第47話 コナン・ドイルくん
『——お客様のお呼び出しを申し上げます。西暦一九三十年、イギリスのサセックスからお越しの、アーサー・コナン・ドイルくん。享年七十一歳。……繰り返します。コナン・ドイルくんをお預かりしております。心当たりのある保護者の方は、至急、冥界迷子センター第一ターミナルまでお越しください』
ピンポンパンポーン。
無機質で事務的な電子チャイムの音が、蛍光灯のチカチカと瞬く殺風景な待合室に響き渡った。
私、迷子センター受付係のナナシは、インカムの言語設定を英語に切り替えながら、受付カウンターの奥からそっと顔を出した。
「妖精だ! どこかに妖精はいないか!? エクトプラズムでもいい! このあの世の玄関口ならば、心霊現象の確固たる証拠が必ず見つかるはずだ!」
プラスチック製パイプ椅子の下を、立派な口髭を生やした恰幅の良い英国紳士が、虫眼鏡を片手に四つん這いになって這いずり回っていた。
世界で最も有名な名探偵『シャーロック・ホームズ』を生み出したミステリーの巨匠にして、晩年は心霊主義に全財産と名声を突っ込んだオカルトガチ勢、アーサー・コナン・ドイル。
「あのー、ドイルさん。パイプ椅子の裏に妖精は隠れてませんよ。あるのは清掃業者が取り逃がしたホコリだけです。とりあえず、温かい紅茶でも飲んで落ち着いてください」
私が紙コップを差し出すと、ドイルは虫眼鏡を置き、血走った目で私を睨みつけた。
「ホコリだと!? 君にも見えないのか、この霊的なオーラが! ああ、どいつもこいつも! 現世の連中は私の心霊研究を『晩年のトチ狂った趣味』だと嘲笑いおって!」
「まあ、論理的な名探偵の作者が、マジックや妖精の写真をガチで信じちゃったのは、当時のファンにとってもかなりのショックでしたからね」
「うるさーい!!」
ドイルはパイプ椅子に突っ伏し、バンバンと床を叩き始めた。
「ホームズ! ホームズ! どこへ行ってもホームズの話ばかりだ! 私は本当は歴史小説家として名を残したかったのに! あの探偵が人気になりすぎたせいで、私が『ライヘンバッハの滝』で奴を殺したら、読者から脅迫状の雨あられ! しまいには私の実の母親まで『あんた、ホームズをどうする気なの!』とブチギレる始末! なんで私が、自分が生み出したキャラクターの奴隷にならなければいけないのだァァァッ!」
享年七十一歳。
ミステリーの巨匠を縛り付ける未練。それは、「自分が本当にやりたかったオカルトや歴史小説を誰にも評価されず、ただシャーロック・ホームズの作者としてしか見られない」という、世界初の『特大の炎上被害とキャラの一人歩き』へのトラウマだった。
彼が「こうなったらあの世の降霊会でホームズの霊を呼び出して、直々に文句を言ってやる!」とウィジャ盤を取り出しそうになった、その時だった。
ウィーン。
センターの自動ドアが開き、カツッ、カツッと、ステッキを突くような足音が響いた。
「——そのお悩み、同じ『探偵の生みの親』として、痛いほどよく分かりますよ。ドイル先生」
そこに立っていたのは、大正ロマンを感じさせるインバネスコートを羽織り、鳥打帽を被った、飄々《ひょうひょう》とした風持ちの日本人男性だった。
その口元には、どこか妖しくも理知的な笑みが浮かんでいる。
日本の本格ミステリーの黎明期を築き、『明智小五郎』や『少年探偵団』を世に送り出した大巨匠、江戸川乱歩。
「き、貴様は誰だ? 東洋のシャーロキアンか! サインならせんぞ! ホームズの新作も絶対に書かんからな!」
ドイルがファン恐怖症の反応を見せて後ずさると、乱歩はステッキを軽く回して、うやうやしく頭を下げた。
「お初にお目にかかります。私は江戸川乱歩。ペンネームはエドガー・アラン・ポーから拝借しておりますが、私の心には常に、あなたの生み出したあの名探偵が住み着いておりました」
「ひっ! やっぱり厄介なファンじゃないか! 帰れ帰れ! 私は今、妖精を探すのに忙しいのだ!」
「ええ、ええ。ですがね、先生」
乱歩は、怯えるドイルの隣のパイプ椅子にスッと腰を下ろした。
「『自分が生み出した探偵のせいで、本当に書きたいものが書けなくなる』。……その呪い、私にもかかっていたんですよ」
「……何?」
ドイルが、虫眼鏡を握る手を止めた。
「私もね、本当は『芋虫』や『人間椅子』のような、もっとドロドロとしたエログロナンセンスの怪奇小説や、幻想的なお話を書いていたかったんです。ですが、世間が私に求めたのは、常に名探偵・明智小五郎の華麗な推理と、怪人二十面相との対決でした。……読者の期待に応え続けるあまり、私は何度も休筆し、放浪の旅に出たものです」
乱歩の言葉に、ドイルの目が少しずつ見開かれていく。
「自分の分身であるはずの探偵が、いつしか自分よりも巨大な存在になり、作者の人生すら乗っ取ってしまう。……それは、ミステリー作家という業を背負った者にしか分からない、極上の『地獄』ですよね」
「お、お前……! 分かってくれるのか!? あの『ライヘンバッハの滝』で私がどれほど清々しい気持ちで筆を置いたか! そして、読者のクレームで無理やり『空き家の冒険』で生き返らせた時の、あの屈辱と絶望を!!」
ドイルは、乱歩の手をガシッと握りしめ、ボロボロと大粒の涙をこぼし始めた。
「ああ、分かる。分かってくれる者が極東にいたとは! 私はもう、ロジックはうんざりだったのだ! だから晩年は、目に見えない妖精や精霊の存在を信じたかった……! 現実世界の息苦しい謎解きから、解放されたかったのだ!」
国も時代も違う二人のミステリーの巨匠が、冥界の待合室で「名探偵を生み出してしまった原作者の苦悩」という、あまりにもニッチで重すぎるあるあるネタで意気投合し、肩を抱き合って号泣している。
「ですがね、ドイル先生。あなたはオカルトに傾倒し、妖精を探し求めましたが……実は、あなた自身がすでに『世界最大の魔法』を成功させていたことに、お気づきですか?」
「世界最大の……魔法?」
乱歩は、インバネスコートの懐から、ボロボロになった一冊の『シャーロック・ホームズの冒険』のペーパーバックを取り出した。
「あなたの生み出した『シャーロック・ホームズ』は、百数十年経った今でも、ロンドンのベーカー街221Bに実在していると信じて、世界中から手紙を送る人々が絶えません。……架空の人物を、現実の人間よりも生々しく、永遠にこの世界に実在させ続けること。これ以上の『降霊術』が、これ以上の『オカルトの奇跡』が、一体どこにあるというのですか?」
「……ッ!!」
ドイルの全身に、雷に打たれたような衝撃が走った。
自分が忌み嫌い、殺そうとまでした名探偵。
だが、その探偵こそが、自分が生涯をかけて追い求めた「目に見えないものが、確かにそこに存在するという奇跡」の、最高の証明だったのだ。
「私が……奇跡を、生み出していた……。ホームズが、私の最高の魔法だったと……」
ドイルの顔から、長年彼を縛り付けていた怨念と疲労が、スゥッと抜け落ちていった。
「……フッ。ハハハッ! そうか、そうだったのか! 私はなんて不器用な魔法使いだったんだ!」
私は無言で、こぼれた紅茶をモップで拭きながら、タブレットの「引き渡し完了」ボタンをタップした。
ピロン、という電子音と共に、二人の足元に真っ白な光の道が現れる。
「さあ、行きましょうか、先生。あの世の図書館で、エドガー・アラン・ポー先生も交えて、極上の怪奇小説のプロットを語り合いましょう」
「ああ! いくらでも語り明かそうではないか! 君のその『エログロナンセンス』とやら、非常に興味があるぞ!」
名探偵の重圧から解放されたイギリスの巨匠と、それを救い出した日本の巨匠は、年代も国境も超えたミステリー作家同士の熱い友情を交わしながら、光の道へと歩き出していく。
「受付の青年! 私の虫眼鏡は置いていく! もう、見えないものを探す必要はないからな!」
「はいはい。向こうの世界では、心置きなく好きな小説を書いてくださいね」
私が深く会釈をすると、二人の天才作家は、やかましくも楽しげな創作談義を響かせながら、光の中へと完全に溶けて消えていった。
「ふぅ……。結局、作者の最大のトラウマを癒せるのは、同じ地獄を見た同業者の愛だけってことだな」
私が、ドイルが残していった虫眼鏡を遺失物ボックスに片付け、今日こそは絶対に、何があっても平和な定時退社をキメてやると、タイムカードを握りしめて自動ドアに背を向けた——その時だった。
ピンポンパンポーン。
休む間もなく、無機質なチャイムが響き渡る。
それに続いて流れてきたアナウンスに、私はタイムカードを空の彼方へ放り投げたくなった。
『——お客様のお呼び出しを申し上げます。約三九〇万年前、アフリカ大陸のサバンナからお越しの、アウストラロピテクスくん。享年不明。……繰り返します。初期の人類、アウストラロピテクスくんをお預かりしております——』
「……はぁぁぁぁぁッ!?」
私は、もはや地球の歴史の根本を揺るがすようなアナウンスに、受付カウンターの裏で膝から崩れ落ちた。
「三九〇万年前!? 初期の人類!? 次は猿人かよ! ついに文明すら存在しない時代まで遡りやがった!」
私は、慌ててインカムの言語設定を確認したが、当然「アウストラロピテクス語」なんてものは存在しない。
「どうやってコミュニケーションとるんだよ! ウホッ!? ウホホッ!? バナナとか用意すればいいのか!? しかも三九〇万年も前の猿人が、一体どんな『未練』を抱えて現代の迷子センターに来るんだよ!」
どうやら今日の冥界迷子センターも、私を平和な定時退社へと導いてくれる気は、人類が二足歩行をやめる確率よりも低いらしい。私は深い絶望と、種の起源への果てしない胃痛とともに、次なる「人類の大先輩」を迎える覚悟を決めた。




