3-19:21グラムの値段
「――……そっか。そんなことが……」
良い夜だ、とぼくは思った。
最後にこの話を聞いてあげるために今日一日はあったんだ、と確信できるような夜。
この夜を隣り合って歩けるのなら、終電なんていくらでも捧げて良かった。
「まあ、一言で言うたら『折れてもーた』ってだけの話なんやけど……」
隣で花音がため息をつく。
そして紅くなったのを隠すように、両頬を手で押さえた。
「結局ぜーんぶ喋ってもた。ほんま恥ずい……」
「ええ? どうして」
「だって、そーいうんは喋らん方が格好ええやん? うちはほんまはクールにやりたいねん」
うー、と花音が唸る。
「せやのになんでいっつも、違う方に走っていってまうんやろ……?」
「……ふふ」
「あっ、ちょお!? なんで笑うん!?」
だってさあ、とぼくは笑う。
「――愛しいんだもん。すごく」
「~っ……!?」
可愛い、なんてぼくには言えない。
それは花音が望んでいないし、そもそもそんなの女子に面と向かって言えっこない。
だけど『愛しい』なら、花音にはいつでも捧げられると思った。
誰でも見える所で易く咲き、蝶よ花よと愛される。
そういう未来も選べたはずなのに、それでも理想を求めて孤高に咲き、散ることを選んだ。
そんな不器用で美しい人が、ぼくには愛しくてたまらなくて。
「ねえ。魂を売ったって言ったよね」
「……うん。あんなんやったらうちは終わりや」
「でもぼく、それは思い込みだと思うなあ」
「ぇ……?」
戸惑う花音に、ぼくは微笑みかける。
「魂なんて売れないよ。売れっこない。……だって、魂なんだから」
それにもし売れるものだったとしても、花音は決して売ってない。
たとえ花音自身が失くしたつもりでも、ぼくにはちゃんと見えているんだ。
今も煌々と輝く、魂の在処が。
「折れたって言うけどさ。じゃあ今日突っかかってきた奴は一体誰?」
「っ……あ、あれはでも、あんたが舐めたことするから!?」
「自分より上手い、殺されるなって分かっても、噛みつかずにはいられない?」
花音がウッと黙ってしまう。
ほらね。ここで違うと言えない奴が、魂なんて売れるもんか。
「クールに見せようとしなくても、十分花音はカッコいいよ」
ぼくは悪戯っぽく笑いかける。
「そのうえで『可愛い』も貰えるんだから、二倍得って考えるのはダメかなあ?」
「っ……でもぉ。あんな、しょーもないもん……」
「しょーもなくないよ。ぼくはあっちも好きだもん」
「はぁ!? どこがぁ!?」
花音はめちゃくちゃ不満げだ。
気持ちは凄く分かるけど、ぼくだってお世辞を言ってるわけじゃない。
自分じゃ気付けない良さがあるなら、それを伝えてあげたかった。
「だって、可愛いだけじゃなくて上手いもん。あれ当て振りじゃなくて直撮りなんでしょ」
「そ……そう、やけど……」
「めっちゃ身体動かしてたよね。なのに余計な音が一切鳴ってないのは、余弦ミュートが抜群だからでしょ。あれはすごいってルミ……ギターの達人も認めてたし。なにより素人目に見ても、フレージングのセンスがすごくいい」
「あ、あんなん、10分で弾いた手癖やで!?」
「いいや。分かってないなあ」
確か花音は10年ギターをやってた、って言ってたから。
「10年と10分、練られたアドリブだよ。ちゃんと聞いた?」
「――――――――――――――」
「神は細部に宿る、なんて言うけどさ。……花音の魂も、きっとここに宿ってるんだ」
ぼくは割れ物に触るように、大切に花音の手に触れる。
小さくて、爪が短くて、固い指先。
紛い物のぼくなんかとは違う、本物のギタリストの手――。
「きれいだ。値段が付けられないぐらい」
「………………っ…………」
「誰も買えないんだから売れないよ。これは花音だけのもの」
誰だって、自分が求める通りに求められたい。
だけどそんな無邪気な願いが叶うほど、現実は優しくないってぼくは知ってる。
それでも、仕方ないって素通りしたくない。
何の慰めにもならないって分かっていても、せめて言葉を尽くしたい。
どんなに現実が厳しくたって、花音が積み上げてきたものは消えないんだって。
世間に見る目がなくたって、見てる人は見てるんだって信じてもらいたいから。
ぼくは自分の両手で、花音の手を包み込む。
ファンなんです、と伝わるように。
愛が祈りなら、ぼくは祈る。
「――花音のギター、好きだよ。……どうか続けてほしいなあ」
最後にぎゅっと一際強く握って、ぼくは一足先に早足で歩き出した。
勢いで言ったはいいけど、流石に直球すぎて恥ずかしくなってきたからだ。
顔がマグマみたいに熱いけど……まあいいや。後悔はしてない。
『言えば良かった』を抱えて死んじゃうよりは、こっちの方がずっといいよね。
(あ。……しまった。バンドに入ってくれって、もっかい頼むの忘れてた)
まずい。完全にタイミングを逃しちゃった。
どうしようと焦っていたら、どんっ、と背中に何かがぶつかってきた。
「おわっ!?」
ギターを背負っているから、背中に直接感触がするわけじゃない。
それでも、抱きしめられたんだとすぐに分かった。
魂の宿るその腕が、後ろから確かな熱さと強さをもって、ぼくの胸を抱いていたから。
「貸したる」
「え――」
「売れへんから、貸したる。……欲しいんやろ? うちの腕」
思わず息を呑む。
ギターを挟んだ背中越しに聞こえる、洟を啜る音。
隠すように、花音は一際強く抱きついてきた。
「そん代わり、うちは高いで?」
「……当然だね。いくらなの?」
絶対笑いながら花音は言った。
「――880円」
萩月プリン一個分。
破格の友達料金に「庶民派だね」とぼくも笑った。
「給料分、ちゃんと働いてよ?」
「あほ。誰にもの言うとんねん」
花音がぼくを突き放し、走り出す。
その瞬間、ああもう大丈夫だ、と確信した。
月の下、爛々と光る牙と眼光――。
不屈の狂犬は蘇り、その魂から吠え上がる。
「――楽しみにしときや、萩月祭?」
「――客も……それからあんたも!」
「――全員纏めて、うちが喰ったるわ!」




