表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
14/20

3-3:【舟歌】嬰ヘ長調 Op.60

 萩月学園の講堂は、国際フォーラム顔負けの最高コンサートホールだった。

 何が最高って、全席赤絨毯のふかふか椅子なの。

 しかもぼくの座席は3Fアリーナ席の隅っこの方で、何があっても目立たない。

 となれば、


「…………zzz」


 寝るよね。そりゃあ。

 ただでさえ始業式なんかだるいのに、知らん学校の知らん先生の知らん話なんか聞いてられない。ある意味最高の睡眠導入で、ぼくは落ちるように眠っていたんだけど――、


「『ショパン国際ピアノコンクール in ASIA』中学生部門、金賞受賞」

「中等部3年C組、遊佐満月さん。おめでとう」

「春期休業中の輝かしい成果を称え、私から学長賞を授与する。壇上に上がり給え」


 その名前を耳にした瞬間、ぼくは電流を流されたように跳ね起きた。

 静寂の中、一階席の中心で少女が立ち上がる。

 本当に、ただ立っただけ。

 なのにスポットライトが当たったみたいに、彼女は静かに輝いて見える。

 さらさらの長い銀髪に、地球の深淵みたいに蒼い瞳。

 今にも折れそうな細い肢体で歩く姿は儚げで、芸術品めいている。

 活躍はネットとかでずっと追ってたから、姿を見るのは初めてじゃないけれど。


「……大きくなったな」


 ついそう呟いてしまう。

 そんなぼくの隣で、ルミナがはーっと息を呑んだ。


『可愛い~……。お人形さんみたーい。あの子が新月の妹ちゃん?』

 ……やっぱり知ってたんだ。

 そうだよ。全然似てないでしょ?

 向こうはお母さんがポーランド人だからね。にしたって美人過ぎるけど。

『あ。そっか、ママが違うんだ』

 そう。同じなのは父親だけ。

 要は腹違い――異母兄妹ってやつ。

『ははー……なるほどねー。英雄もやるねー』

 やり過ぎなんだよあのバカは。どこの王室だよって話。

 まあでも王室に喩えるなら、満月は正室の子。ぼくは妾の子って感じだね。

 満月の母親はポーランド出身の天才ピアニスト――エレナ・ルヴィノヴァ。

 天才ロッカー・遊佐英雄と、唯一正統に結婚していた人なんだ。

 だからその間に生まれた満月は、二人の家柄と才能を正しく継いで生まれてる。


「……ぼくと違ってね」


 最後にぼそっと呟いた声は、学長賞授与の拍手でかき消されてしまった。


「それでは本日は特別に、このまま遊佐さんにコンクールでの曲目を一つ披露していただく」

「他ならぬ本学の生徒に本物を体験してもらうため、特別に引き受けて頂いた」

「皆、心して傾聴するように」


 そのまま壇上脇のグランドピアノに着く満月。

 全くの不意打ちに、ぼくは目を丸くすることしかできない。


「曲目はショパンより【舟歌】嬰ヘ長調 Op.60」

「それでは、お願いする」


 ぼくは背筋を伸ばし、高級フランス料理店の席に着いたようになる。

 ……緊張していた。

 だけど、満月の細くて白い指先がピアノに触れた瞬間、



「――――――――――――――――――――――――――」



 すべてが消えてなくなった。

 澄みきった水の流れが砂の城を消し去っていくように、自分すらもとけていって。

 気付けばぼくは夜空の上から、ゴンドラの舟を漕ぐ少女を見下ろしていた。

 海と水路の上に浮かぶ、どこかヨーロッパの古い街。

 灯も消えたような深い夜の中を、彼女は独りで舟を漕いでいく。

 入り組んでいる水路。

 どこへ向かっているのか分からない。

 これで合っているのかも分からない。

 それでも少女は――満月は、力強く舟を進めていく。

 水面に映る大きな月に手を伸ばすように、ぐっと櫂を漕いで。

 夜空を見上げて少しだけ微笑み、何かを呟く――。


「……ぁあ…………」


 音を通して、満月の美しい世界が見えてくる。

 それがどういう意味を持つものなのかは分からない。

 ただ、一つだけ確実に分かった。


 これが天才なんだ、って。


 ルミナ頼りの偽物(ぼく)とは違う、本物の――……。


 ――わあああああ…………!!!


 演奏が終わると、始業式とは思えないぐらいの拍手と声援が上がる。

 ぼくも拍手を贈りたかったけど、できなかった。

 膝の上で握った拳が解けない。

 ずっとその場から動けずに、満月だけを見つめている。

 ……そんなときだった。


「…………zzz」


 ぼくの左肩に、えらい美少女の頭が乗ってきた。


「うおっ……!?」


 肩ぐらいの長さに揃えられたウルフヘアには、紫のインナーカラーが入ってる。

 お洒落さんだ。それにしてもあまりに顔がいい。

 鼓動が自分でも聞こえるぐらいドキドキして、それが伝わってしまったのかもしれない。


「…………んぅ?」


 女の子が目を覚ました。

 固まってしまったぼくと、ド近の距離で目が合う。

 彼女はぱちり、ぱちり、と二度ほど瞬きして、


「……なんや、自分。えらい男前やなあ……?」


 ぼーっとした関西弁で、急にそんなことを言った。

 今度はぼくが目をぱちくりさせる。

 ぼくは自分の顔がとにかく好きじゃないので、前髪をかなり伸ばして隠してる。

 そうじゃなくても「男前」なんて一度も言われたことがないので、


「――正気? 寝ぼけてるでしょ」


 つい言い返してしまった。

 すると女の子は目を細めて、


「かもせえへん」


 ぼくの肩にゆるく頭突きをかまし、そのまま反動で背もたれに身を預けた。


「終わったらまた起こして~……」

「え、ええ?」


 いきなりそんなこと頼まれても、と言い返そうとしているうちに、


「…………zzz」


 ナゾの美少女は一瞬でまた眠ってしまった。


(み、満月の演奏を聞いて寝られるなんて……)


 ぼくなんて動けないぐらいだったのに。

 素人には分からない……とかそういう話じゃないよね。だってこんなにウケてるんだし。

 なのに無反応ってことは、信じられないぐらい鈍感か。

 あるいは突き抜けてる大物か。

 そのどっちかだと思うんだけど――、


(凄いなあ。大物だ……)


 初めて会った時から、ぼくは後者だと確信していた。

 これが、竜胆花音との出会いだった。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ