#32 存在証明
武藤家には地下に空間がある。単純に組手などの訓練が出来るように建築されたもので、銀次は学習院に入るまでは毎日のように、入ってからも麻理鐘との軽い訓練でちょくちょく使っていた。
コンクリート丸出しの無骨な造りではあるが、それゆえかなり頑丈である。加えて広い空間というのもあって、異能さえ使わなければかなり暴れられる。壁や床には、そんな痕がところどころ見られる。
リリィが来てからは忙しく来る暇もなかったが、少し埃っぽいくらいで特に変わった様子はない。ちなみに香月は昔、銀次と喧嘩した際に癇癪を起し能力を暴発させ一酸化炭素中毒になりかけて以来、この場所には足を踏み入れていない。ただ彼女は彼女でやることはあるようで、さっきの部屋で紗江と共に話を聞くと言っていた。
そ そしてその地下の入り口横。ひとつだけかけられたホワイトボードの前に麻理鐘と蒼音、銀次は居た。さて、と麻理鐘は一息ついて、
「始めるよ、天才麻理鐘ちゃんの対能力者用特別戦闘理論講座!」
「わー……」
「……」
ぱちぱちと蒼音が小さく手を叩く。妹たちのテンションの変動に着いていけず、銀次は黙っていた。しかし麻理鐘は意に介していないようで、ホワイトボードにキュッキュッと文字を書いていく。書き上がったそれを読み上げながら、銀次は眉を顰めた。
「”一番大事なこと”?」
「そうだよ。戦う上で、一番大事なこと」
「なんだそれ。意味がいまいち……」
「いいから、浮かんだことを言ってみて」
質問が曖昧なのは、あえてなのだろうか。ふざけた前置きの割に、目は少しも笑っていない真剣そのものだった。意図も、麻理鐘が欲しているだろう答えも見当もつかなかった。銀次は少し考えて、迷いながらそれらしいものを解として選んだ。
「……敵に勝つこと、じゃないのか」
「生命活動を停止させたり、行動不能にするってこと?」
「そ、そうだと思ったんだが……」
「違う」
違うのかと、問うより速く否定が飛んできた。解を失った銀次を、麻理鐘はじっと見つめた。
「そういう結果的なものじゃないの。それ以前の話」
「それ以前……? 力量の差を図るとかか?」
「それも大事なんだけど……正解言うね、蒼音ちゃんお願い」
「正解は……何が自分にとっての勝ちになるかを、知ること」
蒼音は淀みなく、すらすらと答えた。聞こえた言葉を反芻するように呟いた。
「何が、自分にとっての……?」
「そ。ありがとね蒼音ちゃん」
「ん」
「よしよし。――――で、意味分かった?」
蒼音の頭をくしくしとなでながら、麻理鐘は再び銀次に聞いた。だがいまいちピンと来なかった。目線を少し下げて蒼音を見ながら、首を横に振った。理解したいのに、何かが自分の中でせき止められているいるような感覚。
「例えばそうだね、今回のことで言おうかな。兄ちゃんとリリィさんが初めて会った時を思い出して」
「初めて……?」
街の路地裏で偶然出会ったことがことの始まりだが、この場合は違うだろう。正確には、その後の戦闘のことを示すはずだ。
「青い炎使いとの時だな」
「そう。あの時は兄ちゃんしか居なくて、通信手段がなく、増援も期待出来なかった。あってる?」
正解だ。通信が切断されていたのは後々知ったことだが、どちらにせよその余裕はなかった。まして人を抱えたままでは逃げることも無理だっただろう。攻撃を受けた時点では距離があったから浮島までは移動できたが、それ以上の距離は確実に追いつかれる。
そこまで考えて、銀次は違和感を覚えた。自分の行動のどこにだろうか。答えにたどり着かないまま、麻理鐘は続けた。
「じゃあ、最後のショッピングモールの時はどうかな」
「あの時は……」
香月、リリィと別行動を取った瞬間だった。銀次は赤毛の女に、香月とリリィは櫂渚と二人に遭遇した。結果銀次はものの見事に惨殺され、香月はリリィを奪われた。
「……ていうか、そもそも敵の情報は知ってるのか」
「母さんがそのシーン記憶ごとくれたからね。兄ちゃんのもお姉ちゃんのも両方とも」
けど、と麻理鐘の目がすっと細くなる。見下すような、冷たい目。
「お姉ちゃんはメンタルがゴミ過ぎ。兄ちゃんは戦い方がお粗末過ぎて話にもならない。あの時から何も変わってないんだね。正直失望した」
凄まじい言葉だった。無論、愛あっての厳しい言葉だというのは理解できる。理解出来るのだが、銀次の受けた衝撃は相当なものだった。蒼音が居なかったら、本当に泣いていたかもしれない。
「まあ、それは後でいいかな。思い出してほしいのはそこじゃないの。赤い髪の女に負けた後」
「後?」
「そう。負けた後、敵の目から外れたよね。なのにその後また、半分暴走させながら突っ込んでいったじゃん。なんで?」
「それは、」
返答に詰まった。麻理鐘に隠し事は出来ないとわかっている。それでも、これは口に出来なかった。
「言えないようなら言ってあげる。あきらめたんだよね。勝てないってわかったから、意識トばしながらやけくそで突っ込んでったんだよ。違う?」
「っ……」
何も違わない。その通りだった。勝てないことが分かって、それでも何もしないわけにはいかなかった。だから怖くて、痛みが恐ろしくて、考えることをやめた。意識が戻る僅か数分すら放置したのだ。
「……けど、それがさっきの話とどうつながるんだよ」
「簡単なことだよ。別に敵を殺すだけが勝つってことじゃないってこと」
「うーん……」
「……言い方変えるね。あの時の目的は何だったの?」
「目的って、そんなの……」
言いかけてはっとした。襲われて即時応戦していたからかいつの間にか考えにすらなかった。もとはと言えば、それが全てだった。
「リリィを、守りたかった」
「そう。リリィさんを守れたら兄ちゃんの勝ち。守れなかったら負け。極論だけど、リリィさん自身に敵を殺してもらってもよかったんだよ」
次に麻理鐘が言うことを、銀次は読めた。目を真っ直ぐに合わせて、言葉を待った。
「敵の目を逃れたなら、助けだって呼べた。それであたしとか蒼音ちゃんが来て、敵を倒せたらそれで十分だよね」
銀次自身が敵を倒すことが勝利とイコールではない。銀次自身が必ずしも相手を上回る必要はない。
それはつまり、銀次が単体での戦力で劣るということ。認めた上で、他の道を探すこと。力不足を突き付けられたにも関わらず、銀次は驚くほど冷静だった。
いや、元々悲観的な話ではないのかもしれない。言い換えれば、例え戦力で劣っているとしても戦える可能性があるということなのだから。
「正直なこと言うとね、6日っていう時間は短すぎる。培った生きるための術は、そう簡単にはひっくり返らない。でもね」
麻理鐘はそこで言葉を切った。満足気な表情で銀次を見ていた。
「……兄ちゃんだけが全部背負う必要はないんだよ。絶望することもね」
銀次が今本当に欲しいのは、リリィ自身だ。助けたい。また笑って欲しい。
そこに銀次のプライドは要らない。リリィを助けるための方法はひとつじゃないのだ。
「……みんなが、いるもんな」
香月も麻理鐘も蒼音も紗江も楓もいる。一人ではないと、また気付かされた。
「……まあ、勿論勝つつもりでいどむんだけどね」
「わかってるよ」
心のつっかえが取れた。銀次とて、残された時間に対する不安はあったのだ。あれだけの連中を相手に6日間。厳しいことに変わりはない。
それでも、希望がある。
「俺に出来ることを、全力でやる。そのための方法を教えて欲しい」
「うん――――流石兄ちゃん」
「……流石」
「そんな大したこと言ってねえ」
思わぬところで褒められ、銀次は照れたように頭を掻いた。少しばかり、心に余裕ができたのだろうか。うんうんと麻理鐘は頷いた。
「さ、前置きはここまでにしよ。時間はいくらあっても足りないからね」
麻理鐘は手の平でホワイトボードの字を消すと、空いたところに新たに「己」と書いた。
「って、ちょっと待て」
「え、なんで」
銀次の慌てた声に、心底不思議といった表情で麻理鐘は振り返った。まさかこの授業のようなやり取りがまだ続くというのか。それは先ほどの言葉の割には、あまりに悠長に感じられた。
「なんでじゃなくて、時間ないのにこんなのんびりしてられないだろ。もっと訓練とか、能力とか使ったりとか……」
「あのね」
銀次の言葉を、麻理鐘はぴしゃりと遮った。静かに怒気を孕んだ声に、思わず気圧された。
「言ったでしょ時間がないって。なのに今までと同じことやって何が変わるの。言っとくけどね、普段の訓練なんて身体動かす以外に何の意味もないんだよ。実践も想定せず、緊張感もなくただ銃撃って終わりなんて弾の無駄以外の何なの」
それも随分と厳しい言葉だった。普段から思っていたことなのか、一言では終わらなかった。
「大体兄ちゃんにしろお姉ちゃんにしろ勿体ないんだよ。持ってる能力じゃ誰よりも上を行くのに。今回だって相手さえ特定出来れば誰だろうと負けさせないのに」
「相手さえ?」
「そう。対策出来れば誰にでもね……ていうかこんなの基礎中の基礎すら……」
麻理鐘がまた考え込むのを見ながら、銀次は少し落ち込んだ。ぼろくそに言われ放題だ。彼女の強さは知っていたが、それ以前の考えに随分と違いがある。いや、それも含めて力の差、ということなのだろう。
「……うん、決めた」
「麻理鐘?」
「今回の方針。いい? 敵が誰か分からない、数も把握できない戦闘だとね、経験が多い方が絶対優位なの。その経験が状況への対応力を産み、そのまま戦力になる。でも現状それが埋められない。なら、能力の希少性を生かすしかない」
「希少性?」
「死なない事。あらゆる損傷を再生できること。魔力を生産できるアイテムがあること……これを生かすしかない。種がばれてる相手との交戦を避けて、初顔合わせの敵の戦線を全力でかき回してもらう」
詰まることなく伝えられる銀次の能力。あまり詳しく伝えたことはなかったはずだが、完璧に知られているのは彼女の観察眼故か。
銀次が詳細を訪ねようとする直前、蒼音が口を開いた。
「……能力を知られている相手と、鉢合わせたら……?」
「できるだけ手段を尽くしてそうしないつもりだけど……」
そこで言葉を切って、麻理鐘はちらりと銀次に目をやった。
櫂渚梁と赤髪の女、そしてユキと呼ばれていた少女。彼らに会ったら……そう考えると、正直に言えば怖い。あれだけ嬲られて、力の差を嫌というほど思い知らされたのだ。手の内を知られている以上、戦うべきでないという話も理解できる。
ただ、本当のことを言えば。
そんな相手を避けてほかと戦うという「逃げ」ともとれる行為が悔しいのも事実だった。もっと言えば、奴らを倒し自分の手でリリィを助けたいという思いは、少しだって揺らいではない。
「……状況に応じて判断するしかないかな」
臨機応変。麻理鐘は言葉を濁したが、その意味は分かる。
戦力的に引く必要があるというのなら、強引にでも押し通らねばならない時だってあるだろう。
「わかってる」
自分がやらねばならぬこと、それがどれだけ難しいことだとしても。そのための方法を、今知るのだ。
「……戦い方を、教えて欲しい」
頭を下げる銀次に、蒼音も麻理鐘も大きく頷いた。じゃあ、と前置く。
「やろっか。身体の使い方に魔術の強化。気合い入れてよね」
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「向うも、もう始まっているでしょうね」
沈黙を破ったのは、水面を伝播するような静かな声だった。芸術とすら言える美しい立ち振る舞いを前に、紗江は愚か香月すら背筋を伸ばした。
「私たち始めましょう」
「ねえ、お母さん。銀次は」
「銀次さんは別メニューです。貴方達とは違う使命があります」
ばっさりと言われ、香月は言葉を失う。う……となにか言いたげにスカートのすそを握りしめた。
気持ちはわかるけどさ……と呆れたように紗江は息をついた。心配性な香月と言えば香月らしいが、自分も彼女も心配出来る立場にはない。だいたい自分だって泣き虫なくせに、なんてわざわざ言いはしないが、同じことを楓も思っているようだった。ふっと浮かんだ困ったような微笑みが、先ほどまでの印象を大きく変えた。
「貴方達には、貴方達にしか出来ないことがあるのですよ」
「だけど……」
「香月」
香月はぱっと振り返った。不安そうに瞳が揺れている。
「……あんたね、何がそんなに心配なの」
「だ、だって」
「だってじゃない。アイツのことを心配して自分のこと手に着かないとか、どれだけ信頼してないのよ」
「あ……」
はっと何かに気付いたような表情。今の言葉で気付いただろうが、紗江はあえてそのまま続けた。
「……アイツは信頼してほしいってずっと思ってたんだから、尊重してあげな」
「う、うん!」
「あらあら」
香月は華やかな笑顔を浮かべ、楓もにこやかに笑った。
二人の視線がくすぐったくて、紗江はすっと顔を逸らした。こういった素直な感情が苦手なところは銀次とそっくりなのだが、本人は気付いていない。
「貴方も銀次さんの事を大切に思って下さるのですね。嬉しいです、とても」
「別に……あたしはアイツに助けられたから、それだけです」
「えへへ、紗江ちゃーん」
「暑い。デカい。離れて」
浅間香月という少女はなかなかにスキンシップが多い。相手はほとんどが銀次だが、実は紗江に対してもなかなか激しい。
今に関して言えば押し付けられる柔らかい何かが非常に煩わしい。紗江とてスタイルに自信がないわけではないが、香月やリリィという規格外の二人を前には流石に霞んでしまうと言わざるを得ない。
「さて、そろそろいいでしょう」
楓が座りなおすのを見て、二人も姿勢を整えた。息を抜くのはここまでだとわかっていた。
「銀次さんのことは麻理鐘さんと蒼音さんに任せてありますから、心配はないでしょう。今回はむしろ、戦う上での下地を作らなければ」
「下地?」
「ええ。敵の数、戦力、目的、動機。それから場所や、リリィさんの状況を常に考えなくてはなりません」
「そんなに……」
紗江は思わず口に出してしまったが、それも仕方のないことだ。状況は既に一対一の戦いではない。多対多の戦いでの生命線は情報だ。故に扱いは慎重になり、厳重となる。ましてあれだけの団体だ。いかな手段であろうと、多くの情報を得ることは難しいだろう。
「こっちの動きは掴まれてないんですよね?」
「幸いなことに、相手方にそこまでの余裕はないでしょう。もちろん思考の片隅には置いてあるとは思いますが」
ただ、と一拍おいてから楓は続けた。
「……問題はそこではないのです」
「どういうことですか?」
「制限がかかる私の能力でも、ある程度なら敵の情報は探れます。そうでなくとも衛星にでもアクセスすれば敵の人数や地形くらいなら、情報として手に入れることはさほど難しくない。
……問題なのは、その情報を元に指揮をとれる人間がいないということです」
「麻理ちゃんはダメなの?」
「彼女を後方に置けるほど戦力に余裕はありません。それに彼女の身体能力は普通の人間と同等ですから、注意を割かせることはしたくありません」
麻理鐘は確かに強い。年齢こそ⒕歳だが、超えてきた戦場の数はかつて軍隊の指揮官にあった楓をも凌ぐ。膨大な死を間近にした経験の数々が、彼女の戦いにおける柔軟さと戦闘力の高さを産んだ。
だが、彼女自身はほとんど普通の人間だ。唯一持つ特殊な目には厳しい制約があり、長く使えない。
「そこで、私に考えがあります」
楓は紗江の手を握った。
「貴方にその役目をお願いしたいのです」
「え……は?」
一瞬、何を言われたのか分からなかった。真剣な目が真実だと言っている。だが、うまく理解できない。
「あたしが、指揮官ってことですか」
「その通りです。無論、全力でバックアップしますが」
「あー紗江ちゃんかあ。よろしくお願いしますっ」
「何納得してんの! いや、あたし無理です! 指揮とか、そんな」
こんな学校に通っていても、その本質は自警のためのものなのだ。本物の戦場など縁があるはずもない。その上銀次ですらあれだけの目にあったのだ。一般人より多少銃に詳しいくらいで勤まるわけがない。
だが楓は視線を緩めなかった。その眼は脅しているわけでも、無理強いしている訳でもなかった。ただ貴方なら、という信頼と確信が込められていた。
なぜだろう。自分のどこに、そんなにも信頼される部分があるだろう。ただそこで、ふと思った。
もしかしたら、銀次も同じ気持ちだったのではないだろうか。自分が分からず、それでもずっと戦ってきたのではないだろうか。
だとすれば、銀次と同じ目線で立てる人間がいるのなら。
「……あたししか、いないんでしょうか」
楓は深く頷いた。
根拠も自信も技量もない。それでも信頼してもらえたことはただ嬉しくて、少しだけ、紗江は泣いた。
残された六日間は、すでに始まっていた。




