第14話 ハインツの説得。
「オレリア!」
領主所有の麦畑はかなりの広さがある。
ちょうど刈り入れの時期だったその畑に、オレリアの姿を見つけて、ハインツは畑の道から大声で呼んだ。気が付いた俺の婚約者は、腰を伸ばして俺に手を振る。
「おかえり、ハインツ」
***
ハインツが、朝早くまだ薄暗い頃に王都を出てきて、領地の屋敷に着いたのは夕方の6時を回るころ。
久しぶりのオレリアとの再会をドキドキしながら楽しみにしていたが、屋敷にいたのはばあや一人だった。
「おかえりなさいまし、ぼっちゃま」
「ああ、ばあや。ただいま。あの…オレリアは?」
荷物を運ぶのを手伝ってくれながら、ばあやが楽しそうに笑う。
「若奥様ですか?今日は朝からみんなとうちの畑の刈り入れに行っておられますよ。あの方はじっとしていられないんですかねぇ。あははっ」
(わ…若奥様!)
それがオレリアのことだと思うと、ほんの少しくすぐったい。
聞けば、事務も馬番も侍女もメイドも庭師に至るまで、動ける人間はみな畑仕事に駆り出されているらしい。もちろん、先頭に立つのが<若奥様>なので皆張り切っているのだそうだ。私もあと10歳若ければ畑に行ったのに、と、ばあやがぼやく。ちなみに、調理人はいまうちの屋敷にはいないらしい。紹介状を書いて、他の屋敷に転職してもらったそうだ。
「もうすぐ帰っていらっしゃいますよ?着替えてお待ちになりますか?」
「いや、迎えに行ってくるよ」
「むふふっ、そうですね」
ばあやに笑って送り出される。
***
オレリアと畑道を並んで帰った。みんなは後片付けをしてから帰るらしい。
初めて見たすっぴんのオレリアにドキリとする。随分と日に焼けて健康的だ。それもまた…綺麗だ。亜麻色のきれいだった髪は邪魔になるのか一本に無造作に結んで、男物のシャツにスラックスにエプロン。ドレスも似合っていたけど、こういう格好も似合う。
それに以前よりよく話すし、よく笑う。
だいたいのことはオレリアが俺にまめに手紙で状況を知らせてくれるので把握しているが、彼女的には伝えておきたいことがまだまだあるようで、帰り道は甘い雰囲気、ではなく、上司と部下の業務連絡の様だった。
(まあ…まだ来たばかりだ)
聞いてはいたが、風呂は従業員用の大風呂。食事も従業員食堂で皆と同じものを食べる。冬の間住んでいた領民は、自宅に畑がある人は早々に帰ったらしいが、まだ何人かの老人と母子家庭の親子が、オレリアに仕事を貰って住んでいる。食堂の運営をその人たちに頼んでいるようだ。
「今日はハインツが帰って来るから、鶏をつぶしてもらったのよ?みんなで分けるから少しずつになっちゃうけどね?」
夏野菜のサラダに焼いた鶏肉。ライムギパンにトマトのスープ。
小さい子供たちが、鶏肉に喜んでいる。
「ハインツが今度来るときには、豚肉を御馳走するわね?」
「ん?」
「今、うちの森で試験的に豚を放飼いしているのよ」
どうも…下草刈り当番だった領民の一人が、畑が忙しくて自分の家の豚を草刈係に使ったらしい。それを見てヤギを持ち込んだ奴もいたが、ヤギは草も食べるが木の皮も食べてしまうので組合長に叱られたらしい。
…それで、豚の放飼い、なわけか。
「鶏は中庭で放飼いしているの。ここの小さい子たちが、卵を集めてくれるのよ」
美味しそうにスープを飲みながら、オレリアが俺に教えてくれる。
そうか、と頷きながら…向かい側に座るオレリアから目が離せない。
「そうそう、ハインツ。ご飯終わって、お風呂に入ったら、私の部屋に来てね」
「え?……ああ、わかった」
そこから…俺はどぎまぎしてしまって食事の味がよくわからなくなった。
風呂に入って、寝間着に着替える。
いや、オレリアの部屋に行くのにいきなり寝間着は変か?シャツとスラックスに着替えて…風呂上がりにそれもどうかと思ったりする。なにやってんだ、と自問自答しながら、結局寝間着にした。忘れないように胸ポケットに指輪の箱を入れる。
(いやいやいや、プロポーズするのに寝間着はないな)
また着替えた。スラックスのポケットに指輪の箱を入れ直すのを忘れない。
(しかし…いきなり部屋か。いきなり…)
緊張したので水を飲んだ。
オレリアの部屋は2階の俺の部屋の隣。3階は屋敷の使用人が部屋住みで使っている。廊下にはロープが何本も張られて、領民が木の実とかの採取に使うストローでできた籠がぎっちりとぶら下がっている。どうも、3階の廊下も同じような状態らしい。
トントンッ、とオレリアの部屋のドアをノックすると、入って、と声がした。
ドアを開ける前に大きく深呼吸して、先ほどから続く動悸を押さえようと努力する。ドアを開ける。
やはり風呂上がりのオレリアが、小ざっぱりとした麻のワンピースを着て、俺を待っていた。
「改めて、お帰りなさい、ハインツ。いえ、レオニー伯爵殿、ね?おめでとう」
「ああ。ありがとう」
まあ座って、と言われて、オレリアが執務用に使っている机の正面の椅子に座る。
「さて、あなたが留守の間の帳簿なんだけどね……」
(…そんなことだろうとは思ったよ…)
結局深夜までオレリアの帳簿の説明は続いた。オレリアが持参金として実家から持たされたお金も使い切っていたのがわかった。さすがに…自分が情けない。
俺は質問したり、意見を求められたところに答えたりしながら…すっかり遅くなってしまった。
「あら、こんな時間ね。明日は一緒に森に行きましょう。疲れているところごめんなさいね。ハインツはすぐ帰っちゃうんでしょ?」
応接用のソファーに座りなおして、オレリアが出してくれたレモネードを頂く。
「ああ。まだいろいろ片づけることがあって。いいように殿下にもこき使われているしね。まだしばらくは帰れないんだ。オレリアはここで…大変じゃない?」
「うふふっ。みんなよくやってくれて助かっているわ。ほら、材木の取引で現金も手に入るようになったからみんなにお給金も払えるしね。小麦の収穫が終わったら一息付けるかな。毎日楽しいわよ?」
「そうか。ありがとう」
俺がそう言うと、向かいに座ってやはりレモネードを飲んでいたオレリアがふわっと笑った。
「あなたが私に領地経営を学ばせてくれて、私を信用してすべて預けてくれて…私はやりたいように伸び伸びやらせてもらっているの。私ね、あなたに本当に感謝している。実家のことだって、あなたがなんか手を回してくれたんでしょ?父がすごくあなたを褒めていたもの」
「……」
「それにね、ここに来てから、ほら、農家の奥さんたちみんな胸が大きいから、だあれも私の胸が大きいとか言わないし、変な目でも見られないの。小さい時からずっと嫌だったんだ、自分の体。それだけで、性格まで決めつけられちゃうんだもんね」
「オレリア?」
「本当にハインツとお友達になれて良かったわ。ここに置いてくれてありがとう。私、ちょっと自信が付いたから、3年たってここを出て行っても何でもできそうよ?」
「オレリア?」
(マジか?全く伝わっていないのか?俺のことを男だとも思っていないのか…友達か…って、そうじゃないだろう、俺!)
ソファーから立ち上がって、オレリアの前に跪く。
「オレリア、良く聞け。お前の結婚相手だけどな?」
「え?ああ…ハインツが見つけてくれるって言ってた…人のこと?」
「ああ。年は同じ年。爵位は伯爵位。領地はお前が希望した通りのどかな田舎だ。弟のいる北部からも遠い。一人っ子だし他に家族もいないから嫁姑問題もない。金遣いの荒い父親は国外追放になるから考えなくていい。借金はあるが、3年ぐらいでカタをつける。それなりに腕っぷしも強いし、策士…だと思う。苦労は掛けると思うが、きっとお前を幸せにするから」
「まあ…ハインツ?そんなちょうどいい人、いる?」
「いる。しかも、お前のことだけ愛しているし、お前のことを必要としている」
「……」
「俺たちの婚約はもう終わりにしよう」
俺がそこまで言うと、驚いた顔をしたオレリアが…泣きそうな顔になった。
俺は慌ててスラックスのポケットから箱を取り出すと、リボンをほどいてジュエリーケースのふたを開けた。二つ並んだお揃いの金の指輪。
俺は結局、婚約指輪をすっ飛ばして、お揃いの結婚指輪を買ったんだ。断っておくが、決して予算の問題ではない。気持ちの問題だ。
「……」
「いいか?オレリア、よく考えろ?俺以上にお前のことを理解して、愛している男なんかいない。俺とすぐにでも結婚してくれ!」
「…ハインツ?」
泣き出したオレリアに跪いていた俺は頭を抱え込まれた。オレリアのふわふわな胸の中で溺れそうになる。
多幸感に包まれる、ってまさにこんな感じ?
その後のことは殿下にも秘密だ。
本編、完です。番外編に続きます。




