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コンコン
「失礼いたします。シエ・スーミンでございます」
「はいどうぞ」
そっと開けると皇妃が笑顔で迎えてくれた。その顔を見た瞬間、なんだか気持ちが少し落ち着いた。部屋の中も優しい香りで満たされていて、徐々に緊張感も解れていく。
「さ、こっちに来てちょうだい」
「……は、はい。ただいま」
促されて急いで椅子に腰を掛ける。テーブルには焼き立ての焼き菓子とミニケーキが並んでおり、どれも美味しそうな匂いでいっぱいだった。
「飲み物は紅茶でいいかしら?」
「は……はい」
皇妃は紅茶を侍女に頼むと、すっとシエ・スーミンを見た。そして、柔らかい口調でこう言った。
「無事に帰ってきてくれて嬉しいわ。お帰りなさい。私の可愛いスーミン」
「……は、母上?」
「んもう。二人でいるときはお母さんって呼んでくれたらもっと嬉しいなぁ」
「そ……その。失礼して。お、お、お母さん」
「そうそう。嬉しいわ」
普段、言いなれない言葉を発するのはこんなに恥ずかしいのかと顔に現れていた。
「うふふ。無理言っちゃってごめんなさいね。でも、あなたと少しでもお話がし
たくて」
「はぁ……」
すっかり気が抜けてしまい、肩の力が抜けたところに茶色の液体が運ばれてきた。
「これは……」
シエ・スーミンは見たことの無い液体に戸惑いを隠せない。それみた皇妃はまたくすくすと笑う。
「紅茶っていう飲み物よ。こういったお菓子にぴったりなのよ」
ティーポットからカップに注がれ湯気が立つそれは、どこか気品がありまるで紳士淑女のような立ち振る舞いをしていた。
「お口にあうかしら」
「い……いただきます」
口に含むと、さわやかな香りがまず鼻腔をくすぐった。その後に深くてコクのある風味が追いかけてきた。香りも味も両方格別だとシエ・スーミンは思った。
「……はぁ。美味しい」
「よかった。ちょっと心配だったのだけど、喜んで貰えてうれしいわ」
皇妃は焼き立てのクッキーに手を伸ばして一口頬張る。バターの風味とミルクのまろやかさ、サクッという心地よい音が気持ちまで楽しませてくれる。
「うん♪ 美味しい」
「では、私も……」
シエ・スーミンも皇妃が食べた物と同じクッキーに手を伸ばす。軽い食感の後に素材のおいしいところが口の中一杯に広がる。食べたことがないシエ・スーミンには驚きの一時だった。
「おい……しい」
「うふふ。まだたくさんあるから食べてね」
「はい」
次に手を伸ばしたのは、まるでパイのようなものだが野菜がふんだんに使われているものだ。ほかの物とは明らかに違うと思ったシエ・スーミンは一瞬、戸惑った。
「これはキッシュっていってね。食事向けのケーキなの。食べてみる?」
「はい。ひとついただいていいですか?」
「もちろんよ。ちょっと待ってね」
円形に焼かれたそれは、表面にホウレンソウ、ニンジン、パプリカ等の色鮮やかな野菜が散りばめられている。端までこんがりと焼かれていて、香ばしい香りがまた食欲をそそる。
「グラタンみたいでしょ?これ、料理長のとっておきなんですって」
慣れた手つきで切り分ける皇妃。クリーミーなソースの中にはたっぷりのチキンが入っていた。それをじっと見つめるシエ・スーミン。一つ一つが新鮮で、自分のいる世界とは違っていることに戸惑いもあるが、今はどちらかといえば楽しいという気持ちが勝っていた。
「はい。どうぞ。熱いから気を付けて食べてね」
切りわけられたキッシュは、一見ケーキのようにも見えたがこれは食事をするケーキだと改めてわかった。フォークで一口サイズに切り、口に運ぶとクリーミーさの中にぴりりと利いた胡椒が食欲を増進してくれる。また、大き目にカットされたチキンも歯ごたえがよく、胡椒との相性はばっちりだった。
「戦のあとだからお腹が空いていると思ってね」
「お心遣い、有難うございます」
「んもう……もうちょっと砕けてもいいのに」
皇妃の口先が悪戯にとんがる。なんと反応していいかわからず、顔を伏せているとまたうふふと皇妃が笑う。
「あなたって本当に真面目ね。そういうところ、大好きよ」
「わ……私がですか?」
「ええ。とっても真面目で、とっても自分に厳しくて……まるでお父さんみた
い」
「……」
「もちろん、いい意味でよ? それだけ似ていて嬉しいってことよ」
くすくすと笑うその顔を見ているだけでなぜだろう。さっきまでの緊張感が緩まっていくのがわかる。皇妃もキッシュを一口。うんと唸って満面の笑顔で応えた。
「とっておきっていう理由がわかるわ。あ、それとね」
皇妃はごそごそと何かを取り出すと、シエ・スーミンにそっと手渡した。
「これは……羽飾りですか?」
「ええ。私が身に着けているものと同じもの。あなたにプレゼント」
皇妃の胸元に小さく羽ばたくは、鈍い金色をしていた。さりげなくしかしチャームとしてはとても愛らしかった。
「私にですか……?」
「ええ。あの人はニクス君にご褒美って言ってたけど、わたしはあなたにも何か
素晴らしい所があったと思うの。例えば……強い心で相手に立ち向かったり、
決して挫けなかったりと色々あると思うんだけど。あなたならきっとそうした
行動をとって、今回の戦果を挙げてくれたと思うの。だから、これはあの人に
は内緒よ」
悪戯っぽく人差し指を唇にあてて笑う皇妃。まるで内緒話をしている時の子供ように純粋だった。その真っすぐなお願いを受け取らないわけがない。
「はい。謹んでお受けいたします」
「……何か忘れてない?」
「……お、お、お母さん」
「んー、もっとこう軽く言ってみて」
「ど……どのように……」
「そうねぇ。お母さんありがとでどうかしら」
実の母でもあり皇妃でもある者にそのような事を発していいのだろうか……シエ・スーミンはあたりを見渡し誰もいないことを確認してこほんと軽く咳払いをした。
「お、お母さん……あ、ありがとう……」
「はいっ! よくできました。ありがと」
真っ赤なシエ・スーミンに対し、黄色い微笑みで返す皇妃。顔に籠った熱を放出させるために手でぱたぱた仰ぎ、風を送るシエ・スーミンに気づいた背後の竜がふーふーと息を吹きかける様子に皇妃はころころと笑った。
「あははっ! あなたたち、相性ばっちりね。素敵」
皇妃が幸せそうにしている様子を見て、シエ・スーミンはこういうのも悪くないと小さな声で言った。皇妃に聞こえないくらい小さな声で。
「デザートをお持ちしましょうか」
いつの間にか背後に侍女が立っており、言葉を発する。それに笑顔でお願いする皇妃。
「ええ。お願いするわ」
「畏まりました」
お辞儀をし、部屋を出ていく侍女。紅茶を一口飲むシエ・スーミンに続いて皇妃も紅茶に口をつける。皇妃がシエ・スーミンのカップに新しい紅茶を注ぐと、また新しい香りがふわりと舞う。
「うふふ。お茶会って楽しいわね」
「こういうのは初めてですが……とても心が豊かになります」
「でしょでしょ? またお茶会やりましょうね」
皇妃の笑顔はこうも強い魔力を秘めているものだろうか。こちらまで幸せな気持ちになってくるのに加え、はいという答えしか選択肢がないように仕向けてくる。それはこの場に関しては大いに結構だ。また母とこうしたお茶を飲んで、食事をしたいと思った。
「お待たせしました。白桃のシャーベットをお持ちしました」
「あら。ありがとう」
テーブルに運ばれてきたのは白い球体状の中に薄桃色の果肉がたっぷりと入った氷菓子だった。テーブルの上に置かれた状態でも香る白桃が、瑞々しさを目一杯アピールしている。
「さ、溶けないうちに食べましょ」
子供のようにはしゃぎながらスプーンを取り、白い球体に差し込んだ。サクッと聞こえる氷の音に心なしか涼しく感じられた。耳で涼を感じた後は口で涼を味わう。
「冷たくって美味しい!」
シエ・スーミンも一口。キンとした冷たさ、白桃の甘酸っぱさ、さっぱりとした甘さが口の中だけでなく体も優しく冷やしてくれる。
「これは……」
思わず顔が綻ぶシエ・スーミン。気に入ったのかすぐに次の一口へと手を伸ばす。口に入れた瞬間、頭に鋭い痛みが走った。
「っ!」
今まで経験したこのない痛みに文字通り頭を抱えるシエ・スーミン。抱えている姿を見てまた笑う皇妃。
「そんなに焦らなくても大丈夫よ。落ち着いたらまた一口食べればいいのよ」
半分くらい食べ終わってふうと一息ついた所で、皇妃が紅茶のおかわりを要求。すぐに侍女がポットを傾け、カップに注いでいく。時間が経っているというのに、まだ湯気が出ているのは保温機能に優れたポットなのだろうと感心していた。
「ねぇねぇ。これ、試してみて」
残ったシャーベットを紅茶の中にいれてくるくるとかき回す。茶色だった飲み物が、段々クリーム色になっていった。
「これ、中々美味しいのよ」
最初は抵抗感があったシエ・スーミンだったが、恐る恐る入れると中心から徐々に溶け広がる光景に驚いた。スプーンでかき混ぜるとさっきまでの塊は跡形もなく消え去り、代わりにミルクティーのような飲みものへとなった。
「今日のデザートだと、ピーチティーに似てるかしら?」
「……これは。初めての飲み心地です」
すっきりとした飲み口だった紅茶にシャーベットに含まれる乳成分でまろやかな口当たりが加わり、細かく刻まれた白桃がジューシーな香りを添える。デザートとしても紅茶としてもちょっと変わってはいるが、こういった飲み方も悪くない。
「わたし、こうしたちょっと変わった飲み方をするのが好きなのよ」
シャーベットで適度に冷えた紅茶を飲みながら皇妃は笑顔を絶やさなかった。この飲み方にシエ・スーミンはとても気に入った。
「私、この飲み方気に入りました。ありがとうございます。……お、お母さん」
「喜んでもらえてお母さん嬉しいわ。うふふ」
デザートティーを楽しんだ二人は、しばし時を忘れて話込んだ。普段笑わないシエ・スーミンだが、皇妃と話をしているうちに表情が解れ、途中からは笑みが絶えなかった。それも皇妃が笑っているからだろうか。
「はぁ、いっぱいお話したわね。今日は楽しかったわ。疲れてる時に付き合って
もらってごめんなさいね」
「いえ。私も楽しめましたし。こちらこそありがとうございます。お母さん」
「あら、自然と呼んでくれるようにまでなったわね♪」
何も意識はしていなかったのだが、口から自然とお母さんという単語が出た。それも、恥ずかしいという感情は一切なく。これは大きな進歩である。席を立つシエ・スーミンに皇妃がちょっと待ってと声をかける。
「ハグのプレゼント。親子なんだし、これくらいはさせて」
ぎゅっと抱かれたシエ・スーミンは母親の温もりを感じた。戦場に赴いてばかりで、そういった感覚はゼロに等しかったのだが、こうしてハグをされると愛情というものも感じる。
「お、お母さんっ!? 急になんですか」
「うふふ。スーミンも大人になったなって思ってね」
腰辺りをぎゅっとしている皇妃の顔は、娘が元気に成長している様子を本気で喜んでいるようだった。……常に笑っている素敵な人との間に生まれて良かった。シエ・スーミンはなんだか心がぽかぽかとしてきた。
「それに、この子たちもとっても元気みたいだし」
そういって背後の竜たち一つ一つの頭を撫でる。竜たちも嬉しいのか自ら頭を下げて、「撫でてくれ」と言っているようだった。一通り撫で終わると皇妃は急に咳込みだした。
「だ、大丈夫ですか?」
「今、お水をお持ちします」
「え、ええ。大丈夫。ちょっと喉がイガイガしただけよ。そんなに心配しない
で」
侍女が水を持って皇妃の前へ立つと、それを受け取った皇妃はゆっくりと水を飲み干した。
「うん。もう大丈夫」
「お母さん……」
「そんな悲しい顔しないで。もうへっちゃらなんだから。ね?」
そういって笑いかけてくれるも、先ほどに比べるとなんだか元気がないように見えた。
「お母さん。今日はありがとうございます。そろそろお暇致しますね」
「……ごめんね。わたしが咳込んじゃったばっかりに……」
「いえ。では、失礼します。それと……ご馳走様でした。料理長にもお礼を言っ
ていきます」
「……スーミン」
「はい。なんでしょう」
「あなたは、わたし達の最愛の娘よ。元気があって勇気もあって、凛としてい
て……全部が自慢できる素敵な娘よ。だから、そのことを忘れないでね」
「……もちろんです。私も同じ気持ちです」
「うふふ。ありがと。子供に言われるのって、わたしは幸せ者ね」
そう言いながら皇妃は侍女の肩を借りながらベッドへと移動した。
「スーミン。また、お茶会しましょうね」
「はい。ぜひ。それでは、失礼します」
シエ・スーミンは深々と頭を垂れ、部屋を後にした。ぱたんと扉を閉めぽつり呟いた。
「お母さん……か」
言い慣れていない言葉なのに、今となってはすんなりと出る。これが、謁見の途中で出てはまずいので意識しなくてはいけない。自分に言い聞かせながら自分の部屋へと戻る。
辺りはすっかりと暗くなっていて、廊下を照らす燭台の灯りと窓から差し込む月の光のみとなっていた。
帰る途中、シエ・スーミンの頬から一筋の雫が零れた。それはその二つの光源がないとわからないくらいに細くまっすぐな筋。気が付いたシエ・スーミンはそれを指で拭う。
「……なぜだろう」
自分でも流れた理由はわからない。自分の部屋に帰るまで考えてみたのだが、どうしても理由がわからなかった……。




