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冥界迷子センター  作者: てっぺい


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第53話 ジャック・ザ・リッパーくん

『——お客様のお呼び出しを申し上げます。西暦一八八八年、イギリスのロンドン、ホワイトチャペルからお越しの……お名前不明。享年不明。……繰り返します。未だ正体不明の連続殺人鬼、ジャック・ザ・リッパーくんをお預かりしております。心当たりのある保護者の方は、至急、冥界《めいかい》迷子センター第一ターミナルまでお越しください』


 ピンポンパンポーン。

 無機質で事務的な電子チャイムの音が、蛍光灯のチカチカと瞬く殺風景な待合室に響き渡った。


 私、迷子センター受付係のナナシは、インカムの言語設定を英語に切り替えながら、備品のさすまたと防刃チョッキをフル装備して、受付カウンターの裏でガタガタと震えていた。


「ヤバいヤバいヤバい! ガチの猟奇殺人鬼じゃないか! 警察呼んで! いやここあの世だから警察いないじゃん!」


 私は決死の覚悟で、さすまたを構えながらカウンターからそっと顔を出した。


「……だ、誰か……教えてくれ……。私は……私は、誰なんだァァァッ!!」


 立派なシルクハットに、黒いヴィクトリア朝のインバネスコートを羽織った男が、両手で顔を覆って大号泣していた。


 いや、「顔を覆って」いるように見えたが、よく見ると違った。

 彼の顔には、目も、鼻も、口もなかったのだ。まるで薄いモヤがかかったようにのっぺらぼうで、声だけが虚空から不気味に響いている。


 犯罪史にその名を刻み、ロンドンを恐怖のどん底に陥れながらも、決して警察に捕まることなく闇に消えた伝説の殺人鬼、切り裂きジャック。


「あ、あのー……ジャックさん? とりあえずナイフとか持ってないですよね? 温かいミルクティーでも飲みます? って、顔がないから飲めないか」


 私がさすまたを構えたまま声をかけると、ジャックはコートの袖で顔のない頭を抱え、さらに激しく泣きじゃくった。


「飲めない! 顔がないから味が分からないのだ! ああ、神よ! 私は警察の捜査を完璧に逃れ、歴史上の完全犯罪者として名を残した! だが、捕まらなかった代償がこれだ! 誰にも正体を暴かれなかったせいで、あの世のデータベースにも本名が登録されず、私はただの『概念』のような存在になってしまったのだ!」


「あー、なるほど。身元不明すぎて、魂の形が確定してないんですね」


「それだけではない! 私が死んだ後も、現世の連中ときたら『犯人は王室の人間だ』『いやフリーメイソンだ』『実は女性だ』『医者だ』と、何百年も勝手な妄想を押し付けおって! 数年おきに『ついにDNA鑑定で真犯人発覚!』とかいうニュースが出るたびに、私の顔がコロコロ変わってアイデンティティが崩壊しそうになるのだ! 頼む、私を捕まえてくれ! 私に本名を返してくれェェッ!」


 世界一有名な殺人鬼を縛り付ける未練。それは、捕まらなかったことへの優越感などではなく、「正体不明になりすぎたせいで、自分の自我が崩壊してしまった」という、あまりにも自業自得で悲惨なアイデンティティ・クライシスだった。


 彼が「私が書いた『地獄より』の手紙をもう一度鑑定してくれェ!」と喚いていた、その時だった。


 ウィーン。

 センターの自動ドアが開き、ズッ……ズッ……と、不気味で重苦しい足音が響いた。


「——その苦しみ、痛いほどよく分かるぞ。偉大なる先輩よ」


 そこに立っていたのは、これまた異常な姿の男だった。

 黒い衣服に身を包み、頭には四角い黒い頭巾を被っている。そしてその胸元には、白いペンキで書かれた「十字に丸」の奇妙なシンボルマークがデカデカと描かれていた。


「ひっ!? な、なんだお前は!?」


 ジャックが顔のない頭を震わせて後ずさると、私はタブレットの保護者欄を見て完全に顔から血の気を失った。


「ゾ……ゾディアック・キラー!? 一九六〇年代のアメリカで連続殺人を犯し、警察に暗号文を送りつけて挑発しまくった挙句、結局捕まらなかったあの未解決事件の犯人!?」


 待合室のど真ん中で、19世紀イギリスの未解決殺人鬼と、20世紀アメリカの未解決殺人鬼が対峙するという、仰天ニュースも真っ青の最悪のコラボレーションが実現してしまった。


「いかにも。私はゾディアックだ」


 頭巾の男は、手にした奇妙な暗号文の紙切れをヒラヒラと揺らしながら、ジャックの隣のパイプ椅子にドカッと腰を下ろした。


「先輩。あなたとは、いつかあの世で酒を酌み交わしたいと思っていた。……完全犯罪を成し遂げたはいいが、現世の連中に勝手な推理をされて、一生イジられ続けるこの屈辱。我々『未解決界隈』の人間にしか分からない苦悩だ」


「ゾディアックよ……お前もか! お前もアイデンティティを失ったのか!」


「ああ」

 ゾディアックは、深く重いため息をついた。


「私は警察をからかうために、新聞社に自作の暗号文を送りつけた。最高の知的ゲームのつもりだったんだ。だが、どうだ? 半世紀経っても解けなかった暗号を、最近になって現世のスーパーコンピューターや有志の暗号マニアたちがツールを使って解読しやがった! おまけに『犯人は絶対あの有名人だ』とかネットのミームにされて、私という存在の神秘性がただのオモチャにされているのだ!」


「分かる! 分かるぞ!!」


 ジャックが、顔のない頭を激しく上下に振った。


「現世の奴らは、我々を人間だと思っていない! ただの『ミステリーコンテンツ』として消費しているのだ! 捕まって絞首刑にされた奴らの方が、まだ一人の人間として歴史に名を残しているではないか! 我々は、永遠に終わらない謎解きゲームのピエロだ!」


「そうだ! だから先輩、我々はもう現世の連中に振り回されるのはやめようじゃないか! あの世の果てに、我々のような『正体不明の存在』だけが集まる秘密のクラブを作ったんだ。そこなら、誰にも推理されることなく、安らかに自己を保つことができる」


「なんと……! 私を受け入れてくれる場所があるのか!?」


 猟奇殺人鬼同士が、まさかの「未解決事件の犯人あるある」で意気投合し、被害者の会のように肩を抱き合って慰め合っている。


「……あのー」

 私はさすまたを下ろし、完全に死んだ魚の目で口を挟んだ。


「お二人とも、なんか被害者ぶってますけど、普通にめちゃくちゃ人殺してる加害者ですからね? あの世の裁判所に行ったら、正体不明だろうが何だろうが、地獄の業火でこんがり焼かれる刑罰が待ってると思いますよ」


「「…………ッ!!」」


 私の極めてドライな事実確認に、二人の未解決殺人鬼はピタリと固まり、同時に頭を抱えて震え始めた。


「そ、そうだった! 現世の警察からは逃げられても、閻魔大王のデータベースからは逃げられないんだったァァッ!」


「私の暗号も、地獄の裁判長には通用しないのか!? イヤだ! 業火で焼かれるなんて聞いてないぞ!」


 私は無言で、タブレットの「引き渡し完了」ボタンをタップした。


 ピロン、という電子音と共に、二人の足元に真っ白な光の道——ではなく、どう見ても地獄の底へと続く、どす黒く禍々しい下り階段が現れた。


「はい、お時間です。未解決クラブの設立は地獄の釜茹での中で話し合ってくださいね。さっさと降りて!」


「い、行きたくない! やっぱり現世で捕まっとけばよかったァァッ!」


「誰か私の暗号を! 私の真のアイデンティティを証明してくれェェッ!」


 犯罪史に名を残す二人の恐怖の象徴は、警察の前で見せた余裕など微塵もなく、情けない悲鳴を上げながら、真っ暗な階段の下へとズルズルと吸い込まれていった。


「ふぅ……。どんなに現世で完全犯罪を気取っても、あの世のセキュリティとコンプライアンスからは絶対に逃げられないってことだな」


 私が、彼らが座っていたパイプ椅子を除菌スプレーで念入りに拭き上げ、今度こそ本当に、絶対に、隕石が落ちてきても帰ると誓ってタイムカードを握りしめた——その時だった。


 ピンポンパンポーン。

 休む間もなく、無機質なチャイムが響き渡る。


 それに続いて流れてきたアナウンスに、私は除菌スプレーを壁に投げつけそうになった。


『——お客様のお呼び出しを申し上げます。西暦一九七三年、フランスのムージャンからお越しの、パブロ・ディエゴ・ホセ・フランシスコ・デ・パウラ・フアン・ネポムセーノ・マリア・デ・ロス・レメディオス・シプリアノ・デ・ラ・サンティシマ・トリニダード・ルイス・イ・ピカソくん。享年九十一歳。……繰り返します。ピカソくんをお預かりしております——』


「……名前が長ぇよ!! そして今度はピカソ!? 『キュビスム』を創り上げた、あの20世紀最大の天才画家じゃないか!」


 どうやら今日の冥界迷子センターも、私を平和な定時退社へと導いてくれる気は毛頭ないらしい。私は深い絶望と、物理次元の崩壊への恐怖とともに、次なる「三次元の破壊者」を迎える覚悟を決めた。

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