2-1
窓から差し込む日差しが瞼に突き刺さる。うっすらと目を開けると、そこには光輝く朝がやってきていた。
「ん……朝か」
すっきりとしない頭を起こし、軽く伸びをする。まだ眠気の残る体を無理やり動かし、まず向かったのは洗面台だ。冷たい水で顔を洗えば少しはすっきりするだろう。
「……ふぅ。なんて顔をしているんだ私は」
鏡で見た自分の顔は想像していたよりも酷かった。昨晩、突然瞳から流れた雫の筋が頬に白く残っていて、目は少し充血していた。
「このままでは部屋から出られないな」
シエ・スーミンはいつもより念入りに洗顔をし、丁寧にふき取った。さぁどうだと言わんばかりに鏡とにらめっこをする。今度はうまくいったらしく、力強くうなずいた。
「よし。さっきよりはましだろう」
その後、簡単な身支度を済ませてから自分の部屋を出る。今日は訓練の予定があったのを思い出し、訓練施設へと向かう。訓練といってももちろん全員が本気で戦いあうので、怪我で済む場合もあれば最悪はしばらく治療生活なんていう場合もある。先日、訓練している時、不注意で片腕を斬られ大出血をした者も出た位だ。シエ・スーミンも一人の戦士として、日々の鍛錬は欠かすことができない。そして注意を怠ることもできない。
「あ、スーミン様。おはようございます」
一番に挨拶をしたのは、体術の使い手(の卵)、龍麗だ。人懐っこい笑顔で挨拶をする彼だが、この笑顔には騙されない方がいい。彼の放つ掌底の威力は生半可な鎧などいとも簡単に粉砕してしまう程の威力がある。
「うむ。おはよう。今日も元気がいいな。龍麗」
「はい! あ、スーミン様。もしよければお手合わせ願いできませんか?」
「こ、こら! いきなり勝負を申し込む馬鹿がどこにいる!」
「私は構わない。しかし、少し時間をくれ。その後でも良いか?」
「はい! もちろんです!」
シエ・スーミンは武器が並べられた棚から片手剣を選び、肩慣らしを始めた。太刀筋や次への運びを意識しながら動かすこと三十分。体が適度に解れてきたことを確認し、龍麗を呼ぶ。
「龍麗。待たせてすまない」
「いえ、スーミン様。準備運動はお済みですか?」
「ああ。では、始めようか」
お互いそれぞれの武器に合う構えをとった。シエ・スーミンは片手剣なのだが両手で柄を握り、刃は上向きの状態で待機。一方、龍麗は左両手足前に出し、残りの右両手足を後ろに引いた状態で待機。
周りで訓練をしていた者は、いつの間にかシエ・スーミンと龍麗付近に集まり二人の手合いを見守っていた。
先に踏み込んだのは龍麗だった。利き手である右を後ろに引いていたのは、左側を引くときの勢いを利用して拳を突き出すためだった。槍にも似た鋭さでシエ・スーミンの胸元を狙う。それを半歩下がって避け、剣の柄で龍麗の後頭部を突く。強制的に下へと向きを変えられた龍麗は即座に回転をして、強制的な力を緩和する。片足を軸にし、残った勢いでシエ・スーミンに向き直るも、そこには影はなく代わりに背後から声が聞こえた。
「中々な動きだ」
剣が振り下ろされ勝ちを確信したシエ・スーミンだが、龍麗は諦めていなかった。すぐにしゃがみこんでからの足払い。宙に浮く感じがした時には既に遅く、尻餅をついたシエ・スーミンの喉元にまた槍のような拳が迫る。
「ぼくの勝ち……ですか?」
「……そのようだ、降参だ」
勝負は一瞬にしてついた。龍麗の機動力が勝ったのかシエ・スーミンの奢りが勝ったのかはこの結果を見れば明らかだった。
「スーミン様……」
「いつの間にこんな力をつけていたのか……これからも期待しているぞ」
剣を棚に戻したシエ・スーミンは、訓練もそこそこに退散してしまった。周りの者は龍麗の勝利に沸くが、当の本人はなにか浮かない顔をしていた。
「おい、もっと喜べよ!」
「なぁに辛気臭い顔してんだよ。お前の完全勝利だぞ」
周りの者の賞賛の声は龍麗の耳には半分も届いていなかった。気になるのは、あれは本気ではないということだった。
「なんか本調子じゃないみたいですねぇ」
「……ニクス。見ていたのか」
「そりゃあ、今日は訓練なんでね。こちらも訓練していたら見えていたのでね」
「覗き見とは感心せんな」
「声がしたんで見に来ただけですよ」
訓練施設の扉付近からちょっとした憎まれ口を叩くニクス。そのニクスにでもさっきの手合わせはシエ・スーミン側に敗因があったと考えている。
「……ここではなんだ。少し場所を変えてもいいか」
「了解」
ニクスになら……そう考えたシエ・スーミンは今、思っていることを打ち明けることにした。
「ここならいいか」
シエ・スーミンが選んだ場所は見晴らしの良い城のバルコニーだった。優しく吹く風が二人の髪をふわりと弾ませる。
「んで、なにかあったんですか? 昨日」
「……笑わずに聞いて欲しい」
「……どうしたんすか? そんな改まって」
一呼吸入れたシエ・スーミンは、昨日皇帝に言われた事を話した。勝因について、自分の行動について、全て自分の口から言わされたこと。そして、その事実に偽りがないこと。
「つまり、今回の作戦は魔術のおかげだってことですか?」
「……あぁ。私はなんの役に立ってなどいなかった……」
「……そこはなんか違うと思うんですよねぇ」
頭を掻きながらニクス。一瞬、何を言っているかわからなかったシエ・スーミンだが、ニクスはきちんと説明をしてくれた。
「えっとですね。今回、グエリアスを討伐できたのは、確かにあのでかい魔術っ
すよ。それもとびきり上等な魔術で。その魔術って二重に詠唱をしていまし
た。魔力に魔力を重ねるのでそれだけ威力は増します。威力は増しますが、そ
の分、詠唱している間の術師は無防備になるんですよ。スーミン様もおわかり
の通り、詠唱が途切れたらまた最初からやり直しなんです。そうしてる間にや
られてしまうかもしれないじゃないですか。そこで、詠唱をしている術師を守
ってくれる誰かがいないと俺ら術師は役に立てないんですよ」
「……」
「んで、話を戻しますと。今回はスーミン様があいつと向き合っている時間が長
かったり、あいつに何度もアタックしてくれたおかげで、気を引いててもらえ
たのであの魔術が完成したわけです。それを皇帝は知らないんです」
「お前……」
「まぁ、あれは俺たちしか知らない勝利ってことでいいんじゃないっすか?
もちろん、皇帝に認められることは嬉しいことです。ですがね」
と言って、ニクスは急に真面目な顔になりシエ・スーミンを真っすぐ見据えた。
「きちんとした事実を確認しないで、一方的に賞賛されるのは嫌ですね」
確かに今回の件は、ニクスと共に行動するということは出陣の際に申し出をしてあった。だから、山中で大きな雷の音がしたということはニクスが討伐したと捉えられた結果になってしまったということだ。どのようにして討ち取ったかまでは説明する前に話が終わってしまった。
「なんで、あの後侍女がきてなにやら箱を持ってきてくれましたが、きっぱり断
りましたよ。ちょーっとばかし頭にきてたんでね」
「なぜだ。なぜそこまでして……」
シエ・スーミンの顔は驚きと怒気を含んでいた。褒美だって中々もらえるものではないし、ましてやそれを断ったと。きっと皇帝はニクスに対して、これからはいい顔をしないだろう。
「いいんですよスーミン様。俺は自分の意志で断ったまでです。後悔なんかして
ません」
えへへと笑うニクスに対し、シエ・スーミンは大きなため息をついた。やれやれとばかりに頭を振ると、背後の竜が心配そうに顔を覗いてくる。大丈夫だといい頭を撫でると、竜は小さくぐるると鳴いた。
「まぁ、そこまでスーミン様が気にすることじゃないっすよ」
ニクスという男はいつもへらへらしていて落ち着かないと思っていたのだが、さっきみたいに急に真面目になる。時々冗談も言える仲であるが故、胸の中にある曇った思いを吐き出す時はニクスに相談することにしている。今回もなんとかその曇った塊を吐き出すことに成功したようだ。
「……すまない。変な話に付き合わせてしまった」
「いーえ。全然。また困ったことがあったら聞かせてください。俺でよかったら
いつでも聞きますって」
「次は当分こないかもな」
「案外すぐかもしれませんよ」
軽口をたたきながらバルコニーを後にする二人。風が少し冷たくなってきたことを頭の片隅に感じながら、バルコニーの扉を静かに閉めた。




