「くっそ誰だ俺たちのこと売ったのは・・・・!」
「間違いなくあのチク坊だろうな」
うちのクラスの学級委員だ。坊主、低身長、チクリ魔。結果功によってチク坊と命名されている。
「どうすんだよ単位もらえなかったら! 椿紅に怒られるよ絶対・・・・」
肩をすくめる詩を見て「恐妻家か」と功は呟く。
「僕も大概だけど・・・・」とも。




