第6話:猛吹雪の洞窟
さらに標高を上げるにつれ、山は牙を剥いてきた。
吹きすさぶ風はもはや単なる「風」ではなく、鋭利な氷の刃となってクリスの全身を容赦なく叩く。数メートル先すら真っ白に塗りつぶす激しい白闇が視界を奪い、凍てつく冷気がじわじわと体力を削り取っていく。
「くっ……風がどんどん強くなってくる……!」
「クリス〜〜っ! もう僕のお鼻がカチコチに凍っちゃって、匂いも全然わかんないよ〜〜っ!」
クリスの胸元で、トトがブルブルと全身を激しく震わせながら悲鳴を上げていた。
どれほど規格外の体力と身体能力を持つクリスであっても、この猛吹雪の中で闇雲に進み続けるのは危険だった。視界がない中では、足元に潜む底なしのクレバス(氷の裂け目)に滑落する危険性もある。
「一旦、風をしのげる場所を探そう! トト、少し耐えてくれ!」
クリスは雪に目を細め、切り立った巨大な岩壁に沿って慎重に足を進めた。
すると、吹き荒れる白闇の隙間から、岩肌がくの字に落ち込んだ僅かな亀裂——大人が数人ほど入れそうな小さな洞窟の影が見えた。
「トト、あそこだ!」
吸い込まれるように洞窟へ飛び込むと、全身を叩きつけていた刃のような暴風が一気に遠のいた。
洞窟の内部は思いのほか奥へ続いており、吹雪の音すら遠くに聞こえる静けさが広がっている。
「ふはぁ〜〜〜っ! た、助かったぁぁ……。死ぬかと思ったよぉ……」
トトがクリスの襟元から這い出し、洞窟の冷たい地面にへたり込んだ。
クリスも肩から背負い袋を下ろし、冷え切った身体を温めるように壁際に腰を下ろす。腰から下げた革の水筒から一口水を飲むと、氷のように冷たい水が喉を通り、冴え渡るような感覚が広がった。
「ごめんな、トト。寒い思いさせて」
「いいのっ! 僕がついていくって言ったんだから! それに……ほら」
トトはクリスの首元から覗くペンダントを指差した。
「やっぱりそのペンダント、すっごく温かいよ。こんな氷の世界なのに、ポカポカしてクリスの胸元を温めてくれてる」
「……ああ。本当に不思議だな」
クリスは服の上からペンダントを手にとった。
確かに、指先に触れる金属は氷点下の洞窟の中にあっても冷たくなるどころか、まるで微かな脈動を打つように命の温もりを宿している。それはまるで、会ったこともない父親が「挫けるな」と遠くから自分の背中を温めてくれているかのようだった。
(父さん……俺に力を貸してくれ。何としても、母さんを助けたいんだ)
ペンダントを握りしめ、そっと目を閉じる。
脳裏に浮かぶのは、苦しいはずなのに自分に心配をかけまいと無理に微笑んで見せた、母アラの優しい顔だった。
——その時だった。
「……ん? クリス、何か……すっごく変な匂いがする……!」
へたり込んでいたトトが、ぴくんと耳を立たせた。鼻をヒクヒクと動かし、表情を一変させる。
「腐った酸っぱさと、鉄が溶けたみたいな嫌な匂い……! これ、すぐ近くから漂ってくるよ!」
トトの警告と同時に、洞窟の奥——光の届かない漆黒の闇から、不吉な音が響き始めた。
ヒューヒューという風の音ではない。
キチキチ……キチキチ……ガチガチガチ……。
無数の硬い爪が岩肌を滑り、穿ち、徐々にこちらへ這い寄ってくる不快な湿り気を含んだ摩擦音。
「トト、俺の後ろに下がってろ!」
クリスは素早く立ち上がり、背後の壁にトトをかばいながら暗闇へと視線を向けた。
目が慣れてくるにつれ、闇の奥から無数の『不気味な赤い眼光』が浮かび上がってくる。
「ギチチチチチ……ッ!」
暗闇から姿を現したのは、体長二メートルを超える巨大な毒蜘蛛の魔獣——『アイスタランチュラ』。
しかも一匹や二匹ではない。天井、壁、床をびっしりと埋め尽くすように、十数匹もの群れがクリスたちを逃がすまいと囲い込むように蠢いていた。
鋭い八本の脚は透明な氷の結晶でできており、その凶悪な顎からは、紫色の泡立つ毒液がポタリと床へ垂れていた。毒液が触れた岩肌は、ジュウッと激しい音を立てて煙を上げながら溶けていく。
「ひ、ひえぇぇぇっ!? でっかいワンちゃんの次は、グロテスクすぎる毒グモさん〜〜っ!?」
「風をしのげる安全な場所だと思ったけど……ハズレを引き当てちゃったみたいだな」
クリスは引きつりそうになる口元をぐっと結び、拳を固く握り込んだ。
だが、次の瞬間、クリスは脳内で素早く状況を計算した。
(待てよ……ここは狭い洞窟の中だ。さっきのフロストウルフの時みたいに全開で殴ったら、衝撃波でこの洞窟ごと崩落して、俺もトトも生き埋めになっちゃう……!)
外は猛吹雪。ここを失えば避難場所はない。
「力任せに殴る」ことが許されない状況。
(なら……力を外に撒き散らすんじゃなくて、全部『敵の内側』にだけ叩き込むんだ……!)
「グシャアァァッ!」
天井に張り付いていた一匹のアイスタランチュラが、鋭い氷の脚を槍のように突き立て、クリスの頭上から飛びかかってきた。
「ふっ……!」
クリスは最小限の動きでそれを紙一重でかわすと、魔獣の腹部へ向けて、拳ではなく『人差し指と中指の二本』を鋭く突き出した。
——シュンッ……ドドンッ!!
余計な風圧も衝撃波も周囲には一切散らない。
しかし、指先が触れた瞬間、クリスの規格外の腕力と衝撃のすべてが魔獣の体内に一点集中で叩き込まれた。毒蜘蛛は悲鳴を上げる隙すら与えられず、内側から風船のように破裂して弾け飛んだ。
「よし……! この感じなら、洞窟を壊さずにいける!」
「う、嘘でしょ!? 指で突いただけなのに、クモさんが弾けたよ……!?」
トトが目を丸くして叫ぶ中、仲間の死体を踏み越えて、残りの毒蜘蛛たちが一斉に襲いかかってきた。
「まとめて来い! 母さんのところへ帰るまで、俺はこんなところで足踏みなんてしてられないんだ!」
父親のペンダントが胸元で一瞬青白く光り、クリスの拳に目に見えぬ雷気を宿す。
狭い洞窟の中で、極限のコントロールを覚えた十五の少年の『静かなる圧倒的暴力』が、牙を剥いた。




