#31 決意
「お願いします」
楓は、畳に擦りつけるように下げられた銀次の頭部に目線を落としながら静かに息をついた。その後ろで香月も頭を下げ、紗江は戸惑いながらもそれに倣う。
「……顔を上げなさい」
「お願いします」
「わかりましたから、顔を上げなさい」
銀次は言われた通りに頭と、そして視線を上げた。正面から目を合わせ、楓はもう一度溜息をついた。
「……思い出しましたか?」
「全部」
「香月さんは?」
「わ、わたしもです」
「……では、貴方は?」
「あ、盟夜紗江って言います」
「それは知っています。そうではなく、なぜこの場に居るのかということです」
「武と……銀次に助けてって言われたからです」
「事情は理解されていますか?」
「はい。リリィさんのことなら」
「そうですか」
紗江は毅然とした態度で告げた。それは感心するに値することであったが、納得はしていなかった。結論も言わぬうちからどうして他人を巻き込んだのかと、息子の行動に苛立ちすら覚えた。
「……まあ、それは後にしましょう」
こほんと咳払いをした。あまりぐちぐちというのもみっともないだろう。真っ直ぐな目で問う。
「どうするか、決めたのですか?」
「はい」
銀次は即答した。
「俺はリリィを助けたい。だから、そのために必要なことを教えて下さい」
お願いします、と銀次は再び頭を下げた。
楓は銀次の言うことを分かっていた。それでも、快くうなずくことは出来なかった。
「それが修羅の道だと、わかっていますか?」
「はい」
「貴方にとって大事なものを失うことになるかもしれません」
「そうならないようにしたいんです」
「それはそうでしょう。ですが、私は反対です」
銀次の背中が反応した。その返答は予測していなかったのだろう。後ろで香月が涙を堪えるように顔を下げた。
「なんでですか」
「むしろ私こそ聞きたいですね。彼女は助かることもできた。しかしそうせずに抱えたものと向き合うことにしたのでしょう。ならば他人の私たちに関わる道理はない」
「……望んでそうなったわけじゃない」
「確かにそうでしょう。しかし貴方も同じだ」
「俺は」
弾かれるように銀次は顔を上げた。脳裏に浮かんだ光景は、生命を失ったその日。
あの子だけは助かってください。おれはどうなってもかまいわないから、それでも。そんな願いを、悪魔が叶えた。
「自分からそれを望んだ。誰の所為でもない」
「そう思っているのは貴方だけです」
「ならなぜリリィは違うと言うんだ!」
銀次の身に起きたことが同情に値するというのなら、リリィも同じではないのか。
「お願いします。俺はあいつに助けられた。言ったら俺を傷つけるとわかって、それでも覚悟して言ってくれた。だから」
「私は!」
楓は強い口調で銀次を遮った。初めて見る母の様子に、思わず押し黙る。
「貴方に強くなってほしくない」
その言葉の意味が銀次には分からなかった。熱くなった頭から熱がすっと引いていく。
「こんな世界でも、この狭い町の中なら十分生きていけるでしょう。香月さんも、みんなが居て、それで十分幸せじゃないですか。これ以上、私はなにも要らない」
「……リリィにかけた言葉は、嘘だったんですか?」
「いいえ」
その否定もまた、強いものだった。
「もしリリィさんが家族となるのなら、それはそれでよかった。ですが私にも優先順序がある。貴方達を傷つけてまで彼女を助けようとは思いません」
黙っていた紗江は眉を顰めて、
「……自分で銀次を助けること、は出来なかったんですか?」
「武藤楓という個人の存在は兵器と同じなのです。この家から一歩出た瞬間にいくつもの衛星が私を見張る。敵意を向けられない限り、能力を行使することはかなわない」
使えばどうなるか。それを口実に多くの悪意が楓の能力を奪いにかかるだろう。蒼音の心臓も麻理鐘の眼も同じ運命を辿るだろう。そうなれば、この幸せな暮らしは二度と手に入らない。
「……銀次さんも香月さんも、才能がある。よい指導者さえいえればきっと誰よりも強くなる。それこそ、リリィさんだって助けられるでしょう。でもそれがなんだっていうんですか。敵をつくって、強くなって、それを繰り返してどうなるっていうんですか。畏れられて、奪われないように強くなって、繰り返して。血塗られたみ道を歩くしかなかった私が手に入れることができた貴方達という幸せを失いたくないと思うことが、間違っているのですか!?」
「……それは」
銀次は言い淀んだ。あれほど凛として、冷静であった母が取り乱していることに胸が詰まる。大粒の涙が畳の上に落ちていった。
「私は鋼さんに恋をして、夫婦になりました。しかし子を産んだことはありません。その前にあの人が亡くなって、そして貴方たちが残されました」
もう十年も前のこと。親を亡くした香月と、親すら知らぬ銀次を引き取った。
「好いたひとに死なれ、その次の日には母になれと。そしてよく泣く子と、まったく笑わない子。どうやって生きていこうかと不安しかありませんでした」
懐かしい日々を思い出して、楓は泣きそうな表情のままふふっと笑った。その表情を見た銀次の心が強く痛み出した。
本当に誰かを愛してる人は、皆そう笑うのだ。優しく、愛おしそうに。そのたびに自分の浮かべている表情が分からなくなって、銀次は自分自身すら分からなくなる。まして相手は母だ。真っ直ぐな心が突き刺さってくる。
「不安で悲しくて、それでもぎこちなくおかあさんって呼ばれたら嬉しくて。いつの間にか私は幸せでした。麻理鐘さんが来て、蒼音さんが来て、紗江さんやほかの友達ができたのも、私は嬉しかった」
「……でも、ずっと心が重かった」
「わかっています。でもそれも、私が解決すべき問題ではなかった。貴方に、貴方を愛し大切にしてくれるひとが居ることを知ってほしかった」
「それをリリィが教えてくれました」
「そうですね。だから中途半端に、貴方に記憶を残してしまった」
楓は複雑な表情を浮かべた。母として幸せになってほしいという気持ちと、親として目の前の理不尽を超えていってほしいという気持ちが入り混じっているのだ。
そのどちらが正解で、不正解なのか。多分答えは、ない。
「……母さんの言いたいことは分かりました」
「納得はしては、くれないのですね」
声音に隠された悲しい響きに、思わず土下座しそうになった。とんでもない親不孝。それでも、今は折れてはいけなかった。
「正しいと、思います。でもだめだ。今ここでリリィを見捨てたら、俺は自分を嫌いになる」
「今までだって……」
楓を遮って、銀次は続けた。
「それもわかってます。いままでだってそうでした。ずっと逃げてました」
でも、と。
「俺はもう逃げたくない。例え辛くても、自分を大切に思ってくれる人と真っ直ぐに向かい合いたい」
「……そう、ですか」
楓は視線を落とした。言葉を待ちながら、ふと思った。
こんなふうに主張をしたのはいつ以来だろうか。義務感でも同情や憐憫でもなく、心から誰かを助けたいと思ったのは。
「……久しぶりに、貴方の声を聞いた気がします」
「……ごめんなさい」
「謝らないで下さい。間違っているのは私なのでしょう」
赤い目のまま、楓は微笑んだ。
「……貴方達が私と同じ未来を生きるわけではないのですから」
「俺も、ほかの誰かも泣かないように」
「そうですね。幸せな未来を、証明してください」
「それじゃあ……」
ええ、楓は頷く。よっしゃ!と銀次は声を上げた。
「じゃあ俺……」
「お待ちなさい」
部屋を出ようとした銀次を、楓はなぜか一本背負いで中に投げ戻す。
「まだ重要なことを話してません」
「わざわざ投げ飛ばす意味!」
「アンタが避けないのが悪いんじゃん」
「うるさいよ!」
にやにやと何か言いたげな表情が憎らしく見える。まさか背負い投げをくらうとは思わなかったのだ。
「……まあいい。なんですか、大事なことって」
「貴方はアホですか。リリィさんの状態も聞かずにどうするんですか」
「……おおーう」
そうだった。忘れていたわけではないが、麻理鐘が無事だと言っていたからそれで十分だと思い込んでしまっていた。勿論、十分ではない。再び正座する。
「単刀直入に言います。期限は6日です」
「6日?!」
「私の占いとて完璧ではありません。不安定な要素が多すぎて完全な予知ができません。ですから最低6日。これよりは短くはならないと思いますが、それも事次第では変わるかもしれません」
「オーバーするってことはつまり……?」
「彼女は死にます。殺されるか、あるいは自ら命を絶つか」
予想していたとはいえあまりに切迫した事実。頭から熱がすっと引いていく。
そんな結末は自分にとって避けなければならない。だがいくらなんでも足りない、時間が少なすぎる。しかし銀次が昨日まで意識を失っていた2週間を足せば20日。リリィがいくら強力な能力を保持してるとはいえ、当ても後ろ盾もない状態であれだけ数と戦力の整った集団を相手にしているのだ。リリィの状態を考えればむしろ6日もあると捉えるべきなのかもしれない。
しかし楓は極めて冷静に、
「まあ、大丈夫でしょう」
なにがだ。銀次は思ったが、言うべきではないと知っていた。
「これが普通の人間でしたら私も考えますが…………運のいいことに、貴方は死なない」
「いや確かにそうですけど……」
「その身体の使い方を知りなさい。麻理鐘さん」
「はーいっ!」
呼ばれるやいなや、派手に襖をあけながら赤い髪の少女が姿を現す。そして勢いをつけたまま、銀次の襟をとり派手に投げ飛ばす。ドオン!と大きな衝撃が身体に響いて、銀次は顔を歪めた。
「なんでいちいち投げるんだ! 普通に来いよ!」
「兄ちゃんが避けないのが悪い」
「うるせえ!」
謎の共通の見解。だが言われた通りではある。銀次が戦う上で核となる体術すら二人より劣っているということは、前から分かっていたことだ。
そして足りないのはそれだけじゃない。霊装、魔力の扱いや経験を埋める戦術など上げればきりがない。何より、誰かを背に守りながら戦える強さがいる。
「……くっそ。頼むぜシスター」
「耐えられる? オヌヌメしないよ?」
「やるっきゃねえだろ」
なんだってやってやる、と挑戦的な目。麻理鐘もテンションを抑えられない。こういう目の銀次を見たのはいつ以来だろうか。ただ、理由はそれだけではない。
「9回裏の大逆転見せてやる」
「なに言ってんの、9回どころかまだ始まってもないよ」
「え、まじで」
「サクセス武藤銀次育成編のポジション決めたくらいだよ」
ついでに言えば初期能力はオールG。麻理鐘に言わせれば、ここはスタートの手前。
だがその中身は体力無限のチートモード。永久練習可能の人外だ。
「6日間、やってあげるよ。最強の兵士にしてあげる」
にぃ、と二人が似たような表情で笑う。部屋の外で静かに待っていた蒼音は、緊迫していた顔を緩ませた。
楓は目元をぬぐいながら、困ったように微笑んだ。紗江はそんな光景に、初めて知った銀次の表情に少しだけ見惚れていた。
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闇には殺意が混じっていた。そして一つではなかった。複数の人間が、あるいは人ですらない何かが、自らを殺すべく迫っている。
その状況を理解して、リリィは大きく息を吸った。もはや猶予は残されていない。朽ちかけた民家の裏に身を隠しながらやがて呼吸が整うのを待つ。身体のあちこちに鋭い痛みが走った。
これが銀次だったら、このくらいの傷はすぐになおってしまうのだろう。ふと思った。
銀次らと別れた後リリィはまず南へ、かつて関東と呼ばれた地へ向かった。大きな山を越えることや、より強くなる寒さや降雪など厳しい環境があることは分かっていた。が、それは追っ手も同じこと。雪があるから融かせば水になるし、動物を殺せば食料になる。何より他人を巻き込むことが怖かった。人のいる場所を避けなんとか海沿いにたどり着く。追っ手を撒けなかった場合は迂回して山中を通りながらほかの道を探す。それがリリィの考えだった。だが、
(甘かった……! ここで潰しにくるなんて……!)
敵の思惑の不一致。これまではどこか完全に命を絶つことを恐れているような節があった。強力な力を持つとはいえ、集団である以上数的な理は向うにある。これだけリリィが長期的に逃げ続けられているのは、そこに不自然なまでの綻びがあったからだ。
殺したくないということ。それはつまり、リリィの能力が失われることを恐れた人間がいることを示す。それこそが敵の中の味方。
それが今回は作用していない。理由は定かではないが、どうあれリリィは自力で逃げるほかないのだ。
助けもなく、眠れる場所もなく、限界に近づく体力を回復させることも叶わない。そんな状況で、いつまで……?
(ギンジ……ねぇ……)
答えは分かっている。が、口に出す訳にはいかない。繋ぎとめてもらった命を、ここで終わらせることはしたくなかった。
決まった運命。それでもせめて、自分からあきらめることだけは絶対に。
「それだけは、ダメ……。……!」
気付けたのは僥倖。反応できたのは奇跡に近い。
降り注ぐ無数の弾丸。音よりも速く、生身の身体など触れた瞬間粉になるであろう威力。リリィを狙う敵の奇襲。
ここまで接近されていたのに、気配が全くと言っていいほど分からなかった。
(まず――――)
衝撃と轟音。積もった雪は地面ごと吹き飛ばされ、爆発のような土煙が立ち込める。しかもその範囲は、リリィの周囲10メートルに及んだ。欠片すら残さぬような、念入りな爆撃の如き弾幕。
「当たった……?」
「まだだ! 撃て!」
暗い木々の狭間から複数の声と、激しさを増す銃撃。
先手必勝。強大な戦力を前に、これ以上ない程適した戦術。実行できるだけの統率と技量は優秀と呼ぶ他ない。彼らは考え得る限り最良の選択をした。
だが――――それまで。
もうもうと立ち込める煙の中、黒い獣はゆっくりと目を覚ます。鉛の雨が続くその中で、怒りの灯がともる。心地よい眠りを妨げた愚者に。
その獣に常識などない。戦術も統率も、人の足元で蟻が右に曲がったか左に曲がった程度の違いでしかない。
間違ったのは彼らではない。間違えたのは、その異能を産んだ神だ。惑星すら蝕むようなそれは、誕生したことそのものが最大の過ちだった。
“朽庭の王”。
黒い炎は燃やさない。ただ触れた全てを腐敗させる、ありえざる異能。
背中から浮かび上がる6枚の羽。この世の邪悪全てを凝縮したような悍ましい黒。
(ああ――――)
この浮遊感。この快楽。自分の表情が醜く歪んだことに、リリィは気付いていない。ただ今だけは、この殺意の海に身を預けている間だけは、何も考えなくていい。深く、深い眠りに――――
膨れ立つ魔力。生をゆるさない最強の異能が、全てを飲み込んだ。




