#33 作戦会議 1
「さて」
最初に口を開いたのは楓だった。すっと伸びた背筋に沿うように伸びた髪は首の裏で纏められている。服装もいつもの和服ではない。左胸に軍の紋章が縫われた、針川学習院の教員にのみ用意される特注の制服。つまりは軍服である。有事以外で身に着けることは勿論許されていない。
今目の前の問題がそうであるのか、それとも彼女の独断なのか香月に問う勇気はなかった。以前楓がそれを纏った日のことを、出来れば思い出したくなかった。
「大まかな予定について話しましょう」
言葉を聞くと同時に、紗江の背筋がすっと伸びた。
「今日の日付が一一月二九日……予知が潰えるのが一二月五日の午前零時」
重い塊を吐き出すように楓は言った。
「その間が、六日間」
顔の前で手を合わせ、もう一度長く息を吐いた。時間はあまりに短く、そして重い。それが改めて分かっただけだった。
「……私が戦えないことを、これほど悔いたことはありません。本当に、申し訳ございません」
「あ、謝らないで! お母さんが悪いんじゃないもん!」
香月は楓の謝罪に慌てて反論した。
「あたしなんて、あの場所に居たのになんにも出来なかったし……銀次も助けられなかったし……だから」
言葉が上手く出てこなかった。ずっと思っていたことが濁流のように押し寄せて、出口を失っている。
ずっと銀次に頼り切りだったこと。助けられるばかりで、何もできなかったこと。それらをどれ程後悔したか。
「……これからは、わたしががんばるから。 だから大丈夫だよ!」
香月は強い光を眼に宿らせて言った。その後で、年相応の少女のようにえへへとはにかんだ。
「…………」
楓は呆気に取られていた。そんな言葉を、まさか娘から聞くとは思わなかった。驚くほど心が軽くなるのを感じた。
「……ありがとう。貴方は優しい娘ですね」
「そんなことないよ! えへへ……」
普段は大人びて見える香月だが、笑う時の表情は驚くほど柔らかい。同性の楓ですらどきりとする時がある。
ふと、楓はいたずらっぽい表情で、含みを持たせて言った。
「これで、もう少し銀次さんに大胆だったらいうことはないのですが」
「へ?……!?」
ワンテンポ遅れて意味を理解した香月は、真っ赤になって飛び上がった。否定しようにもあわあわと口が回るだけで言葉にならない。
……なるほど。銀次の気持ちもわかる。楓は口の中で呟いた。
「書類などをいちいち別口に書くのも面倒ですし、早く苗字を変えて下さいませんか? おや、確かこの街は一六歳からそういった制度が認められていたような」
その名前を言わなかったのはもちろんわざとである。にやにやと実に楽しそうな表情をうかべている。
……何か見た事ある。強烈な既視感を覚えたが、紗江もまたあえて何も言わなかった。この親あってあの息子である。
ひとしきり笑って、楓の表情が変わった。
「……まあ、前置きはここまでにしましょう。何しろ、時間がない」
「うー……」
香月は不満げな表情を浮かべ唸る。状況は分かるが、変わり身の早さにはどうも納得出来ない。
楓はそんな香月に構わず、テーブルの上にガサガサと大きな紙を広げた。それは昔の、«忘却の日»以前の、地形が変わる前の何の変哲もない日本地図だ。腐敗による地形の変化も、汚染による危険区域の警告も描かれていない。
「地図?なんで紙?」
「しかも、最近のやつでもない……」
紗江は卓上の地図をしげしげと眺めながら言った。授業で扱うものや資料のほとんどがタブレット端末やホログラムであるため、アナログな紙の地図など見るのは久々だった。まして昔のものとなればなおさらだ。
「……って、まさかお母さん」
「機械の扱いは分かりません」
あぁ……と、香月は思い出したように呻いた。
楓は機械の扱いに非常に疎い。携帯はおろか、家電すらうまく扱えた試しがない。
「あの、ホロで地図出しましょうか?」
紗江は控えめに提言した。
「いえ、それには及びません」
「なんで? そっちの方が分かりやすいと思うんだけど」
「そうですよ、禁止区域表示も更新されてますし……」
「それは分かっています。今のは半分冗談です」
ならばなぜ、と香月が問う前に楓は言った。
「……この家は、良くも悪くも注目度が高い。嗅ぎつかれないように出来る限りアナログな手段で話を進めていきたいのです」
「……注目度?」
「私のことを銀次さんや香月さんから聞いていませんか?」
「あまり。あたしから聞くのも変かなと。この学校に来たのも最近ですし、噂程度にしか」
「なるほど……」
ふむ、と楓は少し考えた。
武藤家の人間でない彼女に、果たしてどこまで話していいのだろうか。そもそもこの話自体、正しいかどうかわからない。
「今からする話は、全て私の憶測です。思うことがあれば終わった後で指摘して下さい」
楓は視線を落としながら、楓は地図の上、針川市の中央に印をつけた。今いるこの場所を示しているというのは、二人は言われなくても理解できた。
楓はそこから数センチペンを走らせ、止めた。逆さの位置にいる香月は字が見え辛かったが、無理に地図を自分の方に向けようとは思えなかった。
「……浅間山」
紗江の口からその文字が零れた。その名前は香月も聞いたことがあった。ただ、今いるここからは遠く離れている。
うなじに氷柱が落ちてきたような鋭く冷たい悪寒が身体を包む。印の意味がうすうす理解出来て、決してそうであってほしくないと目を反らしたかった。
だが、逃げないと決めた。ぐっと、拳を握り絞めた。
「……ここが」
「リリィちゃんの、居場所」
自分の言葉を奪った香月を、楓は弾かれたように見つめた。よく、よく言った。
恐れを秘めながら強く在るその瞳を、素直に褒めたかった。しかし、今そんなことでいちいち立ち止まっている時間はない。
「針川を出た彼女は、徒歩移動と公共機関を複数経由してこの地を離れました。今いると思われるのがこの場所です。この時の名で長野……あなたたちには、エリア一八と言った方が分かりやすいかもしれませんが」
「公共機関?」
「ええ。彼女は携帯を所持していますから」
確かに、リリィは携帯を持っていた。しかし彼女もまた機械には疎く、銀次が付きっ切りで教えたが、電話やメールなど簡単な操作がやっとの状態だったはずだった。
「確かに学習院系の生徒なら、携帯を持ってれば乗れますけど……」
「どこで知ったんだろう? ていうか、ケータイのことすっかり忘れてた……」
香月はしまったというように頭を抱えた。所持しているのなら、あるいは連絡することだってできたかもしれない。
「……そのような覚悟で私たちのもとを離れた訳ではないでしょう」
「だよね……」
そのとおりだ、と香月は頭を掻いた。しかし、二度と会わぬつもりだったのだからそれはそうだろうと思う一方で、ならばなぜ捨てなかったのだろう、とも思った。
「ううん……つまり、リリィちゃんはバスとか電車乗って移動してたってことでいいんだよね?」
「はい。各駅や複数の場所で彼女の姿がで彼女の姿が確認出来ました。GPSのルートとも一致しています」
「確認?」
「私の能力で彼女の姿を確認しました。これ以上は言いません」
そうはっきりと言われては何も聞けない。能力を自分から語り出す人間はそうはいないが、楓の口調からは何か違う意図があるような気がした。
(ていうか、わたしもお母さんの能力知らないし……)
無論、全てを知らないわけではない。ただ、いくつか知っている能力に関する作用が幅広過ぎて、その根底が想像できないのだ。国レベルで危険視され、人目を憚らなければならぬ能力。知ることが出来ないのなら、いつか教えてくれる日が来るのだろうかと、そう思うほかなかった。
「そしてここまでは、今の話です。問題は彼女が、この先どう進んでいくかということ。つまり」
「どこへ向かっているのかってことですか」
楓は視線を落とした。
「これこそ、予測でしかありませんし、当たっているかはわかりません。ただ、もし彼女が目的を持って逃げていると仮定すると」
「すると?」
一〇秒ほど黙ってから、楓は地図の上の先ほど印をつけた処から再びペンを走らせた。
その軌道の行方がやけにゆっくりと見えたのは、香月だけではなかった。まさか、という言葉が紗江の喉を塞いで出てこなかった。
「……嘘、だよね」
「……」
「こうとしか、考えられないのです。あの近辺は山中とはいえ、軍部の手が入って整備された道が何本かあります。その全ての終着点が……」
ペンの先が止まった。その場所の名は香月も紗江も知っている。知らない人間などいないだろう。
「エリア1……かつての名で、東京」
思わず息が止まった。楓は、一息に言った。
「日本から独立し、戦争の為に生まれ変わった要塞国家に――――通じているのです」
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奇妙な部屋だった。窓もないのに風が通り抜け、照明もないのに夜明けのように明るい。しかし何も存在しない、一〇メートル四方の白い空間。
その部屋の中心に十五歳よりは上に、十七歳よりは下に見えるくらいの少年が一人静かに座っていた。目は開いているが、特に何かを見ているわけではない。ただ虚空に目をやりながら、浅い呼吸を繰り返している。
『起きろ、八番目』
その声は部屋の外から響いてきた。少年の注意を向けること以外の意図を含まない、無機質な音声。
少年は口の端を僅かに歪め、静かに腰を上げた。
「眠らせたのは、君たちじゃないか」
返答はなかった。八番目と呼ばれた少年は部屋の中を歩き、身体を軽く伸ばした。身体を動かすことも話すことも久々だった。
「こんなところに閉じ込めておいて随分な挨拶だね。 おかげで言葉を忘れるかと思ったよ」
その言葉にも、答えが返ってくる気配はない。それは少年にとっての普通だった。話すと言いつつ、会話が成立したことはない。理由は知っている。
笑みを湛えたまま、あえて少年は声を投げる。
「少しくらい答えてくれてもいいじゃないか。 大人しくこんなところに居てあげているんだからさ。 せめて差し入れの一つや二つあるべきだね、出来れば本と果物がいい……あまりに退屈だから、ここは」
言葉の中で、少年は自らに驚いていた。すらすらと思ってもなかったことが溢れてくる。
その感情の名に覚えがある。苛立ちだ。
「ああ不思議だね、僕にしては気分がささくれているよ。退屈と勝手な言い分にひどく怒りを感じている」
『……』
«外»からわずかに緊張した気配が伝わってくる。分かりやすい、と少年は鼻で笑った。自分達で造った化物に、飼い主がおびえているのだ。滑稽にも程がある。
次はどういってやろうかと考えていると、意外にも«外»から言葉が来た。
『«禁忌の種»が見つかった』
「……へえ?」
それは、可能性すら考慮していなかった一言だった。ふつふつと湧きかけていた怒りが、すっと透き通るように静まっていく。
「それで僕を起こしたのか。それは一大事だ」
『捕獲を頼みたい』
「……正気かい? 異界の王を相手に?」
『まだ覚醒はしていない』
「ふうん……」
変わらず笑みを浮かべる少年の目の前に、一枚の画像が投影される。映っているのは、輝くような銀髪の少女。年齢は恐らく同じくらいか少し上。雪の中、倒れるように眠り込んでいる。
「これが蝿王の継承者か……」
意外だった。どういった想像をしていたわけでもないが、強大で邪悪なそのチカラを受け継いだ人間にはあまりに似つかわしくない美しさだった。
頬がこけ、泥にまみれながらも一切の輝きを失っていない。美しい、とそれ以外の言葉が見つからない。自らの笑みが内包する意味が変わったことに、少年は気付かなかった。
「当然、殺してはいけないんだろう?」
『無論。王とはいえ未覚醒だ、問題はないだろう』
問題はない――――だが少年の興味は最早そこにはない。この少女から目が離せない。この感情をどういったらいいか、それすらどうでもよかった。
「ねえ――――」
『なんだ』
「この娘を捕まえてどうするんだい? 兵器以外、何の価値がある?」
『……』
聞こえたのは沈黙だった。少年は確信した。なるほど、それで僕なのか。
「六番目と七番目には、頼めるわけないね……くく、くくく、なんて悪趣味……」
『七番目は既に行っている』
「なら尚更、僕が行くしかないね。櫂渚の本気はマズいだろう。だが、条件がある」
今度は沈黙も返答も待たなかった。ごちゃまぜの欲望と狂気のみを孕んだ笑みで、少年は言った。
「彼女の兵器以外の価値を僕に譲れ。 それを呑むなら僕が出よう。国の一つや二つ消し飛ばしても、彼女だけは無傷で取り出してあげよう」




