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3-1

「あら、目が覚めたかしら?」

 母親の声が目覚まし代わりの朝を迎えた。いつもは朝日が目覚ましの代わりをしていたのだが、今回は違う。

「そうか……昨日はお母さんと……」

「今、お茶を用意させるからちょっと待っててね」

 母親はベルを小さく振った。すると扉から侍女が入ってきた。既にワゴンにはティーセットと軽食がのせてあった。ティーポットからは微かなラベンダーの香りが漂っているのがわかる。

「紅茶にラベンダー……ですか?」

「あら。この紅茶も久しぶりね。この紅茶、面白いから飲んでみて」

 母親がシエ・スーミンのカップに紅茶を注ぐ。見た目は普通の紅茶と代わりはないのだが、特徴なのはその香り。トップで香るのが爽やかなベリーで、それに続き清々しいラベンダー香りが追いかけてくるというなんとも賑やかな紅茶だ。

果物だけが紅茶だと思っていたシエ・スーミンにとって、ラベンダーが香る紅茶に驚きを隠せなかった。

 適度に冷まし、香る紅茶を口に含む。口の中は果実からラベンダーへと変化し、果実だけの紅茶とはまた違った風味に心が躍った。

「……美味しい」

「朝の紅茶も悪くないでしょ?」

「はい。とてもいいですね」

 しばらく紅茶から漂う香りに心安らいでいる時、小皿に盛り付けられたサンドイッチと柑橘類を小さく切ったデザートが用意されていた。シエ・スーミンはフォークでオレンジをすくい、口に運んだ。甘酸っぱい酸味が口一杯に広がり、眠気をどこかに吹き飛ばしてくれる。次にグレープフルーツを口に運ぶ。シエ・スーミンはこの果物の苦みが得意ではないのだが、これに関しては全く苦みはなく、むしろ甘みのみでできているかのような爽やかさだった。

「朝の果物は体にもいいからね。たくさん食べてね」

「朝に果物を食べたのは久しぶりです。いただきます」

 果実本来の甘さについついフォークが止まらない。口一杯に広がる果汁と果肉が心地よく弾け、心なしか頭もすっきりしてきた気がする。

 あっという間に朝食を平らげ、最後に紅茶を含む。こんなに満足した朝食は本当に久しぶりだとシエ・スーミンは思った。頃合いを見計らった侍女が空いた皿や食器類をまとめ、テーブルにはティーセットのみが残された。

「うん。今朝もごちそうさま。とっても美味しかったわ」

「ご馳走様でした」

 侍女が小さく一礼し、部屋から出ていった。ここには二人だけとなりまた母親が切り出した。

「スーミン。昨日のことだけれど……あなたをこんな運命に巻き込んでしまっ

 て……」

「いいんです。これは私のやらなければならないことだと……」

「……」

「それに、私はお母さんとお父さんの間に生まれてこれて……本当に幸せです」

「……スーミン」

「それがなければ、今この時を感じることはできません。私は私を否定するつも

 りはありません。むしろ、この運命がそうさせたのでしょうか……」

「……あらあら」

 母親の瞼にはうっすらと涙が積もっていた。それをシエ・スーミンが優しく拭う。

「お母さん。私をここまで育ててくださって……本当にありがとうございます」

 我慢の限界がきてしまったのか、母親の瞼から涙が押し寄せ、頬を伝う。今度はシエ・スーミンが母親を優しく抱きしめた。

「……ここまで強くなっていたなんて……お母さん嬉しいわ……ありがとう」

「……お母さん」

 母親を抱く力が少しだけ強くなる。これにはほんの少しだけシエ・スーミンの思いが込められていた。しかし、それは口にするのは恥ずかしく、抱きしめるという行為で示した。

「……もう大丈夫。まさか、娘からハグをされるなんて思わなかったわ。うふ

 ふ」

 ハンカチで涙を拭い、またいつもの笑顔に戻る母親。その笑顔を見たらなんだか力が湧いてくる、そんな気がした。

「……お母さん。私は朝の鍛錬がありますので、ここで失礼します」

「あら、もうそんな時間なの? わかったわ。また会いましょうね」

 最後に軽くハグをし、シエ・スーミンは服に着替え一旦自室に戻ることにした。


 自室に戻ったシエ・スーミンは軽く顔を洗い、身支度を済ませてから訓練施設へと向かった。やはり習慣となっているせいか、訓練をしないとなんだか落ち着かない気がしてならない。自分の未熟さを理解しているからこそ行かなくては……という考えもある。

「……ふぅ。切り替えなくては」

 訓練施設の扉を開けると、そこには早朝にも関わらず数多くの兵士達が汗を流していた。

シエ・スーミンの顔を見るなり、全員が揃って挨拶をする。声量に少し驚くも、そこは凛とした態度で挨拶を返す。軽く体をほぐしながら武器を選ぶ。いつもは使いなれている片手剣なのだが、今日は少し趣向を変えて棒に手を伸ばした。少し太めかと思ったが実際に握ってみるときちんと馴染み、無駄なく力が入る。

「ふっ」

 前後の関係を頭で理解しながら振り回してみると、意外と体がそれについてきているのが分かる。体が慣れてきた時には手だけではなく脚を組み入れてみたり、まるで演舞をするかのような立ち回りをしてみたりと短時間でバリエーションを次々と増やしていく。

「おお……美しい」

 傍を通りかかった兵士の一人が呟いた。その声に反応した他の兵士もシエ・スーミンの演舞に見惚れていた。

「普段、剣を握っているスーミン様が棒を……これまた珍しいな」

 人だかりが気になって見に来ていたニクスも、思わず声を漏らす。そして、そのニクスも演舞の虜となる。

「ふぅ……こんなものでどうだろうか……」

 棒をぴたりと止め、演舞を終わらせると周りから盛大な拍手が起こった。それに驚いたシエ・スーミンは棒を落としてしまう事態になったが理由を聞いてなんだと肩を竦めた。

「気分転換のつもりでやってみただけだ。特に深い意味はない」

 棒を片付け、訓練所から出るとそこにはうっすら笑っているニクスが立っていた。

「おはようございます。スーミン様」

「おはよう。何か嬉しい事でもあったのか?」

「いえ。……まぁ、あったと言えばありましたかね」

「……よくわからんがそれは良かった」

 廊下を歩くシエ・スーミンの顔は二つの色になりつつあった。一つは何か嬉しいことがあった暖色系の色。もう一つはできたら考えたくないという鈍色。二つが攻め合って、今はどちらかというと後者が勝っているように見えた。

「……スーミン様。昨日の事、考えてらっしゃいますか」

「……」

 それを肯定と捉えたニクスはぐいとシエ・スーミンの手を取って屋上へと向かった。

「っ! 何をする」

「いいから。ちょっとばかし俺に付き合ってください」

 強引に扉を開け、扉とは反対側まで速足で向かっていった。到着する前にシエ・スーミンが腕を振りほどく。

「おいっ! 一体どういうつもりだ」

「それはこっちのセリフです」

「……なんだと?」

 ニクスはまるで見透かしたよう視線でシエ・スーミンを貫く。

「昨日の皇帝の言葉、忘れたわけじゃないですよね」

「……」

 皇帝の口から明かされた掟。王位継承の儀式として次期皇帝候補が現皇帝と殺し合い、生き残った者が次期皇帝となる。例えそれが実の娘、息子など一切関係なし。生きるか死ぬかの二択のみ。辞退等もっての外。覚悟がなければ自分の命が消されてしまうのだ。それも、肉親である皇帝によって……。

「スーミン様は皇帝と戦わなきゃいけないんすよ。今、その覚悟はあるんです

 か」

「……貴様には関係ないだろう」

「関係はあります。俺はスーミン様についていくと決めたんですから。何と言わ

 れようとそれは変わりません。スーミン様だからついていきたいと思ってるん

 です。もし、現皇帝がそのままだったら、俺はこの国を出ていく覚悟です」

「なぜだ……」

「現皇帝のやり方が気に入らないからです。スーミン様も知ってる筈です。現皇

 帝はどれにかけても力こそが全てです。力でこの国を統治しているといっても

 過言ではありません。だから、みんな必死に訓練をして力をつけて、皇帝に役

 立とうとしているんです。役に立つ兵士がいれば褒美を取らし、いなければこ

 の国から追放なんて話は有名です」

「……」

「……この際だから言っておきたいんです。俺、スーミン様にこの国を治めても

 らいたいんです」

「なんだと……」

 突然の言葉に驚きを隠せないシエ・スーミン。一体どういうことかを尋ねた。

「スーミン様は気付いていらっしゃいますか。公にはなっていませんが、うちの

 兵士達の殆どはスーミン様についていきたいと思っています。なぜなら、スー

 ミン様は力ではなく協調という力でみんなを引っ張ってくれています。自覚は

 ないでしょうけど、一緒に戦場に行った兵士は口々に言ってましたよ」

「私が……か?」

「ええ。周りを気遣う力、周りを見ることができる力、状況を冷静に判断できる

 力。全てスーミン様には備わっています。上からの発言で誠に申し訳ございま

 せんが」

「……」

 部下から言われた次期皇帝へのすすめ。そして、現皇帝の不満。確かに現皇帝の力は偉大であり驚異でもある。戦神とまで言われた程の力を有しているのだから。その戦神と言われた現皇帝に私の力が通用するのか……次第に恐怖がシエ・スーミンの背後から被さる。

「スーミン様が次期皇帝になっていただいたら、俺は全力でスーミン様を支えま

 す」

「……さっきから何を勝手な事を言っている……貴様」

「……え?」

 二人の間に乾いた風が通り過ぎる。それは二人の髪を揺らす程度ではあるが、その程度の変化さえ今は危険な状態となっていた。

「……貴様。皇帝の力がどれほどなのかを知っていての発言か……?」

「……いえ、その……」

「さも次期皇帝確定だと言わんばかりの発言だな。それは……どういうことか

 をわかっていての発言か?」

「……」

「貴様にわかるか! 私が! 皇帝と剣を交わし、最悪の場合は……私は死ぬ。

 昨日、皇帝の発言で息をするのもやっとだった。返事をするのも辛かった。と

 んでもない威圧が私の目の前に立っていたんだ。玉座から離れていてもだ! 

 そこまでの覇気を受けながら剣を交える状況を考えてみろ! いくらなんで

 も……」

 怒りの中に恐怖が混じりながら、シエ・スーミンは吐き出した。他力本願ともとれたニクスの発言がどうしても許せなかった。

「……仮に私が次期皇帝になったとしよう。その後はどうしたらいい。本来聞く

 べき人はもう息をしていないというのに……誰に聞けばいいというのだ。私は

 どうしたらいいというのだ! ニクス! 答えろ!」

涙を流し、喉に力を入れ、思いをぶつける。悲しいと苦しいを足し、それに怖いという要素を混ぜて吐き出された言葉には絶望という色が濃く表れていた。それを受けているニクスはどう答えたら最善かを考えるも、言葉にできず沈黙しかできない。

「……私は……どうしたらいいというのだ……ニクス……教えて……くれ」

 普段、部下の前では涙を見せないのだが、今回の件については相当悩んでいるせいか、構わず涙を流す。

「……スーミン様。すみませんでした。その……軽率な発言をしてしまっ

 て……」

「……っ……ぅっ……っ……」

 風の吹き抜ける音に混じるシエ・スーミンの嗚咽。それと、シエ・スーミンの背中を優しくさする音。今、ニクスができる最善策はこれしかないと思った。背中の竜も心配そうに小さく鳴く。内一匹がシエ・スーミンの頬にすり寄った。鱗のひんやりとした感覚がシエ・スーミンの心を落ち着かせた。

「……すまない。見苦しかったろう。だが……悪いがそれが今の私の思いだ」

「……いえ。その……話してくださってありがとうございます」

「……私もこんな話を聞いてくれて助かった。少し落ち着けた」

 袖で涙を拭い、鼻を小さくすする。これで楽になったとはいえ、近い内に必ず皇帝もとい父親と剣を交える日がやってくる。もしそうなってしまったら……。

「……今日は、気持ちの整理ってことで少し休まれてはどうですかね」

「……なに?」

「こんな事を言うのもなんなのですけど、こういう時って何も考えない事も大事

 だと思うんですよね。好きな場所で雲を数えてみたり、部屋でゆっくりしてみ

 たり……」

 そういえば、ここのところ任務が急増し事あるごとに出動をしていた。そのせいなのか、心がずっとざわざわ騒いているような感じがしていた。ニクスからの提案を頭の中でゆっくり何度も再生をしていくうちに、一か所思い当たる場所を口にする。

「……忘れじの丘」

「? 城から離れた所にあるっていう小さな丘のことですか?」

「ああ。小さい時、皇妃からよく絵本を読み聞かせてくれたんだ。その絵本の題

 材がその忘れじの丘という場所だったんだ。星がきれいに見える場所としても

 有名なのだが……」

「なるほど……。道中はそこまで危険ではなさそですね。では、お気をつけ

 て……」

 扉の方に向き直った時、ニクスは何かに引っ張られている事に気付いた。ゆっくり振り返るとそこには真面目な顔をしたシエ・スーミンがいた。

「……悪いが、少しばかり付き合ってもらえないか」

「分かりました。じゃあ、丘から近い裏口で待ち合わせましょうか」

 抵抗しても無駄だと判断したニクスは一旦、自室で準備をしたいと言いその場から去った。シエ・スーミンも自室で手早く準備を済ませ待ち合わせをした場所へ向かう。

(たまには息抜きも必要っすよ。今、スーミン様は余裕がなくて焦ってるんだと

 思います)

 去り際に言われたあの一言はなぜか何度も頭の中を駆け巡る。もちろん、悪い意味ではなく、すっと心に迷いなく入る一滴の雫のような言葉に感じられた。

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