天邪鬼な女の子
皆慌ただしい。女教師は頭を掻きながら苦笑いをし、上司に当たるであろう年のいった者たちは困った顔で職員室の中を駆けまわっていた。
今日は土曜日で、普段であれば部活動を持っている教師と校長が、なぜか暑い職員室の中で平日に残した仕事を片付けているはずだ。私は手伝いのため毎週土曜には登校している。土曜は平和なのだ。
八割ほど雲のかかった微妙な曇り空に気が沈み、室内の騒がしさにどこか胸がざわつく。
こんなとき、石和であればきっとすぐに聞くのだろう。
「何かあったんですか?」
という風に。
「ああ。あるバカがやらかしてな。意味が分からん。交番前でビールを飲みほしてその場で自首したそうだ」
理解ができない。そんなアホなことをやる人間が何を考えているかなど、到底理解できなかった。
理解できたのは、『それをしたのが誰か』。
「石和じゃないですか?」
さくらの言葉を聞くと、女教師は鳩が豆鉄砲を食らったような顔をする。
「何か知ってるのか?」
間違いなかった。彼が、何か企んでいる。何を考えているのだろうか。
ーー「俺を監視してくれないか?」
切り落とした言葉が脳内に蘇ってきた。
彼は確かにそういった。
ほかのどんな言葉でも言い回しでもなく、『監視』と言った。
自意識過剰じゃない。
私は、ここにいる人間が頭を抱えている問題の全てを、知った。知っていた。
元凶は私だ。
「知りません!」言い残して教室を飛び出す。
今まで走ったどの瞬間より速く、玄関に向かって走った。
行先は決まっていないが、じっとしているのには、もう我慢ならなかった。
『私の失態だ・・・・!』そう呟くさくらの口元は、口調とは裏腹だ。
廊下は、家の廊下よりもはるかに短く感じられる。昇降口を出てから、自分が内履きのまま外に出ていることに気が付いた。履き替えるか少し迷うが、何を急いでいるかそのまま走る。
階段に差し掛かった時、とうとう自分がどこへ行けばいいか分からなくなってしまった。
「天才ね」
これほどまで何も考えずに行動したことは、今までなかった。
いつから私はこんなにバカになってしまったのだろうか。
階段の一番上で、じめじめとした曇り空を見る目は、晴れた日より遥かに澄んでいた。
ざっざ、という行儀の悪い足音が聞こえる。
私は階段の下に目を落とす。
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交番の警官はバタバタと紙束を片付け、不審そうに俺をのぞき込む。
「未成年は飲んじゃだめだからね? 学校には言わないでおくから、親御さんの連絡先教えてくれる?」
「学校に連絡してください。親はどっちでもいいです。ちなみに学校の電話番号です」
そういって俺は学生証の電話番号欄を見せた。
「え、ええ・・・・」
警官は一層『気味が悪い』という顔をする。
「ちょっと待っててね」
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「で? なんでこんなことをしちゃったわけ?」
少年課の小野さんは苦笑いで話しかけてくれる。
「つい、何かしてやらなきゃと思って」
中二病ってやつか・・・・
小野は自分の瞳が生暖かくなるのを感じる。
「まあ分かったよ。君みたいな子が多いわけじゃないけど、それと同時に少なくもないんだ。これ以降、同じようなことをする気もないんだろう?」
「ええ。おいしくないですし、罰を受けるのも叱られるのも嫌なので」
若い人間の考えていることは、たぶん若い人間じゃなくなると同時に分からなくなってしまうのだ。
感慨深げに、買ったばかりのタバコをゴミ箱に放り込んでみる。
「なんか寂しいもんだな」
「何がですか?」
「ああ、何でもないよ。それよりあの交番の子、ちゃんとやれてたか?」
交番の子、というとあの要領の悪い・・・・
「微妙、ですかね」
「あいつも若いからな。あいつには分かるかもなあ」
分かる、分からないというのが詩には何を指すのかがわからなかったが、恐らく。
「分からないんじゃないですかね・・」
詩が思ったことを口にすると、小野は吹き出した。
「ハハハッ、まああいつには分かんないか!」
そして息を吐き、表情を少しだけ戻した。
「ま、君はあんなにまずい飲み物をわざわざ飲んだりしない。てことでいいね」
「はい」
「若者にはな、楽しみがこんなことのほかにごまんとある。その中で自分の興味惹かれる、安全なものがあるはずだ。それでも悪いことばっかりに惹かれてしまうようなら、またここに来なさい。今回だって、君の『目的』達成のために、他のやり方だってあったはずだろう?」
小野は肩に手を置いて語った。
詩は一度も『目的』だなんて話してはいなかった。
「「なんでそのことを・・?」」
「っていうんだろ?」
発言がハモってしまう。
「これは俺の特技なんだ。すごいだろ?」
小野は得意げに鼻をこすった。
「すごいです」
詩は心から尊敬してそういった。
「まあな。じゃあ学校まで送ってやるから行こうか」
「はあ・・」と大きくため息をつく。
これから待ち受けている試練と罰、それぞれに重圧を感じた。後者には特にげんなりした。
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強く吹きつける風は、ほんのりと雨のにおいを運んでくる。
窓の空いたパトカーの中に、いやなにおいが入ってくる。
俺は窓を閉めない。意地になって、閉めるのが嫌になってしまっていた。
彼女は雨が嫌いだった。
「なあ詩君、好きな女の子とさ、同じ趣味っていいと思わないか? 別に趣味じゃなくてもいい。例えば同じものが嫌いとか」
「・・・・・・確かに」
俺は窓を閉めた。
「雨、降りますよ」
「知ってる」
小野さんも前窓を閉める。
「テレパシーかなんかですか?」
いよいよ呆れて俺は突っ込む。
「さあなあ」
楽し気に弾んだ声が社内を跳ね回る。
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小野さんに頭を下げて校門に近づくとすぐに、ぽつりと一滴目を観測した。
ここからはゆっくりの時もあれば早い時もある。ここで濡れてはたまらないので、屋根のある場所まで急ぐ。
「あれ・・・・」
何もないところに躓いた足が、床から跳ね返っておかしな体制になってしまった。
こんなに走ったのは何か月ぶりだったろうか。そしてこんなに緊張したのは何年ぶりだろうか。
おそらく緊張については生涯一だった。
「疲れたな」
行儀悪くソウルをずりずりと擦りながら屋根下に向かう。
強い風がびゅうとふき、それに乗ってたくさんの雨粒が飛びついてきた。
ずいぶん濡れた鉄製の校門に、げっそりとした表情の自分が写っている。
「だらしねえ」
悪い気はしなかった。悪い気はしなかったが、『高校生が何をこんなに疲れてるんだ』と我ながら呆れる。
これから上る長い階段のことを思い、気が重くなる。
いつもは残り段数をカウントダウンしながら上るが、今日はあえて上を見ずに上り始めた。
正面から人の気配がするまでは。
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足音は、一歩ずつ階段を上がって来る。
視力のいいさくらには、その顔がはっきりと見えた。
詩は、上にいる人間の髪の色を見て、それが誰だかを確実に認知する。
「あ・・・・」
立ち止まったのは下にいる男だ。
ここまで来て、落ち着いてしまったのが原因かもしれない。完全に心身ともにガス欠だ。
雨は少し音を立てて降り始めた。しかしそれに負けない音がする。
コツコツコツと、階段を下る音。
ずんずん進んでくるさくらに、詩は少し後ずさりする。
「アインシュタインか」
突然、彼女はそういった。
突拍子もない発言に、腑抜けた表情を向けると、彼女は俺の額にデコピンを・・
パチンと、額と掌がぶつかる。平手打ちは額に赤く跡を残す。
ああ、大バカ者って意味か・・・・
時間差で理解し良くも悪くも、一層落ち着きを取り戻す。
取り戻した落ち着きは、直後半分ほど手からこぼしてしまう。
「なんで泣いてるんだよ」
目をこすったりはしない。まっすぐに、大真面目な顔で俺の目を見ていた。
だけど確かに、俺より少し低い位置にある目は少しだけ涙ぐんでいた。
『ええ泣いてますとも。驚いてしまったからね』
彼女は「泣いていない」と表面上で言った。
『なぜこんなことをしたの?』
「これで椿紅さんは俺を監視しなきゃいけなくなった」
飛んでくる掌を間一髪でかわす。
『もっと他にやり方があったでしょ? 私に直接言えばよかった!』
言っている途中で俺のほうを向いていた黒目はだんだん上を向く。多分、自分の行動を顧みているのだろう。
俺も同じ瞬間を思い返す。
ーー「俺を監視してくれないか」
客観的になってみると、少し痛いセリフだ。
「言っただろ?」
「言った」
「いや言ったぞ」
「言った」
なんて不審な会話なのだろう。自分してて笑えて来る。
「まあいいや、で、また監視役してくれない?」
「はああああああああ・・・・・・」とてつもなく、鯨の咆哮の如きため息を、わざとらしく吐く。『呆れた』という感情がありありと伝わってくる。
その最後、ほろりと水滴がこぼれる。雨粒よりもずっと大きく、冷たくもない、感情のこもった水滴が、ほろほろとあふれて落ちる。
『当たり前でしょ』
それもそうだ。俺はすっかりこの学校の癌だろう。
「本当にあなたは天才よ。秀才。今回はあなたの自己満足でしょ? 今まではそうじゃなかったのに。ほんっとうに賢い人だわ。前よりも賢くなってる」
彼女は涙を拭きもせず、ただ階段にこぼしながら続ける。
「ありがとう。嫌いよ。すごく」
スパっと言い切ると、すぐに背を向けて校舎に戻っていった。上履きを濡らしながら少し崩れたフォームで、駆け足で。
『すごく』『嫌い』か。
どうしようもなく嬉しくなるが、少し引っかかるところがあった。
「ちょっと好きってことじゃんか」
思い返せば、最初の『大好き』も、『少し嫌い』だったのかもしれない。
そうしたら大嫌いは『少し』『好き』というのだろうか。
「あー、もうわけわかんねえ」
一人で『お手上げ』のポーズをとると、ゆっくりと職員室に向かった。
もうやり切った。これ以上やることは、ない。




