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冥界迷子センター  作者: てっぺい


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第9話 クレオパトラちゃん

『——お客様のお呼び出しを申し上げます。紀元前三十年、エジプトのアレクサンドリアからお越しの、クレオパトラちゃん。享年きょうねん三十九歳。……繰り返します。クレオパトラちゃんをお預かりしております。心当たりのある保護者の方は、至急、冥界めいかい迷子センター第一ターミナルまでお越しください』


 ピンポンパンポーン。

 無機質で事務的な電子チャイムの音が、蛍光灯のチカチカとまたたく殺風景な待合室に響き渡った。


 私、迷子センター受付係のナナシは、古代エジプト語の通訳機を右耳に押し込みながら、深い、本当に深いため息をついた。


「信じられないわ! ここはなんて野蛮やばんでみすぼらしい空間なの!? ねえそこの平民、ロバのミルク風呂はどこ!? 私に冷やした葡萄ぶどうを口まで運ぶ召使めしつかいはいないの!?」


 受付カウンターの向こう側。黄色いプラスチック製パイプ椅子に座ることを断固拒否し、腕を組んで仁王立におうだちしている美女がいた。


 透き通るような白い亜麻布あまぬののドレスに、ジャラジャラと輝く黄金の装飾品。歴史に名を残す絶世の美女にして、エジプト・プトレマイオス朝最後の女王、クレオパトラ七世だ。


「あのー、お客様。お気持ちは分かりますが、ここはあの世の公共施設なんで。とりあえず水分補給でもします? 最高級のミネラルウォーターならありますけど」


 私が紙コップに水を注いで差し出すと、クレオパトラは目をひんいた。


「紙……!? 黄金のさかずきではなく、こんなペラペラの器で私に飲めと言うの!? ああもう、最悪! ただでさえ、あのオクタウィアヌスとかいうローマの若造のせいで、エジプト三千年の歴史が私の代で途絶えてしまったというのに!」


 彼女はバンッ!と受付カウンターを叩き、美しい顔を苦痛に歪ませた。


「私は九つの言語を必死に学んで外交をこなし、経済を回し、自分の体も女としての尊厳も、すべて武器にして戦ってきたわ! それなのに、結局エジプトは滅びた! 歴代のファラオたちに、顔向けができないわ……!」


 彼女が左腕を突き出すと、そこには半透明の霊体れいたいとなった小さな毒蛇が巻き付いていた。自らの命を絶ち、女王としてのプライドを守るために使った猛毒の蛇。それが今、彼女を強烈な罪悪感で縛り付ける「未練」の象徴となっていた。


 私がかけるべき言葉を探していた、その時だった。


 ウィーン、ガシャンッ!!

 センターの自動ドアが、けたたましい音を立てて強引に押し開けられた。


「待ってくれェェェェェッ!! クレオパトラァァァッ!!」


 待合室に転がり込んできたのは、筋骨隆々《きんこつりゅうりゅう》とした体格のローマの将軍だった。顔は涙と汗でぐしゃぐしゃ。胸には自分で剣を突き立てた生々しい自刃じじんの跡がある。


「えっ……アントニウス?」


「俺だ! 俺が迎えに来たんだぞクレオパトラ! 海戦で負けた後、君が死んだって嘘の知らせを聞いて、絶望して自分の腹に剣を刺したんだ! ああ、俺の美しい女王よ!」


 アントニウスが床にすがりつきながらクレオパトラの足元に手を伸ばした——その瞬間だった。


「……やれやれ。君は相変わらず騒々しく、そして頭が悪いな、アントニウス」


 スゥ……。

 壊れかけた自動ドアから、もう一人。深紅のトーガを美しく着こなし、月桂冠げっけいかんを被った初老の男が、信じられないほどドヤ顔で優雅に歩み寄ってきた。


 クレオパトラの顔が、さらに引きつる。


「カ、カエサル……!?」


「来た、見た、そして迎えに来たぞ、私の愛しい女王よ。あの世のVIPラウンジで待っていたというのに、こんな男に先を越されるとはね」


 そこに現れたのは、ローマ最大の天才にして英雄、ユリウス・カエサルその人だった。全身には暗殺された際の「23箇所の刺し傷」がうっすらと残っているが、本人は全く気にする様子もなく、薄くなった頭髪を月桂冠で器用に隠しながらクレオパトラにウインクを飛ばした。


「カエサル様!? あんた、とうの昔に死んだだろうが!」


 アントニウスが牙を剥く。


「死んでもなお、彼女の心に一番深く刻まれているのはこの私だ。私がエジプトの王座を彼女にプレゼントし、共にカエサリオンという息子も作ったのだからな。アクティウムの海戦で惨敗し、彼女の国を滅亡に追いやった三流将軍のお前とは格が違う」


「なんだと!? 俺は彼女のためにローマの妻を捨てて、彼女と共に死ぬ道を選んだんだぞ! 元老院のジジイ共に囲まれて、あっさり暗殺された間抜けなハゲ頭と一緒にすんな!」


「ハ、ハゲだと……ッ!? これはハゲではない! ローマの栄光が頭皮から輝いているのだ!」


 まさかの、冥界の待合室で勃発したローマ二大英雄によるマウント合戦である。


「クレオパトラ! 俺を選んでくれ! 俺の愛のほうが重い!」


「私だ、クレオパトラ! 私と共にいれば、あの世の覇権すら握れるぞ!」


 二人の大男が、獲物を前にした猛犬のように唸り合いながら、クレオパトラの前にひざまずいた。


 世界の歴史を動かした絶世の美女を巡る、世紀の修羅場。ロマンチックな悲恋の結末が待っているかと思いきや——。


「……あんたたちねえ」


 ゴゴゴゴゴゴ……ッ!!

 クレオパトラの背後から、エジプト三千年の歴史より重い怒りのオーラが立ち上った。


「両方、黙りなさいッッ!!!!」


 待合室の窓ガラスがビリビリと震えるほどの、女王のガチギレの咆哮ほうこうだった。

 カエサルとアントニウスが「ヒッ」と短く悲鳴を上げて首をすくめる。


「どいつもこいつも、偉そうに過去の栄光を語るんじゃないわよ! カエサル! あんたが私のパトロン気取ってたのは認めるわ! でもね、ローマに私を連れて行った挙句、味方に刺されてあっけなく死ぬってどういうこと!? 残された私と息子が、どれだけ肩身の狭い思いをしてエジプトに逃げ帰ったと思ってんの!」


「あ、いや、あれはブルータスが急に……」


「言い訳すんなハゲ! そしてアントニウス! あんたはもっと最悪よ! 『愛してる』とか言いながら海戦でビビって逃げ出すし、勝手に死んだと勘違いして腹切るし! 私が後から駆けつけたら、あんた血まみれで『君の腕の中で死ねるなら……ガクッ』じゃないのよ! その後処理で、私がどれだけあのオクタウィアヌスに頭下げて交渉したと思ってんの!」


「うぅっ……面目ない……」


「私はね! 国を守るために、あんたたちローマの男たちのプライドと政治闘争に、散々付き合ってやったのよ! それなのに、私の死後の世界まで押しかけてきて『俺を選べ』!? 冗談じゃないわ、ポンコツ共が!!」


 クレオパトラがブチギレて怒鳴り散らした瞬間。

 彼女の左腕に巻き付き、ずっと彼女を責め立てていた半透明の毒蛇が、「あ、これもう私の出番ないッスね」と言わんばかりに、スゥッと光の粒子になって宙に溶けて消えていった。


 悲劇の女王を縛っていた「国を滅ぼした罪悪感」は、「全部このダメ男たちのせいだ」という絶対的な責任転嫁によって、綺麗さっぱり浄化されたのである。


 私は無言で、カウンターの奥からタブレットの「引き渡し完了」ボタンをタップした。


「……フゥ。スッキリしたわ」


 乱れた息を整え、クレオパトラは再び完璧な女王の顔に戻り、土下座状態の二人の英雄を冷たく見下ろした。


「あんたたち、私に莫大な迷惑とエジプト滅亡を押し付けたんだから、あの世ではタダ働きしてもらうわよ。カエサル、あんたは頭だけは回るから、私の資産管理とスケジュール調整ね。アントニウス、あんたは脳筋だから荷物持ちとボディーガードよ。分かったわね?」


「「は、ははぁっ! 女王陛下ァッ!!」」


 ローマの二大英雄が、額をリノリウムの床に擦り付けながら歓喜の声を上げた。どうやら彼らも、根底ではこの強烈な女王に支配されることを望んでいたらしい。


 ピロン、という電子音と共に、三人の足元に真っ白な光の道が現れる。


「さあ、行くわよ。カエサル、私のドレスのすそを踏まないように持ちなさい。アントニウス、先に行ってあの世のロビーを貸切にしておきなさい」


「御意のままに!」

「どけアントニウス! 私が裾を持つ!」


 絶世の美女は、二人の最高級の「下僕」を引き連れ、まるでファッションショーのランウェイを歩くかのように、堂々と光の中へと歩き出していった。


「受付の青年! 水、美味しかったわ。ありがとう!」


「ええ。あの世でも、せいぜい男たちをこき使ってやってくださいね」


 私が軽く会釈えしゃくをすると、三人の姿は騒がしい足音と共に光の中へと溶けて消えていった。


「ふぅ……。絶世の美女にかかれば、歴史の英雄もただのパシリってことだな」


 私が床に落ちたローマ英雄たちの冷や汗の跡をモップで拭き取ろうとした、その時だった。


『——お客様のお呼び出しを申し上げます。西暦一七〇三年、江戸の各お預かり屋敷からお越しの、大石内蔵助おおいしくらのすけくん、ほか四十六名。……繰り返します。赤穂浪士あこうろうし四十七名のみなさんをお預かりしております。心当たりのある保護者の方は、至急、冥界めいかい迷子センター第一ターミナルまでお越しください』


「……はぁ!? ほか四十六名!? 合わせて四十七人!?」


 私は、思わず待合室の天井を仰いだ。


「いやいや、団体客なんて聞いてないぞ! 個人面談用のこの狭い待合室に、四十七人のむさ苦しいおっさんがいっぺんに入るわけないだろ!」


 どうやら冥界迷子センターは、物理的なキャパシティの限界を迎えようとしているらしい。私は深い絶望とともに、少しでもスペースを空けるべく、足りないパイプ椅子をかき集める作業に入った。

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