2-2:Room 335
「――お母さんね、再婚しようと思うの」
あの日、救いの隕石が落ちてきた。
でもあまりにも唐突で、心がすぐに追いつかなかった。
やっと事態を飲み込んで、母さんと再婚相手の方に「おめでとう。お幸せに!」と笑顔で伝えられるようになった頃には、全ては終わってしまっていた。
春というにはまだ肌寒い、3月半ばの夜のこと。
ぼくはカラオケ屋での最終勤務を終え、ふらふらと街をさまよっていた。
「…………おわった、のか…………」
バイトは辞めることにした。
隕石が貧困を消し飛ばしてくれたからだ。
母さんの再婚相手は、なんとさる大企業の重役さんだった。
お金があるうえに、人間もできた人だった。
――今後一切、きみとお母さんに経済的な苦労はさせないと誓うよ。
――もう自分を犠牲にしなくてもいいんだ。きみにはきみの人生を生きてほしい。
――今までお母さんを守ってきてくれてありがとう。
――僕のことは無理に父と認めなくてもいい。ただ何かあったら遠慮なく頼ってほしい。
――僕は新月くんのことを、本当の息子だと思って愛し、守っていきたいので……。
そう言って義父は、ぼくみたいなガキにも深々と頭を下げてくれた。
感動した……とは思う。
あやふやなのは、まるで現実とは思えなかったからだ。
世の中にはこんな立派な父親もいるんだなあ……って。
ポケットモンスター『光の義父』/『闇のクソ親父』みたいな?
両方プレイしちゃったがゆえの名状しがたい気持ちは、少しだけ理解してほしい。
ていうかこんないい人一体どこで見つけてきたのって聞くと、母さんは言いづらそうに「お客さんだったの」と打ち明けてくれた。
母さんはお高いところでお水をやっていたから、その繋がりだったということだ。
まあ確かに息子には言いづらい経緯か、とは思う。
クソ親父とのこともあったし、こういう類の話を打ち明けること自体、母さんには葛藤があったのかもしれない。
(――でもそれはそれとして、付き合った段階で言ってくれるのがスジじゃない?)
(――昔からそうだけどさあ、繕うぐらいなら最初から本当のこと言えばよくない!?)
(――ぼくら二人きりの家族だろ。イイ格好ばっかしようとすんなよ!)
(――そういうとこ正直、母親としてどうかって思うね!!!)
そういう叫びが心で渦巻いていた。
だけど全部、言わないであげた。
呑み込んで「おめでとう。お幸せに!」とぼくは笑った。
(――言っても、誰も幸せにならないし……)
それに細かい経緯なんてどうでもいいじゃないか。
何はともあれ、結果的にみんな幸せになれるんだ。
これでハッピーエンドだ。
ハッピーエンド。
ハッピーエンド。
ハッピーエンド――……。
「……………………」
何度そう思い込もうとしても、その夜はちっとも笑えなかった。
震える拳を握りしめ、ぼくは駅前の広場をさまよい続ける。
歩道橋下で弾き語りをしている人は、真剣な表情で格好良かった。
電気屋のビジョンに映るアイドルは、注目を集めて輝いていた。
すれ違うカップル達はみんな、手を繋いでイチャイチャしていた。
みんな心底幸せそうだった。
でも――ぼくは?
何も残ってない。
何者でもない。
ぼくは――、
「――うわぁあああぁああ――――――――っ!!!」
ハジけて夜を駆け出した。
そうせずにはいられなかった。
噴火するかのように、ぼくは叫ぶ。
「――ふざけんじゃねぇえ――――――――――――ッ!!!」
今まで何だったんだよ。
じゃあぼくの人生は何だったんだよ!
ここまで捧げてきたのにもう用済み、後はご勝手にってそれはないだろ!?
苦労を続けたかった訳じゃない。
幸せになるななんて言いたい訳でもない。
でもこの心の置き場を、一体ぼくはどうすればいい。
ずっと親に振り回されて、こんなのバカみたいじゃないか!?
「……こんなことなら……っ」
最初から好き勝手生きれば良かった。
あのクソ親父みたいに……!
『――やるよ。新月。……俺様の宝物庫だ』
そう考えた瞬間、ふとした思い出が脳裏をよぎってきた。
ぼくはポケットから鍵を取り出す。
家の鍵、自転車の鍵ともうひとつ。
トランクルームの鍵が一本、キーリングにぶら下がっている。
これは10歳の誕生日祝いに、奴からプレゼントされたものだ。
『――使ってねえギターやらが入ってる。好きに使いな』
『――そん代わり母さんにはナイショだぞ? バレねえように慎重にな!』
……貰った当時は死ぬほど嬉しかったな。
その翌日には奴がほんとに腹上死したんだけどね。ほんとふざけてる。
そのあと色々とありすぎて、結局宝物庫とやらは開けてないままだ。
今まで何度、こいつを捨ててやろうと思ったことか分からない。
でも結局捨てられないで、ずっとポケットに忍ばせていた。
こいつはぼくの、未練そのものと言えた。
(……ここから歩いて行ける)
場所だって克明に覚えてる。
まるで光に惹かれていく蛾のように、ぼくはその場所へと向かっていった。
街灯が一つもない、寂れた街外れ。
人気の欠片もない場所に一棟ずつ並んでいるコテージ型のトランクルームは、闇に沈んでいる墓標のみたいだ。
「【Room 335】…………ここだ」
実は何度も、この扉の前に立ったことがある。
ただその度に「良くない」「ぼくには守るべきものがある」とためらって逃げてきた。
だけどもう、ためらうまい。
所詮『守るべきもの』なんて、ぼくが勝手に見た幻に過ぎなかったんだから。
――かちゃり。
封印の錠前が解ける音。
古い空気を押し飛ばすように、運命の扉を開くと――。
『――あはっ。……やーっと、お目覚め?』
昏い人生のどん底で。
眩い月のように輝く幽霊と、ぼくは出会った。




