無様な死の先にある、残酷な継続
視界が、赤く染まっていた。
生臭い鉄の匂いが鼻を突き、内臓を直接冷たい風に撫でられているような錯覚に陥る。
「あ、あ……がふっ……」
口から溢れたのは言葉ではなく、どろりとした鮮血の塊だった。
目の前には、漆黒の鎧に身を包んだ帝国騎士が立っている。その手にある大剣は、俺――レイン・アルトスの腹部を無造作に貫通していた。
「……辺境の徴用兵が。貴様の死は、この戦域における『統計上の誤差』にすらならんよ」
冷徹な声。騎士はゴミを見るような目で俺を見下ろすと、無造作に剣を引き抜いた。
衝撃。焼けるような痛み。そして、急速に体温が奪われていく感覚。
俺は膝から崩れ落ち、泥濘に顔を埋めた。
周囲からは、味方の悲鳴と、一方的な虐殺を謳歌する勝ち鬨が聞こえてくる。
(……なんで、だよ……)
俺はただ、村を守りたかっただけだ。
病弱な妹に、温かい飯を食わせてやりたかっただけなんだ。
剣の才能なんてなかった。魔法の資質もゼロだった。それでも、必死に木剣を振り、泥を啜って生きてきた。
なのに、結末はこれか。
名もなきモブ兵士として、戦場の肥やしになる。
それが、俺という人間の「価値」だったのか。
意識が遠のく。暗闇が視界を塗り潰そうとした、その時――。
『――条件を確認。個体識別名:レイン・アルトス。生命活動の停止を検知』
頭の中に、無機質な、それでいてひどく傲慢な響きを持つ「声」が響いた。
『世界シナリオ:第1章「辺境戦役」――予定された結末と合致。当該個体の消滅を承認します』
(シナリオ……? 承認……?)
何を言っている。俺の人生は、誰かに決められた台本だっていうのか。
ふざけるな。こんな無様な死に様を、誰かが「予定」していたというのか。
『警告。魂の崩壊を検知……いいえ、これは。――リトライ権限の強制起動?』
声に、初めて困惑の色が混じった気がした。
『バグです。管理外の挙動を確認。……いいえ、予定通りに進めなさい。お前はここで、死ぬ運命なのだから』
「……うる、せぇ……」
俺は、死の淵で歯を剥き出した。
神か何だか知らないが、俺の命を勝手に「予定」に組み込むな。
その瞬間、世界が、反転した。
「……はっ!?」
肺に冷たい空気が流れ込み、俺は大きく身をのけぞらせた。
痛くない。腹に穴は空いていない。
それどころか、俺は立っていた。
手には、使い古された安物の鉄剣。
「おい、レイン! 何ボサっとしてやがる! 敵の先遣隊が来るぞ!」
隣から、聞き覚えのある声がした。
戦友のハンスだ。こいつはさっき、俺の目の前で首を撥ねられたはず――。
「ハンス……? お前、生きて……」
「縁起でもねぇこと抜かすな! ほら、来やがったぞ!」
前方を見る。
森の奥から、あの漆黒の鎧を纏った帝国騎士たちが姿を現した。
デジャヴ。いや、これは、先ほど見た光景そのものだ。
(戻ったのか……? 殺される、直前に?)
わけがわからない。だが、手のひらに残る死の感触は本物だ。
あの冷たい鉄の感覚。絶望。
「う、うあああああ!」
俺は恐怖に突き動かされるまま、剣を振るった。
だが。
「遅いな。徴用兵」
さっきと同じ。
全く同じタイミング、全く同じ軌道で、帝国騎士の大剣が俺の喉笛を切り裂いた。
「が、はっ……」
二度目の死。
一回目よりも鮮明な苦痛が全身を駆け巡る。
『リトライ。……無駄なことを。決定事項は覆らない』
また、あの声が聞こえた。
三度目。
俺は戻ると同時に、右側へ転がった。
さっき首を斬られた、その攻撃を回避するために。
(避けた……!)
だが、喜びは一瞬だった。
騎士は、まるで俺の動きを予知していたかのように、流れるような動作で剣を返し、俺の心臓をぶち抜いた。
「な……ぜ……」
「偶然か。だが、ネズミが一度避けようと結果は変わらん」
三度目の死。
意識が潰れる直前、俺の視界に「奇妙なもの」が映った。
騎士の頭上に浮かぶ、半透明の文字。
【帝国精鋭重騎士:Lv 25】
【アクティブスキル:一閃・予見】
【状態:予定通り(レイン・アルトスの殺害)】
(レベル……? 予定……?)
それは、この世界の「裏側」を記述したパラメータのように見えた。
俺は、自分の手元を見た。
【レイン・アルトス:Lv 1】
【固有スキル:死に戻り(リトライ)】
【特殊状態:精神汚染(微量)】
『警告。精神の摩耗を確認。リトライを繰り返せば、魂は崩壊します』
声が嘲笑う。
お前は勝てない。お前はただの、死ぬために用意されたレベル1のモブなのだと。
「……ハ、ハハ……」
喉の奥から、乾いた笑いが出た。
そうか。この世界は、ゲームか何かなんだな。
神様だかシステムだかが、俺たちの命を使って「面白い物語」を書いてやがるんだ。
そして俺の役割は、この騎士に殺されて、戦場の悲惨さを演出するだけの、名前すら残らない犠牲者。
「……ふざけるな」
四度目。
俺は、騎士が剣を振るう前に、足元の泥を蹴り上げた。
目潰し。騎士がわずかに顔を背ける。
【条件達成:格上の敵に対し、10回以上の絶望的状況で生存本能を発揮】
【スキル:『不屈の闘志』を獲得】
【スキル:『観察眼』が解放されました】
視界が変わる。
騎士の動きが、線になって見える。
どこに力を込め、どこに重心を置いているか。
そして――「どこを叩けば、このシナリオが壊れるか」が。
「……見えたぞ」
五度目のリトライ。
俺は、騎士の剣をあえて自分の左肩で受けた。
肉が裂け、骨が砕ける音がする。だが、痛みはもう、恐怖の対象じゃない。
俺を殺すための「確定演出」を、俺自身の肉体で固定してやった。
「なに……!? 貴様、避けずに……!」
驚愕。
システムが想定していない、モブにあるまじき狂気の行動。
騎士の頭上の文字が、激しく明滅する。
【予測エラー:対象の行動がシナリオから逸脱しています】
「これで、おしまだ……!」
俺は、右手に持ったボロボロの鉄剣を、騎士の兜の隙間――唯一の弱点である喉元へ、全体重を乗せて突き立てた。
ぐしゃり、という嫌な感触。
「……ば、かな……。私は、ここで死ぬはずでは……」
騎士の巨体が、糸の切れた人形のように崩れ落ちる。
その瞬間、俺の脳内に、これまでにないほどの大音響で「声」が鳴り響いた。
『緊急事態。重要エネミーの死亡を確認』
『シナリオ「辺境戦役」が崩壊しています。再構築……失敗』
『個体名:レイン・アルトスを、世界の「バグ」として暫定定義します』
俺の体に、膨大な熱が流れ込んできた。
騎士から溢れ出した光の粒子が、俺の体に吸い込まれていく。
【レベルアップ:Lv 1 → Lv 12】
【条件達成:運命の歯車を破壊】
【ユニークスキル:『システム・ハック(限定公開)』を獲得しました】
俺は、血塗れの地面に立ち尽くしていた。
周囲の兵士たちが、信じられないものを見る目で俺を見ている。
当然だ。最弱の徴用兵が、帝国の精鋭を討ち取ったのだから。
だが、俺の視線はその先――空の彼方に向けられていた。
そこには、巨大な「空のヒビ」のようなものが見え、その奥から、無数の瞳が俺を見下ろしているような気がした。
(見てるんだろ、神様)
俺は、鉄剣に付いた血を振り払った。
心臓は激しく波打ち、精神は焼けるように熱い。
死の恐怖は消えていない。戻るたびに、俺の中の何かが削れていくのもわかる。
(俺を殺すのが「運命」だって言うなら)
俺は、虚空に向かって、はっきりと告げた。
(その運命ごと、あんたを叩き斬ってやる)
【メインシナリオ:第一章『予定された敗北』――クリア(強制終了)】
【隠しルート:『神への反逆』が開放されました】
これが、俺の、バグとしての初陣だった。




