3-12:A Nightmare to Remember
新月と別れてしばらく。
JR御茶ノ水駅近くの橋の上で、竜胆花音は黄昏れていた。
沈みゆく夕陽と夜がとけあう赤紫の空に向かって、神田川上の線路を電車がゆるやかに流れていく。寮までは結構かかるから、本当は早くあれに乗ったほうがいい。
それは分かっているけれど、まだ帰りたくない。
しばらく余韻に浸っていたくて、スマホを弄っている。
《――今日、楽しかった。付き合ってくれてありがとう》
そんなときに、新月からのDMが届いた。
今まさにこっちから送ろうかな、と開いてたところだったからすぐに気付けた。
「……!」
花音の表情がぱーっと明るくなる。
爆速で既読が付いてしまうのは恥ずかしいけど、お喋りしたい方が勝った。
ただ見栄を張りたくはあるので、「うちも! また遊ぼ!」と返す文章のビックリマークは一つずつにしておいた。
本当は十個ずつぐらい付けたかった。
それぐらい楽しかったのだ。
だってリアルの友達と遊ぶなんて、本当に久しぶりだったから。
「――ぼっち回避ぃぃぃ……っ!」
ガッツポーズも声も出ちゃう。
なんなら少し涙も滲むぐらい、花音は友達に飢えていた。
なぜなら『あの事件』を起こして以来、ずーっと避けられ、怖れられていたから。
(ほんま誰やねん。初めに『狂犬』なんか言い出したアホは……!?)
見つけていっぺんシバいたろか、と口に出しかけて……何とか思い止まる。
吠えない。
キレない。
噛みつかない。
自分のそういうところが悪いんだって、自分でも分かってはいるのだから。
そもそも、全ての発端は一年前――。
『――うちは竜胆花音! この学校に伝説を残す女やっ!』
高校一年のホームルームで吠えちゃったところから、歯車が狂っていったのだ。
(まさか、おんなじことやらかすアホがおるとはなぁ……)
新月がカマしたのを見たとき、生き別れの兄弟を見つけたような気分になった。
懐かしくて、こそばゆくて、放っておけなくて声をかけた。
昔の自分と同じ道を辿るなら、苦労は避けられないだろうから。
(ほんま、アホやったなあ。あの頃は……)
もうめちゃめちゃに尖ってた。
変わりものが多い芸能科ですら浮いていた。
だけどそんなこと全く気にならないほどの情熱が、胸の中に燃えていた。
そしてそんな自分に現実が従うかのように、最初は色々なことが上手く行った。
「竜胆さんカッコいい!」ってみんながチヤホヤしてくれたし、お昼ごはんの相手にも困らなかったし、何より「一緒にバンドを組んでくれ!」と誘ってくる奴らがひっきりなしにやって来て、自分の元に傅いた。
そういうことが全て、天才だからだと思ってた。
自分に実力があるからだと思ってた。
だから当然のように難関を突破して、萩月祭でトリを飾ると信じて疑わなかった。
そんな花音の黄金期は、たった一ヶ月で終わりを迎えることになる。
ゴールデンウィーク明けの、萩月祭バンドステージの一次審査結果発表――。
花音のバンドの名前はなかった。
『……は……?』
伝説を残すどころか書類落ち。
そんな現実を前にして、花音は――、
『――ふざけんな、耳腐ってんか!? ええ加減にせえよボケが!!!』
認めないどころか噛みついてしまった。
なんと審査委員会まで乗り込んで、ブチ切れて暴れてしまったのである。
(若気の至りにも程があるやろ。アホ過ぎるわ……)
審査委員会の見る目を自ら証明した形だ。
今となっては、顔が沸騰しそうになるほど恥ずかしい。
しかし、過去というのはどれだけ願っても消せるものではない。
このカチコミ事件は瞬く間に学校中に知れ渡り、花音のメッキを剥がしていった。
チヤホヤしてくれた友達はビビっていなくなった。
ごはんは独りが当たり前になった。
バンドを組んでくれた友達は離れなかったけど、でもそれも絆なんかじゃなかった。
『――お、おれたち、付きあわね……?』
『――……は……?』
チヤホヤされたのも、バンドに誘われたのも、自分に才能があったからじゃない。
たまたま凄い美人に生まれて、シンプルに外見がいいだけだった。
ただそれだけだった。
……と、いうことを当時は分かってなかったので、
『――ざっけんなボケ、そんなつもりで組んだんとちゃうぞ!!!』
『――音楽舐めとんちゃうぞ、シバき回したろか――――っ!?』
また吠えて、噛みついて、暴れてしまった。
そういうことを懲りずに繰り返していくうちに付いてしまった、花音の消えない二つ名。
それが『狂犬』だった、というわけである。
「朝倉には、絶っ対バレんようにせな……」
あいつには離れていってほしくない。今後も末永くやっていきたい。
会って初日ながら心底そう思うぐらい、花音は新月のことを気に入り始めていた。
話が合って、昔の自分と似ているところもあって、でもそれだけじゃない。
やってることは滅茶苦茶なのに、妙に落ち着いているというか。
『――やらなきゃ死ぬんだ。やるしかないね』
主張はしないけれど、静かに燃える蒼い炎のような。
自分にはない輝きに、惹きつけられるものがある――……。
「……あいつ、ほんまに大丈夫なんかなあ?」
あんな頼りない調子で、孤立してる状況で、人なんて集められるんだろうか。
しかも集めるのは普通の面子じゃいけない。
めちゃくちゃ上手いうえに実績もあって、呼吸も合うような奴じゃなきゃいけないのに。
たとえば、そう――。
「――うちみたいな奴。……他におるんか?」
むう、と花音は唇を尖らせる。
もう頑張らないって決めたけど。
誘われたって断るけど。
愛機のギターはどれも弦を切って、押し入れの中に封印するほど意思は固いけど!
(それはそれとして、うちに誘いがないのはなんでやねん……?)
乙女心は複雑なのだった。
こうなったらせいぜい苦しめばいい。
土壇場になって「やっぱり竜胆助けてー!?」なんて泣きつかれても知らないんだから。
…………まあ、でも。
途中ちょこっと助けてやるぐらいのことは、してあげてもいいけど。
何せ奴はズブの素人。
人集めはともかくとして、ギターという楽器は入門の壁がとにかく高い。
隣で達人がサポートしてくれたら、これほど心強いこともないだろう。
(そ、それぐらいは……助けたってもセーフやんな?)
今日の楽器屋巡りだってその範疇だったし。
決して自分がやりたい訳じゃないけど、備えあれば憂いなしって言うし?
「うん。やっぱ弦だけでも買うて帰ろ!」
足取りも軽やかに、花音は楽器屋街の方に引き返していく。
――別にどこの店でも買えるけど、せっかくだから新月と最初に入った店にしよう。
そんな風に、なんとなく選んだだけだった。
それが運命の分かれ道だったなんて、夢にも思わなかった。
――――^―^――――――^――――^―♪
「…………っ!?」
楽器屋に入った瞬間、稲妻が花音を打ちのめした。
ただ、軽く流したようなフレーズが耳に入っただけ。
それだけなのに、痺れて動けなくなるほどの魔力が宿っていた。
澄み切ったクリーントーンに脳がとろける。
一度も聞いたことがないはずのフレーズが、懐かしささえ感じさせて胸に響く。
ギターが、歌っている――。
(誰やこれ。プロか……!?)
試奏アンプの周りにギャラリーが集まっていて、誰が弾いているのかよく見えない。
でもおそらく、これを弾いている奴は人間じゃない。
まるでギターの神様がふらっと寄って、戯れに楽器屋で遊んでるみたいな――、
――ぎゅうううう――――――――――――ん!!!
――ぴろぴろぴろぴろ!!!
――とぅるるるららろろろろろ!!!
――きゅぃいいいい――――――――ん………………!
「…………え…………?」
そんな神様が、心臓を止めるようなフレーズを弾いた。
めっちゃイキれるけど嫌味じゃない、絶妙なラインにこだわったオリジナルフレーズ。
【カノン・スペシャル18号】――。
楽器屋用に作ったこいつは、今まで一度だって世に出たことはない。
聞かせるような友達もいなかったのだ。
……今日、この日までは。
(――ありえへん。そんなん。……嘘やっ!)
もがくようにギャラリーを掻き分けて、犯人の正体を確かめる。
違っていてくれ、と心から願った。
だけど叶わなかった。
「…………そんな…………」
弾いていたのは、新月だった。




