第13話 ハインツの誤算。
「ハインツ君!」
書類を抱えて、王城の長い回廊を殿下の執務室のある棟まで歩いていたハインツは、声を掛けられた気がして振り返った。
(あ…タヌキオヤジ)
振り返った先にはアベル子爵が片手をあげて微笑んでいた。
「お久しぶりです」
「たいへんだったらしいね。ひと段落したのかい?」
「いえ。財産保全の裁判がようやく始まったところです。これから、ですね」
ゆっくりと歩きながら並んで話す。
「ふふっ、そうかい。先日君の領地に木材の買い付けに行ってきたよ」
「ああ、取引先が見つかりそうだとは聞いていましたが……あなたでしたか」
「うん。うちの娘を泣かせるほどの、君の婚約者の実力を見にね」
「……」
「いや。思った以上だった。あの環境ならうちの娘は3日で帰ってきた。3日居られるかどうかもわからないな。実はさ、君がうちの娘と婚約破棄したいだけのお飾り雇われ婚約者かと思っていたんだよ」
「……」
カツン、と立ち止まったアベル子爵が俺を見てにこりと笑った。
「度胸もいい、判断も的確だ。いい取引先になりそうだよ。これからもよろしく」
そう言って握手を求めてきた。俺は書類を抱えなおして、その手を握り返す。
「そう言っていただいて光栄です。彼女は、何者にも替え難い僕の伴侶ですから」
俺がそう言うと、ぎゅううっと握り返された。
(そのぐらいの腹いせなら笑って我慢しよう。大事な娘さんを傷つけてしまったのは事実なんだし)
「そう言う割には…指輪も贈っていないのかい?いくら質素倹約でもそのぐらいはしたほうがいい。そうじゃなきゃ、彼女をうちの商会で引き抜いてもいいよ?」
(は?)
ハインツはにっこり笑って握った手に力を入れる。
「ご心配なく」
はっはっは、と2人で笑っていたので、通りがかりの人たちに不思議そうに眺められる。
手を振って別れてから、この人とも違う出逢い方をしていたら、意外と面白かったのかな、なんて思う。
(とりあえず…指輪だ指輪。エルザさんに相談するかなあ)
エルザさんはいろいろと諦めて、今は仕方なく(?)王子妃教育を受けている。
「エルザさん!俺、指輪を贈りたいんですけど!」
殿下の執務室にちょうど居合わせたエルザさんにそう告げると、書類に埋もれていた殿下が、ゆらりっと顔をあげた。
「はあ?」
「どんな指輪がいいですかね?」
「あら、そうねえ…」
ソファーに座ったまま、頬に手を当てて考え込んだエルザさんの次の言葉を、マテをする犬のように直立不動で待つ。
「え?エルザ?」
なんでだか…殿下が動揺してる?
「あなたの瞳の色の、アメジストをつけるでしょう?やっぱり、銀より金かしら?これから見にいく?」
「行きましょう!」
「先日見にいったお店に、いいのがあったのよ。あなたが言い出さないから心配していたわ。領地のことも考えると、あんまり高価なものじゃない方がいいわよね」
「すみません」
さりげなく、ソファーに座ったエルザさんが立ち上がるのに手を貸す…つもりで手を差し伸べたら、殿下が立ちふさがった。
「な…何を言っているんだ、ハインツ??行かせるわけないだろう」
「なぜですか?殿下。僕の恋路を邪魔するおつもりですか?」
「はあ?」
ソファーで転がって大笑いするエルザさんを二人で見下ろす。
「ばかねえ、ハインツ君がオレリア以外の人に指輪を贈るわけないじゃないの」
「…あ。え?まだ贈っていなかったの?もう領地の仕事させてるのに?」
「…はい」
「次期伯爵夫人なのに?指輪も?」
「あ…はい」
「まあまあ、指輪は買えば済むことだけど、ハインツ君。あなた、ちゃんとオレリアにプロポーズしたの?」
「え?……あ」
「なんか、あなたとは3年限りで婚約破棄して、オレリアの結婚相手をあなたが探すんだってね?」
「はあ?ハインツ、お前って…そんなゲスな奴だったのか?」
いつの間にかエルザさんの隣に座って、彼女の手を取っていた殿下が素っ頓狂な声をあげた。
「殿下は黙ってて」
「…はい」
「領民が慕ってくれるのが、心苦しいって、オレリアの手紙に書いてあったわよ。そこら中の女に愛をささやいていたあなたが、なんでオレリアには何も言えないの?それとも本当に…前の婚約者と婚約解消したいがために利用しただけ?指輪もその小道具なの?」
俺を見上げるエルザさんのまなざしが真っすぐ過ぎて……うろたえて言葉を探してしまった。
「ちがっ、いえ…始まりは確かに打算でしたけど…今はオレリア以外に自分の妻は考えられないです。愛してるんです。特別なんです。オレリアを無くしたくないし、傷つけたくもない」
「…のに、思いきり傷つけてるわけね」
「……」
(…反論は…出来ないな)
「おい、ハインツ。こんなところで僕たちに熱弁してないで、ちゃんと本人に言って来いよ。でもまあ…これからお前の爵位の継承の手続きもあるから、来月かな?」
「……」
エルザさんの肩に腕を回していた殿下が、エルザさんの耳元で言ったことが…聞こえているんですけど?
「でもさ、エルザ。オレリア嬢もハインツと同じ気持ちかどうかはわかんないよね?」
*****
6月。
陛下から正式に伯爵位を賜り、その手続きに追われて、
殿下から3日間の休暇を頂いたのは、7月に入った頃だった。
ちょうど頼んでいた指輪も出来上がって、プレゼント用の箱に綺麗な紫のリボンも結んでもらった。そっと夏用のジャケットのポケットに忍ばせて、俺は意気揚々と自分の領地に向かった。




