最強のイレギュラー
「――おいおい、冗談だろ」
俺、レイン・アルトスの眼前に広がる光景は、一言で言えば「地獄」だった。
先ほどまでリィア王女の宣言で士気が上がっていた味方兵士たちが、まるで目に見えない巨人に踏みつぶされたかのように、次々と地面に転がっていく。
ただ一人、そこに立っている女がいた。
漆黒のフルプレートに身を包み、身の丈ほどもある巨大な大剣を、羽毛のように軽く肩に担いだ女。
長い銀髪が、返り血で赤黒く染まった戦場に鮮烈に映える。
【個体名:アイリス・ヴァレンタイン】
【役割:執行者 / 帝国の至宝】
【レベル:???(解析不能)】
【状態:予定外の介入に対する『修正』】
(解析不能……だと?)
「リィア様、下がって……!」
俺は、隣に立つ王女を背後に庇った。
リィアの顔からも、先ほどの不敵な笑みが消え、青褪めている。
「……アイリス・ヴァレンタイン。本来、彼女はこの戦場には現れないはず。……神が、あなたのイレギュラーな行動を相殺するために、彼女を『転送』したんだわ」
銀髪の女――アイリスは、感情の欠落した瞳で俺を捉えた。
「……確認。対象、レイン・アルトス。想定外の成長を遂げた『バグ』。これより、論理削除を開始する」
一瞬。
本当に、瞬き一つの間だった。
アイリスの姿が消えたと思った瞬間、俺の目の前には巨大な剣の腹が迫っていた。
「が、はっ……!?」
剣を振るったのではない。ただの突進。
それだけで、レベル12まで上がった俺の体が木の葉のように吹き飛ばされる。
木々を数本へし折り、俺の体は岩壁に激突してようやく止まった。
【致命傷を検知:HP 2/450】
【スキル『痛覚耐性』がレベルアップ……Lv 3】
「ぐ、あ……」
口から溢れるのは、内臓の破片か。
視界が急激に暗くなる。
一撃。たった一撃で、俺の全てが否定された。
「……しぶとい。消去を完遂する」
アイリスが、無造作に剣を振り上げる。
抗う術はない。今の俺のステータスでは、彼女の動きを「視る」ことすら叶わない。
(……ああ、そうか。これが『修正』ってやつか)
バグが見つかれば、より強力なアンチウイルスをぶち込む。
神のやり方は、どこまでも合理的で、残酷だ。
大剣が、俺の脳天を叩き潰そうとしたその刹那。
俺は、リィアと目が合った。
彼女は、唇を噛み締め、声にならない声でこう叫んだ。
『――繋いで。次の、あなたへ!』
ドゴォッ!!
脳が弾ける感触。
四度目の死。
「……はぁっ!!」
肺が焼けるような呼吸と共に、俺は再び「あの場所」に立っていた。
帝国精鋭重騎士を倒し、リィア王女が俺の前に現れる、数分前の地点。
「……おい、レイン? 急に顔色が真っ青だぞ。勝利の余韻に浸りすぎたか?」
ハンスの声。
だが、今の俺にはそれを聞き流す余裕すらない。
(来る。あの化け物が、俺を殺しに、システムを直しにくる……!)
【警告:死に戻りによる精神ダメージが蓄積しています】
【特殊状態:『虚無への片足』が進行中】
頭が割れるように痛い。
リトライの回数が増えるたび、俺の魂の端がボロボロと崩れていくのが分かる。
だが、止まるわけにはいかない。
あいつの剣を、あの一撃を、どうにかして「なかったこと」にしなければ、俺も、リィアも、この未来ごと消される。
「リィア様!」
俺は、現れたばかりの王女へ、礼儀もクソもなく掴みかかった。
「……!? な、なんですの、無礼な……」
「アイリス・ヴァレンタインが来る。今すぐ、全軍を引かせてください! あいつはこの戦場の『予定』じゃない!」
リィアの目が大きく見開かれた。
「……なぜ、それを? まだ彼女は観測されていないはず……」
「死んで見てきたんだよ! あと三〇秒で、あそこから来る!」
俺が指差した、虚無の空間。
リィアは、俺の瞳に宿る、正気を失いかけた「確信」を見て、即座に頷いた。
「分かりました。……全軍、反転撤退! 私の命に従いなさい!」
王女の号令。だが、間に合わない。
空間が歪み、あの銀色の死神が姿を現した。
「……対象を補足。論理削除を開始――」
アイリスが地を蹴る。
一回目と同じ。全く同じ速度、同じ軌道。
だが、今の俺には「前回の記憶」がある。
(見えた……!)
俺は、アイリスの突進に合わせて、懐に隠し持っていた「帝国騎士の信管」を、自分の足元で爆発させた。
殺傷能力はない、目眩まし用の魔道具だ。
「……!? 視界、阻害」
アイリスの動きが、コンマ一秒だけ停滞した。
その隙に、俺は剣を振るうのではない。
アイリスの大剣の「根元」へ、全力で体当たりをかました。
【条件達成:死の経験を糧に、格上の初撃を『予知』した】
【ユニークスキル:『クロノ・アイ(刹那の予知)』が覚醒しました】
ガギィィィィン!!
火花が散る。
俺の腕の骨が、圧力だけで数箇所砕ける。
だが、アイリスの剣は、俺の急所を逸れた。
「……バグの挙動。計算と乖離」
アイリスの声に、初めてかすかな「違和感」が混じった。
「計算通りに動くほど、お利口さんじゃねぇんだよ……っ!」
俺は砕けた腕を引きずりながら、笑った。
アイリスの頭上に、新たな文字が浮かび上がる。
【アイリス・ヴァレンタイン:感情同期率 1% 上昇】
【シナリオ・ノイズ:増大】
この最強の執行者は、今はただの人形だ。
だが、俺が「予定」を裏切り続けるたびに、彼女のシステムにノイズが走る。
「リィア様、今のうちに!」
「ええ……! レイン、死なないで。あなたは私の『最高傑作』なんですから!」
リィアが退却の指揮を執る中、俺はアイリスと対峙した。
勝てない。今のレベルでは、万に一つも勝ち目はない。
だが、死に戻りがある限り、俺は「負け」を「なかったこと」にできる。
「さて……何回死ねば、あんたを攻略できるかな」
アイリスが、再び大剣を構える。
その圧倒的な質量を前にして、俺の心は不思議と静かだった。
これが、運命をぶっ壊す「バグ」の戦い方だ。
【戦闘継続:レイン・アルトス vs 執行者アイリス】
【生存確率:0.0001% ―― 試行回数:開始】
俺の、本当の意味での地獄が始まった。




