立役者
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「すみませんでした。退学は勘弁してください」
頭が下がる瞬間頭速は、交番の時の数十倍。そこら辺のつむじ風とハリケーンくらいの差だ。
「そうはいってもなあ、問題はお前が飲酒をしたことじゃない。いやもちろんそれも問題なんだが、お前のやったことは下手すりゃ公務執行妨害だ。ここだけの話だが、刑事裁判になるらしいんだよ」
担任教師は俺の耳元に近づき、内緒話のような格好で囁いた。
その言葉に、背筋が凍るのを感じる。
耳にかかった息が、絶対零度みたいに冷たい。
「とりあえず携帯は預かっておく。調査のためにロックナンバーを教えてくれ」
「ぜ、0120130です・・・・」『ぜろいちにぜろ、いさわ』だ。
「分かった。少し待ってろ」
そう言って彼女は放送室を出ていく。
この学校では、ほとんどの放送を職員室で行い、放送室はほとんど説教部屋と化している。
呼吸が荒れる。背骨は凍り付いている。これでは常にハイパーベンチレーションで、絶対にヘルニアにならない人間になってしまいそうだ。
疲れと絶望感が相まって、『これは強くなれそうだな』なんて考えてしまう。
頭がぼうっとする。せっかくここまでやったのに。俺はどうすればいいのだろう。
今までにないほど真剣に考え事をしていると、勢いよくドアが開く。
俺は黒ひげみたいに飛び上がって「ぎゃあ」という声を上げた。
「ちゃっちゃらーん! ドッキリでした!」
・・・・・・
・・・・・・・・
・・・・・・・・・・
「は・・?」
・・・・・・・・・・
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・・・・・・
彼女の大声と、対極的な沈黙が流れる。
時間が心電図のようにグニャグニャ、かくかくと流れて、だんだんとまっすぐになっていく。
「どっきり?」
「うん。ドッキリ」
楽しそうに答える。また沈黙がすっと落ちてくる。
「退学は?」
「嘘! 『私の先生キャラが不快だ』なんて言っただろ? その仕返しだ。びっくりしたか?」
「こんの・・・・」
「なんだほっとしたか? 泣いてもいいんーー」
「この邪魔しかしねえ独身女! お前ぜってえぶっ飛ばしてやる!」
勢いよく机をたたきながら叫ぶ。
机から『メリッ』という音が鳴る。
「「あ・・!」」
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石和詩、要注意。
交番の前で飲酒。直後自首。学校に帰るなり机を破壊。本人は『話せばわかる』などと容疑を一部否認。携帯の検索履歴から女子中学生が趣味なのではないか、と疑われる内容が発掘される。こちらも『誤解だ』と容疑を否認している。同じく携帯の検索履歴から、大きな悩みを抱えている可能性大。こちらについては深刻な問題であるためトップシークレット。
「バケモンじゃない、これ」
養護教諭に自家製の『要注意生徒記載ノート』を見せるなり、彼女は笑った。
「先生、カウンセリングでもしてあげてくださいよ。文字に起こすと私もちょっとゾクッとしちゃいましたし」
「そうね、行ってあげてもいいけど・・・・彼は一応、この学校の救世主よ?」
教師の間で、詩が起こした一連の騒動の影響で、二人の超問題児がおとなしくなったことは知れ渡っていた。
「おかげで退学にならなくて良かったですよ。ほんと。私、あいつに『退学はない』って言っちゃったので」
詩を驚かせるために退学と嘘をついたが、その時点では彼の処分は決まっていなかったのだ。もっと言えば、彼が救世主でなければ処分の可能性は五分五分ですらあった。
『ドッキリでした!』なんてのたまっておいて、後で聞いてみれば本当に退学だった。なんてこともありえたわけである。
「それ、本当に退学だったら事案でしょ。そうならなくてよかったけどさ・・・・でもまあ『無罪』ってわけにもいかないわねえ」
詩に与えられた罰則は、一週間の自宅謹慎処分。いわゆる『停学』というものだ。
ただ、今回の功績から進学時には停学処分という経歴はもみ消されるだろう。
詩のことを嫌う生徒は基本的にいないので、恐らく誰も文句は言わない。
彼が停学になったことをクラスに伝えたとき、当然教室はざわついた。ほとんどの人間が「あの阿保ついにやりやがった」とか言って笑っていた。どんなキャラでやっていたらそんな反応されるのだろうか。
そんな彼は今、自宅謹慎中である。
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姉が十一時に家を出て、俺は一人自室に残る。
友人からお土産と言ってもらった可愛い動物のカレンダーを見て、数を数える。
ななはち、く、じゅう。
俺が外出を解禁されるのは四日後、らしい。
一週間の自宅謹慎を言い渡されたとき、体から冷や汗が噴き出た。想定していた罰よりはだいぶ軽いものだったが、こういった経験自体初めてなのだ。仕方のないことである。
うちに様子を見に来た時、功は最高に楽しそうな顔をして俺にいたわりの言葉をかけた。
お土産にもらったカレンダーを丸め、やつを滅多うちにして追い出したものだ。
あの一件以来、彼女とは会っていない。
椿紅は俺の家を知るはずもないし、別におかしなことではない。
ベッドの横の冷たい床に寝そべっていると、インターホンが鳴った。
ピンポンピンポンと二回。面倒なので画面は見ず、ドアを開ける。
じめっとした生ぬるい空気が、俺を最悪の気分にする。
・・・・・・
目の前にいる人物も、俺の気分を害するのに加担した。
「・・・・なんだお前かよ」
「そうだ、椿紅さんじゃなくて僕だ。長生きできてよかったな」
俺がバカにしたはずが、カウンターを食らってしまう。
「べ、別に俺はそんなスーパー思春期ダメージ食らわねえからな」
「そうか・・・・」
意味ありげだ。どう聞いても含みがある。
「なんだよ」
「一度フラれて耐性が付いたんだな」
またしても奴は俺をコケにする。
「何なんだお前は! 俺が謹慎してるのがそんなに面白いのか? そろそろ怒るぞ」
「すまんすまん・・・・」
今度は申し訳なさそうに笑って片手で『ごめん』を作る。
詩絡みで彼女に『こいつ、メンタル弱いな』と判断されたせいで、それ以降も彼女の尻に敷かれる立場で定着してしまいそうだということは死んでも言えなかった。その発散をここでしているということを。
「それでどうだ? オシャンティに決めたか?」
先日は来てすぐに追い返してしまったため、詩は細かい話を何もしていなかった。
「決めれるかバカが。お前みたいなメルヘンおかま男子の言い回しじゃどうにもならなかったよ」
俺は彼の手法を叩きのめす。たぶんほとんど役に立っていない。
ーー「ありがとう。嫌いよ。すごく」ーー
彼女の去り際の一言を思い出す。
「めちゃくちゃな言われようだな。でもそんな小学生みたいにウッキウキな思い出し笑いしてるってことは、結果オーライってことだろ? 伝わってるじゃん」
え・・? 俺そんなだったか?
外に出ているとは思っていなかったので恥ずかしくなる。今までずっとそうだったのだろうか。
「ね、猫のカレンダー! あれいいよなあ」
「お前話そらすの下手くそすぎるだろう。ちなみにあれは彼女に上げたら『いらない』って突き返されたやつだから、感謝ならいらないよ」
ーー「え? いらない? ああ、タイミングが悪かったんだね。それは仕方ないよ」
「え? いつ貰ってもいらなかった? ああ、そっか趣味が違うなら仕方ないよね・・・・うん」
「まあその、一応僕は、これを君のために買っていったということを心に留めておいてくれよ」
彼女の部屋には、既にモータースポーツのカレンダーが貼ってあった。先週新調したのだと、猫カレンダーを指示棒にし機嫌良さげに紹介した。ーー
「まあそんなこんなであのカレンダーは指示棒と武器になるらしいから大切にしてくれ」
なんだか予想外なストーリーに同情して「ああ、大事にするよ・・・・」と優しい目をして言ってやった。
ピンポンと部屋の外から軽やかな音がする。先ほどの電子音は鈍くて腹に響く嫌な音だった気がするが、今回は違う。
「誰だ?」
「分からん。出てくるわ」
軽くて甲高いチャイムがもう一度響く。弾む音にコーラの入ったコップが割れてしまうのではないかと心配になる。チャイムが鳴るといつもワクワクとした気持ちになる。長い時間留守番することが今まであまりなかったため、チャイムに出るというのは新鮮なのだ。
なぜだか功が来る時においてその限りではなかったが。
横に向いた鍵を縦にして開けると、閉じ込めていた空気が勢いよく抜けていく錯覚を覚える。
ドアを開けると、残念ながらそれは無理があったと感じさせられる。生ぬるい空気が、首筋をざらりと舐めて家の中に侵入していった。
とっさにできたいやな顔、目の前にいる人物を見た瞬間にできた驚きと、何とも言えないへにゃりとした間抜け顔、それらが俺の表情をめちゃくちゃにして、彼女の反応にも影響していく。
「え・・・・?」
最初は目をそらしていた椿紅が、一歩後ろに下がって彼女の顔パーツから構成されたと言われても信じられないような『汚くて可哀そう』を表す顔を向けた。これほどまでバランスもとれていて可憐、かつ愛嬌もある美形に生まれたのだから、表情には気を付けるべきだ。
「すごい顔だな」
「そっちのセリフよ」
鋭い突っ込み、聞きたかった声だ。
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「椿紅さんじゃん、こんにちは。今日は詩の見舞い?」
前にも話したことがあるかのような話しぶりに、俺は感心する。ドアから突然初対面が出てきて、この対応ができるなら彼女の一人くらいいても文句は言えないかもしれない。
「様子見です。それと先日は見捨てていただいて、どうもありがとうございました」
何とも言えない言葉に二人は瞳をどろりと濁す。功と目を合わせた後、言葉を改めて読み返し、引っかかるところがあった
「・・・・二人とも初対面じゃなかったのか・・・・」
功は「まあねー」とさくらに近づいて見せ、詩が露骨に不機嫌になるのを確認すると、笑った。
「いやいや、別に大したことじゃないよ。第一彼女、僕の名前知らないし」
さくらは、はっとして功を見る。
「僕は鎌田功」
「・・・・学年三位の・・」
「そうだよ。ちなみに二位は僕のガールフレンドで、一位は君だよね」
最後の一言は恐らくわざとだろう。椿紅は居心地悪そうに唇をぎゅっと閉めて下を向いた。
「は、はい」
「まあうち狭いけど、ゆっくりしていきなよ」
「俺んちだ! 狭いならお前が出て行けよ」
綺麗な漫才を決める。
「すまん出ていったほうがよかったかな・・・・じゃあお楽しみくださーー」
俺はドアノブにかける方との反対の手をがっしりとつかんだ。
「ごめんなさい」
「「ただいまー」」
開けっ放しだった玄関が勢いよく開き、騒がしさがなだれ込んでくる。
左手にパンパンになったビニール袋を提げて上機嫌の姉と白とネイビーを基調とした絵に描いた清潔みたいな格好をした兄だ。
どうしても一緒にいると不自然に感じてしまう外見だ。
「イケ兄とバカねーー」
晴花にぎろりと睨まれ、功は口をつぐんだ。
「ハル姉こんにちは・・・・」
姉は『よし』と功から目をそらすと、今度は椿紅を見る。
「君が椿紅ちゃん? 弟がお世話をかけてます!」
椿紅がきょとんとするので、俺は姉を場から掃く。
「日本語弱者は黙ってろ」
「けッ」とバカみたいに雑魚キャラの捨て台詞をはいて部屋を出た姉と入れ替わりに、兄が入ってくる。
「君が詩の初恋の人か。こいつの特技と言ったら本の早読みくらいのもんだけど、根はいいやつだから仲良くしてやってくれよ。この二人でつるんでるとろくなことしないからさ」
兄は俺と功の頭にげんこつを置いて優しく笑いかけた。やはりこいつは最高傑作だ。危ない、椿紅じゃなかったら今頃好きになってるところだ。
「おい詩・・・・」
功が肘で突いてくる。
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「なんだよ・・・・え゛・・」
顎で指した先には、ちょっとばかり、本当に少しだが『トキメキ』を零す椿紅がいた。
「兄ちゃん、ちょっとこれで千円おろしてきてくれないか? 後で飯に行くんだ」
財布からキャッシュカードを抜き取り、兄に渡す。
「でもお前、この間明細書に残高四百円って書いてあったの見たぞ? ちょ、なんだよ押すなって・・」
「いいから行って来いって! かわいい弟の頼みだろ?」
そのとき功は見た。手を口元に添えて、楽しそうに笑うさくらを。
「なんだよ、心配しなくても椿紅さんは取らないって!」
詩は、言ってはならないことを言ってしまった兄を玄関まで押し出す。
「口が上手くなりやがって・・・・」
そのとき功は見た。自分の髪色の半分くらいまで顔を赤くして、それに気づかれまいと唇をキュッと噛みながら先ほどと同じ仕草を続けるさくらを。




