#24 武藤銀次とローズレッド
その夜、銀次は夢を見た。
ひと気のない道を歩いている自分が、やがて辿り着く海で少年と出会う。そしてその少年に背負われている。
ぼんやりとしていたけど、確かそんな夢だった。その少年が家の玄関を開けたところで、目が覚めた。
布団に包まれて、やんわりと眠気に襲われる。
(……変な夢……?)
というより、それは本当に夢だったのだろうか。強引に頭の中に映像を垂れ流しにされたような不思議な感覚が残っていた。
能力を持つ人間は稀に自らの深層意識を他人と共有させることがあるというから、武藤家に能力持ちの人間がいるということを鑑みればそれの方が正解かもしれない。
銀次は考えた後で、あり得るなら後者だろうと思った。自分の見る夢があんなに平和だったことがないからだ。うなされるような悪夢ばかりを見てきた。
随分と、平和だった。本当に、心が安らぐようだった。
(………センチメンタルが過ぎるなあ)
そもそもタイミングがおかしいのだ。この頃は特にいろんなことがあった。死ぬ回数が半端なく増えた上に、なかなか気分が休まらない。
けして居心地が悪いわけではなく、騒がしいけれど、充実している。それでも気苦労は絶えない。まだまだ全部が終わったわけではないのだ。
ぴりりりり、と目覚まし時計がなった。
今日は土曜日。強制訓練のある中等部と違い、高校生は自由だ。そのため麻理鐘も来ない。
間違いなくテンションが上がるはずだったのだが………なんだか白けてしまった。
パチリと目を開く。その瞬間、そのタイミングを心から後悔した。黒い瞳とがっつり目が合った。
「………なにしてんのお前」
「はぁ!? こ、こっちの台詞だしっ」
「いやこっちの台詞だよ。ここ俺の部屋なんだけど」
「い、いつまでもそんな天下が続くとおもったら大間違いだしっ」
「なんの下克上だよ」
銀次の左隣にで布団にくるまる香月の姿があった。なぜか銀次の腕を抱いたまま口を尖らせている。よくあるわたし怒ってますよアピールだ。
銀次は呆れて、
「……ていうか本当になんでいるの?」
「そ、そんなの右側見たらわかるしっ」
「右側? …………あーまたか」
反対側を向いた銀次は納得する。
そこには気持ち良さそうに寝ているリリィの姿があった。乱れた銀髪に朝日が乱反射してとても綺麗だ。不思議な神々しさがあった。
彼女はしょっちゅうこうして布団に入ってくる。誰かが隣に居ないと眠れないらしい。それなら香月とか母さんのとこでいいじゃん、というと、
「………ギンジは我といっしょが嫌なのか……?」
嫌じゃないです、と即答した。逆に断れるやつがいたらお目にかかりたい。
そんな訳で毎日ではないがちょくちょく彼女は布団に入ってくるのだ。
「またか、じゃないし! なんでリリィちゃんは良くてわたしはダメなの?!」
「リリィだって許可したわけじゃねえぞ」
「それでもだし!」
寝ながら話しているせいで非常に顔が近い。朝一だというのにいい匂いもする。なぜ同じシャンプーやら洗剤を使っているのにこうも差がでるのだろう。銀次は恥ずかし紛れに顔をそらしながら、
「お前は我慢出来なくなって襲っちゃうからダメだ」
「へっ!? 」
「お前は寝相悪いからダメだ」
「言ってること違うし! なんなの!銀次のばか!」
「聞こえてんじゃねーか」
真っ赤になって怒る彼女を見ながら銀次はため息をついた。銀次は香月をからかうのが好きだったが、起きぬけに騒がれるのは本意ではない。
起きようと思っても両腕を掴まれていては体が動かない。香月に負けず劣らず、リリィも強く拘束している。寝ているのにその力はどこからでてくるのだろうか。
「ほれ起きろリリィ。怖い怖い香月ちゃんが怒ってるぞー」
「ううん…………鉄火丼、490円………」
「どんな夢見てんだ。いいから起きなさい」
リリィは朝が弱いのかなかなか起きない。というか香月が手を離せばすむのだが、そうしないのは女の意地なのだろうか。
死人ではあるがそれ以前に銀次もお年頃なので、女の子との同衾が嬉しくないわけではない。だが間違って手を出してしまうと後が怖い上に、そういうことはほんとうに大切な人とするべきだという自論により、あまり歓迎するべきことではなかったのだ。
壊れやすいものを触るようにリリィをゆすると、香月が不満気な声を上げた。
「むー……起こし方が優しくない?」
「そんな変わらへんわい。つーかリリィは日が浅いんだから大目に見てやれよ」
「それとこれは別問題だし! わたしだって、銀次に優しく起こされたいし………」
「…………………」
そうは言っても、香月は日常的に朝食をつくっているので朝はかなり早いのだ。彼女を起こす時間に起きるとなると、いまよりも一時間は早く起きねばならない。授業中に大爆睡こくこと請け合いである。
それにしても今日はやけに大胆なこと言ってるなあ、と銀次は思った。リリィに妬いてるのかもしれない。
視線を下げてもじもじすら香月を見ながらため息をひとつ。そういったリアクションは年頃の少女相応で可愛らしくて反応に困る。
銀次はもう一度照れ隠しに頭をガシガシと掻こうとして、手が塞がっているのに気付いた。少し考えて、こつんと香月の額と自分の額を重ねた。
「そういうなって。また一緒に昼寝してやるから」
「………腕枕は?」
「……いいだろう」
「やたっ。約束だからねっ」
香月は銀次の腕を離して、指切りげんまんをした。緩みまくりの表情を真っ赤にしながら笑っていた。
上手く誘導されたようで腹がたったので、銀次はぐりぐりと額を強く押し付けた。
「………嬉しそうな顔しやがってこのやろう」
「きゃー♡」
ついでにわしわしと髪を撫でてやる。女はあまり髪を触られるのが好きではないと言うが、その様子が見られないのは信頼されているということなのだろうか。笑顔が急に憎らしくなる。
「こうしてやるっ」
「あはははっ、くすぐったぁいっ」
身体中を弄る手に、香月は身をよじらせる。その反応が面白くて、銀次は行為をエスカレートさせていった。
故に彼は気づかなかった。背後で寝ていた少女が目をさましていたことに。
「………ほう。朝から楽しそうだな、ギンジよ」
一瞬、身体が凍るかと思った。
右隣から不機嫌な声が聞こえた。振り向くと不機嫌そうな顔のリリィが、ジト目で銀次を睨んでいた。
「お、おはようリリィさん」
「うむ、おはよう。
突然だがギンジ、となりで寝ていた男が女の身体を弄り始めた場合、我はどうするべきだ?」
「いやいやリリィさん。そんな誤解されるような言い方しなくても」
背筋につめたい何かが走る。浮気現場に踏み込まれた男の心境に似ていた。いや知らないけども。
リリィをなだめていると、今度は香月が後ろから抱き付いてきた。
「お、おい香月」
「むー! そっち向いちゃや!こっち向いて!」
「いやそんなこと言ったって……」
むにぃ、とダイレクトな感触が背中に押し付けられる。
弾力と柔らかさを併せ持つ、摩訶不思議な素材である。是非ともまくらにしたい一品である。
その様子を見たリリィはむっとして、
「………いかん! いかんぞギンジよ! お主は我だけ見ておればいいのだ!」
「違うし! 銀次はわたしだけ見てればいいし!」
どうしろってんだ、と銀次は思ったが、口を挟める空気ではなかった。
ふたりは互いの中間で火花を散らすように睨み合っていた。
「だいたいカヅキはズルいのだ! そんなに綺麗で世話焼きで料理も上手いなど、不公平だ!我がギンジなら放っておかぬぞ!」
「そんなのリリィちゃんも一緒だし! 美人さんで髪も綺麗で甘えっ子なんてズルいし!女でもほっとかないし!」
ふたりは互いの長所を喧嘩のように言い合うと、ひと息ついて、
「「……………えへへへへ」」
と、表情を緩ませた。
先ほどまでの空気が打って変わって甘々な空間が出来上がる。
なに?邪魔なのは俺の方?と銀次は思い、まあねちねちと喧嘩されるよりは良いか、と思った。しかしそれは別として、
「いや、何お前らイチャイチャしてのさ」
「「銀次がさせてくれないからだし(だろう)!」」
「ごめんなさい」
同時に怒鳴られて、銀次は肩をすくめる。
今日も騒がしくなりそうだった。
「ね、銀次。今日どこかお出かけしない?」
「お出かけ?」
朝食を食べ終わると、香月が洗い物をしながら聞いてきた。ちなみに今朝はシチューだった。カレーど同様に一晩たつとまた違った味を楽しめるというなかなか優れた料理だ。死人なのにものを食う必要はあるのかという質問はなしで。
本日は特に用事があるわけではなく、気分的には買い物くらいなら別にいいかな、という感じである。
水音に消されないように銀次は声を大きくして、
「いいけど、どこに?」
「んーとね、服とかみたいから街のほうまでいこっかなって思ってるんだけど」
「わかった」
「いつぐらいに行く?」
「すぐ支度するから、できたら呼んで。あとエンジンかけてくる」
「うん。多分30分くらいかかるかも」
「あいよ」
銀次は立ち上がってテレビを消した。雪は降るが、それほど荒れるわけではないらしい。特に事件も用事もなかった。
着替えるために部屋に向かう途中で、そういえばと思い出す。ぎしり、と床が軋んだ。
「リリィも一緒か?」
香月はさも当然といったように答えた。
「そうだよ。あ、まだ言ってないから銀次伝えてくれる?」
「ラジャ」
リリィが家に来てから、一週間くらい経っただろうか。短期間の間にずいぶんと仲良くなったものだ。麻理鐘や蒼音ともよくしゃべる姿を見かけるし、ひとつ不安から解放された気分だ。
男ひとりは肩身が狭いとも思うが、他に男が居てもイライラするだけだと思うので必要性は感じなかった。それに家中の女に手を出されたら多分キレる。100パーセントぶちキレる。
告白したわけでもなしに所有権を主張するなんて我ながら勝手な奴だな、と自己嫌悪に陥るが、それもいつものことだった。
表情に出さないように、リリィの部屋のドアをノックする。直ぐに返事があった。
「銀次だけど、いまいいか?」
「む、しばし待たれい」
なんだそりゃ、と思わず突っ込む。許可がでて部屋に入ると、彼女が読んでいたらしき小説が散乱していた。
「なに読んでるんだ?」
「いまはこの"じゅげむ”というものだ。なかなか面白いぞ」
「あー、むかし流行ったなあそういや。懐かしいな」
寿限無とはいわゆる児童向けの図書で、一度アニメのエンディングテーマで使われたこともあるため、知っている人は多いだろう。
なぜリリィが今更そんなものを読んでいるかと言えば簡単で、当然なのか意外なのか、リリィがあまり日本語を知らなかったからである。簡単な読み書きはできるものの、難しい漢字や慣用句になるとお手上げだ。
一から日本語を教えるのでは骨が折れるので、児童書やら文庫の中で日本語を知ってもらおうと銀次が提案したのだ。
「まあ、楽しんでくれてるならいいや」
「? なんのことだ?」
「いや、こっちの話」
きょとんとリリィは不思議そうな表情を浮かべたが、銀次は構わず話を続けた。
「そんでちょっと提案なんだけどさ、今日街に買い物に行かないか?」
「買い物!」
ぴん!とリリィが反応する。
「またケータイを買いに行くのか?」
「ケータイはひとり一台で充分だ。そうじゃなくて服とかそういうのだよ。いつまでも香月に借りてるのはいやだろ?」
「確かに心苦しくはあるが…………ギンジが買ってくれたものだけでも十分だぞ?」
「外行きのを何枚か買っただけだろ。せっかくの美人なんだから、おしゃれしなきゃもったいねえそ」
「なっ……!」
リリィが少し頬を赤くする。ここの数日で銀次は耐性がついたが彼女はそうでなく、真っ赤になって恥ずかしがることが多かった。布団には平気で入ってくるのに、その辺は銀次にはよくわからなかった。
「か、からかうなっ」
「あ、照れてる?」
「うるさいばかもの!」
ぽかぽかと叩いてくるリリィを抑えながら銀次は続けた。
「悪い悪い。で、行く?」
「行くに決まっている!」
リリィが答えると同時に、居間の方から香月の声が聞こえてきた。
リリィの反応を聞く声だった。
「行くぞ! 我も行く!」
「だってよ、車回してくるわ」
これから服選んだり時間かかるんだろうな、などと思いながらも銀次は自分の部屋に戻り、支度を始めた。
銀次らが武藤家を発ったのは、実にそれから40分後のことだった。
そして11時ジャスト。
3人は針川の外れ、しかし県という範囲で見ると都心部にあるショッピングモールにいた。
先日リリィと訪れた場所ではなく、規模はそれよりはるかに大きい。飲食店やスポーツショップ、服などの基本的な店に加え、映画館やボウリングにカラオケといったアミューズメント施設まで完備されている。
あまりの便利さに人が絶えることはなく、銀次もちょくちょくくることがあった。地元以外からも客を呼び込めることが針川のデパートとの違いなのだろう。知り合いとのエンカウント率が半端ではなかった。
リリィは輝かしく光る装飾に目を奪われていた。まるで道に迷っているかのようにあちこちを見ている。
「おお……これはまた大きな……」
「それが売りでもあるしな。季節も季節だし」
「夜のイルミネーションも綺麗だしねー」
冬ともなれば売り尽くしセールやら何やらで忙しくなる。
それぞれの店が人目をひくような装飾を施し、それが激化した結果、やり過ぎなほどに飾られてしまったらしい。見ている方には綺麗だという反応しか生まれないので、そんな裏話も苦笑して済ますことができた。
「そーいや来月にゃもうクリスマスだな」
「もうそんな時期ななんだねー」
「クリスマス?」
知らない単語を聞いて、リリィは首を傾げた。
なんと説明したらいいのか。ケータイの時もそうだったが、あまりにも当たり前だと思っていると意外と説明が難しい。
一種のなぜなに攻撃なのだろうか。香月に投げると、わたしだってムリ!という視線をもらった。
「まあ、お祭りみたいなもんだと思ってくれればいいや」
「ほほう、祭りか。それは楽しみだな」
「…………適当過ぎない?」
「気のせいだろ」
それにあながち間違っているわけでもないだろう。
先の見えないこの世の中だが、対照に行事やイベントは派手に行われるという傾向がある。クリスマスだろうがバレンタインだろうが変わりはない。
「さて、そんじゃどこ行く?」
「我はよくわからん。カヅキに任せよう」
「じゃあ"フェアリーローズ"に行こっ」
フロアの中央の店だ。衣服の他にもアクセサリーなども売られていて、若い世代を中心に人気がある。
「……あそこかあ」
ちなみに店内はほぼ女性向けの物しか扱ってない。男が入るには勇気以上の何かがいる。
香月は控えめに銀次の手を握って、
「ほら、行こっ」
「わかったから引っ張んな」
優しく、銀次に笑いかけていた。
「………あっ」
リリィは少し、胸に痛みを感じた。銀次の顔が見たことのない表情をしていて、その手を取るのが躊躇われた。
空のままの右手を不思議に思って、銀次は振り向いた。
「………リリィ?」
ぱち、と視線があった。
けれども、銀次はそのリリィの顔を知らなかった。どうしていいかわからず、おずおずと手を差し出した。
惚けているリリィの手は、氷のように冷たい自分のものとは違った。いいな、とも、よくわからない、とも思う。そんなものを持っているのに、自分の前で、よくわからない表情をする。
わかるわけがないのだ。
なぜなら、お互いにわかりたいなどと思っていないから。
「……………なんでも、ない」
香月に引かれて、ふたりは歩き出す。少し静かになった空気の中、何かがずれたような違和感を感じていた。
「いっぱい買ったねー」
「…………そうだな」
「………………」
一段落してロビーでくつろいでいると、買い物袋をまくらにしながら香月が言った。
彼女は良くも悪くも能天気だ。銀次とリリィの距離に気付いていない。
「……そろそろ12時か」
「銀次、お腹減った?」
「俺は別に。リリィは?」
「い、いや我も別に」
一瞬詰まりながらも、リリィは答えた。
不安気に揺れる瞳を銀次は見逃さなかった。
銀次は唐突に独りになりたくなって、香月に、
「香月」
「んー?」
「下着とか、まだそういうの買ってないだろ。俺も一緒じゃ気まずいし、今のうちに買ってやってくれよ」
「銀次は?」
「俺はここで待ってる」
「わかった。何かあったら携帯にかけてね」
銀次は返事をしなかった。香月は席を立って、リリィを連れて行く。
その姿を視界の端で追って、見えなくなったと同時に、目を瞑った。
「………俺が悪いのかな」
急に、曇り出したリリィの表情を浮かべる。まずい事でも言ってしまったのだろうか。
そうだとしても、なにに対して謝ったらいいのかわからない。ずきずきとと胸が痛む。この痛みは苦手だった。他の何にも変えることが出来ず、ただ胸を締め付ける。
携帯を取り出す。こういう時は麻理鐘ではなく、遠藤有人でもなく、盟夜紗江の言葉を聞きたかった。番号を見つけてコールする。
1コール、2コール。4つ目を超えても彼女は出なかった。無機質な応答に苛立って、その反面ちょっとだけ安心した。
途中で打ち切って、携帯をポケットにしまう。左手で十字架をいじりながら上を見上げる。
髪に赤いメッシュが入った背の高い女が銀次の顔を覗き込んだのは、それと同じタイミングだった。
「……………どなたで?」
「ふふふ、悩んでいるようだね少年よ」
馴れ馴れしい女だ、と銀次は思った。絡むのも面倒くさいので、無視して視線を前に戻すと、女はさっきまで香月が居た席に腰を下ろした。
「………何か用か?」
「そう嫌な顔しなくてもいいじゃん少年。キレーな女の子二人もはべらしてる男の子がいたから気になっただけだよ」
「さいで」
正面から女を見る。髪の色と整った容姿をしていること以外、特に目立った特徴はない。身体的な起伏はそれ程ではない。まあ香月やリリィと比べて、という話であるから、人によって評価は別れるかもしれない。
不思議と、惹き込むような雰囲気を持っていた。誰かに似ている、だが答えまでは辿り着かない。
「ねえねえ」
にこにことしたまま、女は聞いてきた。銀次は考えるのが嫌になって、何も考えないのが心地良くて、女と目を合わせた。
「どっちが本命なの?」
「………あ?」
「だーかーらー、あのポニテの娘と銀髪の娘のどっちが本命なのって聞いてるの!」
「なんでそんなの……」
「いいじゃんそのくらい! ほら答えて答えて!」
その独特の空気に乗せられて、ついつい銀次は考えた。それでも正直に答えるわけではなかった。
「両方、っていったらアンタは困るのか?」
「ちっちっちっ、嘘が下手だな少年よ。
………家族でもなんでもない女なんて、どうだっていいでしょう。貴方はポニテの娘しか見ていないでしょう」
「ーーーーーーー」
目を見開いた。
見透かされたことよりも、自らの心の内を暴露された羞恥が勝った。直球過ぎて、何も言えやしない。
この女は何を知っている。
多分、殺した方がいい。ろくでもない奴だ。けど、この話の続きには興味がある。罪の意識は、他人に向けられる方が気が楽だ。
女はくすくすと嗤う。赤い瞳にノミコマレソウになる。
「私は貴方に、武藤銀次君に興味があるの」
「……俺はねえよ」
「またまた、嘘はいけないなあ。そんなにココロを暴かれるのが嫌? それとも、そう思いたいだけなのかな? 君にとって家族っていう言葉は何を意味するのかな?」
女が掌を広げる。そこに一枚の硬貨をのせる。高く打ち上げて、手の甲でキャッチした。
裏、と銀次は答えた。硬貨は表を示していた。
「私の勝ち。でも、君は負けていない」
銀次は怪訝な顔をする。女はまた嗤って、硬貨を見せる。両方とも、同じ絵柄が彫られていた。
「…………せこい手だな」
「そうかもね、だけど確認しなかったのは君だよ。負けは負け。勝ちは勝ち。そうでしょう?」
だって私は、裏も表も指定してないから。私の言葉が、ルールだから。
「いま、私がなんでこんなことをしたかわかる?」
銀次は首を横に振った。
「簡単なことだよ。君の裏にはあのポニテの女の子がいて、でも本当はその娘が表だってこと」
「ーーーーーーー」
また、言葉を封じられた。図星だった。
そんなことない。リリィだって、いる。
その一言が出てこなかった。この女の真意は、正解だ。なんで、お前がそんなことを知っているのかと、警戒すら出来ない。
「ほんっとにわかりやすい。ね、武藤銀次君。
君がもし、ひととの距離に悩むようだったら教えてあげる。
貴方が何かした時に、何かを返してくれるのが信用できるひと。
一方的な奉仕は、独りよがりな偽善と一緒なの」
わかりやすいでしょ?と女は言う。
でも、これこらが本題、と。
「リリアネス・フォン・アルベストールは貴方に何を返してくれた?」
「…………見返りを求めたわけじゃない」
「それも嘘。君のとっての家族って言葉も、恋愛感情も、そんな簡単なことじゃないでしょう?
周りの娘達が貴方にしたことと、貴方が周りの娘達にしたことは、会って2週間ばかりの女の子と同等の価値があるの?」
「……うるさい」
「それも、嘘。貴方はこう言って欲しいだけ。家族でもなんでもないただの女の子を見捨てる理由が欲しいだけ」
「違う!!」
銀次は拳をテーブルに叩きつけた。力み過ぎて、中央から真っ二つに割れる。ざわざわと周囲の人間が視線を向ける。
興味はいつしか、ただの苛立ちに変わっていた。ただただ、煩わしいだけだった。
「……………乱暴だなあ」
「黙れ! 俺はそんな………!」
「そんな人間ではないとは、言い切れないでしょう。
人間だとすら言えないかもしれないのに」
その言葉は、失態だった。
銀次を完全に切れさせた。一般人の大量にいる場所で、鬼のような殺気を放ち始めた。
「何者だ、お前」
「ただの恋バナ好きのお姉さん、じゃダメかな?」
「死んでもいいならそれでいい」
銀次は割れたテーブルの半分を掴んで、右方にぶん投げた。
赤い非常ベルのケースに突き刺さり、次の瞬間に鼓膜を破らんばかりのけたたましい警告音が響き渡る。
「………強引だねえ」
「黙れ。やはり他人の言葉なんて聞くべきじゃなかった。これは学習院としての言葉じゃない、武藤銀次個人の話だ。
話さないのならここで殺す。話すのならその後で殺す。どのみち一般人ではないんだろう」
本音を言えば、すぐにでも殺してみたかった。警備隊が来る前に殺ってしまえば、理由などいくらでもでっち上げられる。
ズグン、ズグンと十字架が疼く。それはさっき感じた胸の動悸に、似ている。
「……ま、時間稼ぎは出来たしいいかな」
女はゆらりと立つ。華奢な身体からは信じられない威圧感を感じた。ただ、銀次にってはそれすらもどうでもよかった。
「私の名前は、エリス。櫂渚梁君の、同僚よ」
「…………ほう」
「あまり驚かないのね」
「どうでもいいからな」
「あーあ、どうして男ってこう喧嘩っ早いんだろ」
ま、そんなものかと、エリスと名乗った女は言った。
その時、銀次の耳に爆発音が届いた。ここより、上の階。それは香月達が行った場所かも、しれない。
「そろそろ始まったかな?」
「てめえ………」
ぞわぞわと悪寒が広がる。
香月は能力者としては相当強い。ただ扱うチカラの規模が大きいだけに、状況によってはまずい事態になる。リリィはさらに論外だ。浮島はともかく、腐敗した建物など誤魔化しが効かない。
「助けに行きたいなら、私をたおした方がいいよ。なんてね」
「………上等だよ」
随分と舐められたものだ。
たったひとりで、正面から堂々と来られるとは。
することも、されるかもしれないこともただひとつ。
「………ぶっ殺す」




