世界のバグ、王女の眼
「……おい、嘘だろ。レイン、お前……」
戦友のハンスが、腰を抜かしたまま震える声で俺を呼んだ。
俺の足元には、先ほどまで「無敵の絶望」として君臨していた帝国精鋭重騎士が、物言わぬ肉塊となって転がっている。
俺の左肩からは、ドクドクと熱い血が溢れていた。
騎士の剣をあえて受け、肉を切らせて骨を断つ――死に戻りで動きを知っていなければ、到底不可能な狂気の博打。
(……はぁ、はぁ……っ)
立っているのがやっとだ。
脳内では、相変わらず無機質なシステムメッセージが鳴り止まない。
【経験値の吸収を完了しました】
【ステータスが大幅に上昇しました】
【スキル『痛覚耐性』を獲得】
視界の端で、俺自身のステータスが目まぐるしく書き換えられていく。
Lv1からLv12。
本来、辺境の徴用兵が数年かけて、あるいは一生かけて到達するかどうかの領域に、俺は「一回の死闘」で到達してしまった。
「レイン! 肩をやられてるじゃねぇか! 援護を――」
ハンスが駆け寄ろうとした、その時だった。
「――待ちなさい。それ以上、その者に近づいてはなりません」
凛とした、場にそぐわないほど清らかな声が戦場に響いた。
乱戦の最中だというのに、その声が聞こえた瞬間、周囲の兵士たちの動きがピタリと止まる。
森の奥から現れたのは、白銀の装甲を纏った騎兵隊。
そして、その中心に立つのは、まばゆい金髪をなびかせた少女だった。
「リ、リィア王女殿下……!?」
ハンスが慌てて跪く。
アステリア王国の第一王女であり、民からは「聖女」と崇められるリィア・アステリア。
本来なら、こんな最前線の泥臭い戦場に現れるはずのない高貴な存在だ。
だが、俺の眼――「世界の裏側」を視認し始めたこの眼には、彼女の姿が異常に映った。
【個体名:リィア・アステリア】
【役割:聖女 / シナリオの案内人】
【状態:???(観測不能)】
(案内人……?)
リィア王女は、跪く兵士たちには目もくれず、真っ直ぐに俺へと歩み寄ってきた。
彼女の瞳は、まるで深い湖のように透き通っているが、その奥には、他人には決して見せない鋭い「観察」の光が宿っている。
彼女は、俺の足元に転がる騎士の死体と、俺の傷口を交互に見た。
「……あり得ません。この地点での騎士団の全滅は、定数だったはず」
彼女が小さく呟いた言葉。それは、周囲の兵士には「奇跡に驚いている」ように聞こえただろう。
だが、俺には分かった。
彼女もまた、この世界の「予定」を知っている。
「貴方、名前は?」
「……レイン。レイン・アルトスです、殿下」
俺が片膝をつこうとすると、彼女はその細い手で俺の肩を制した。
触れられた瞬間、温かい光が傷口を包む。
【聖級回復魔法:『福音の加護』を検知】
【傷の修復を開始します……完了】
一瞬で痛みが消えた。
だが、それ以上に驚いたのは、彼女が俺の耳元で囁いた言葉だった。
「……レイン。貴方、今『何回目』ですか?」
心臓が跳ねた。
「死に戻り」のことか? なぜ、彼女がそれを知っている。
「何を……おっしゃっているのか……」
「とぼけても無駄です。貴方の魂の色彩は、過剰な回数の『死』によって変色している。……そして、この戦場での貴方の死は、天によって定められた確定事項でした」
リィアの瞳が、俺の網膜の奥を見透かすように細められる。
「この世界は、正しい物語を歩まねばなりません。貴方のような『バグ』は、放置すれば世界そのものを壊しかねないわ」
その言葉と同時に、彼女の手の中に光の剣が形成される。
慈悲深い聖女の貌は消え、そこにあったのは、害虫を排除しようとする「世界の管理者」としての冷徹な眼差しだった。
(……っ! こいつも、神の側か!?)
俺は咄嗟に剣を構えようとした。
だが、リィアは剣を振り下ろす寸前で、わずかに口角を上げた。
「――けれど、私は『退屈なハッピーエンド』に飽き飽きしていたの」
彼女は光の剣を消すと、周囲に聞こえるような大声で宣言した。
「全軍に告ぐ! この勇猛なる兵士、レイン・アルトスが、帝国の精鋭を討ち取りました! これは神が授けし勝利の予兆です!」
地響きのような歓声が上がる。
味方の士気は一気に爆発し、逃げ腰だった敗残兵たちが、逆に帝国軍を押し返し始めた。
呆然とする俺の肩を、リィアがもう一度強く掴む。
「レイン。貴方は死ななかった。運命を書き換えた。……なら、最後まで抗ってみせなさい。管理者が貴方を『修正』しに来る前に、この腐ったシナリオを全部ぶっ壊すほどに」
【イベントフラグ:『聖女の密約』が発生しました】
システムの声が頭に響く。
目の前のヒロインは、救い主などではない。
世界の異常に気づき、それを利用しようとする、もう一人の「裏切り者」だ。
「……面白いな。あんたもバグの仲間入りをしたいってわけか」
「ふふ、不敬ですよ。……さあ、行きましょう。この戦い、本来なら私たちが負けて、私は捕虜になるはずだった。その予定を、もっと無様に壊して差し上げて」
俺はニヤリと笑った。
精神の摩耗? 魂の崩壊?
知るか。
ただのモブとして死ぬより、世界を敵に回して暴れる方が、よっぽど「生きてる」実感が湧く。
「ハンス! ぼーっとするな、追撃だ! 運命に、一泡吹かせてやるぞ!」
俺は再び、鉄剣を握り直した。
「死に戻り」で得た経験。
レベルアップで得た力。
そして、この世界への隠しきれない殺意。
それら全てを武器にして、俺は戦場を駆け出した。
【メインシナリオ:第一章・分岐ルート『偽りの聖女と反逆の狼』を走行中】
空の上で、神々が苛立ちに顔を歪めているのが、今の俺にはハッキリと視えていた。




