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冥界迷子センター  作者: てっぺい


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第44話 宮本武蔵くん

『——お客様のお呼び出しを申し上げます。西暦一六四五年、肥後国《ひごのくに》、霊巌洞《れいがんどう》からお越しの、新免武蔵藤原玄信《しんめんむさしふじわらのはるのぶ》くん——宮本武蔵《みやもとむさし》くん。享年六十二歳。……繰り返します。宮本武蔵くんをお預かりしております。心当たりのある保護者の方は、至急、冥界《めいかい》迷子センター第一ターミナルまでお越しください』


 ピンポンパンポーン。

 無機質で事務的な電子チャイムの音が、蛍光灯のチカチカと瞬く殺風景な待合室に響き渡った。


 私、迷子センター受付係のナナシは、インカムの言語設定を「江戸時代初期の日本語」に切り替えながら、受付カウンターの奥で深くため息をついた。


 幼児用の黄色いプラスチック製パイプ椅子の上で。

 風呂にも入らず、髪はボサボサ、薄汚れた着流し姿の初老の男が、あぐらをかいて目をギラギラと光らせていた。


 その両手には、大小二本の使い込まれた木刀が、まるで体の一部のように自然に握られている。


 六十回以上の決闘でただの一度も敗れず、独自の「二天一流《にてんいちりゅう》」を完成させ、兵法書『五輪書《ごりんのしょ》』を書き上げた天下無双の剣客、宮本武蔵。


「あのー、武蔵さん。とりあえず木刀を振り回してハエを落とすのやめてもらえます? ここの備品に当たったら困るんで。温かいお茶でも飲みます?」


 私が紙コップを差し出すと、武蔵は鋭い眼光を私に向け、木刀をスッと下ろした。


「……茶など不要。俺の喉を潤すのは、命を懸けたヒリつくような『死合い』だけだ。俺は五輪書を書き上げ、兵法の『空《くう》』の境地に達した。我が剣に斬れぬものはなく、我が人生に悔いはない」


「悔いがないなら、なんで迷子センターにいるんですか。さっさと光の向こうへ行ってくださいよ」


「決まっているだろう!」

 武蔵が、パイプ椅子からガタンッ!と立ち上がった。


「俺は強くなりすぎたのだ! 六十回以上も無敗! 吉岡一門も、巌流島《がんりゅうじま》の小次郎も、みな俺の兵法の前には敵ではなかった! 俺の未練はただ一つ! 『俺の全力の斬撃を受け止められる、未知なる最強の敵と戦いたい』! それだけだ!」


 享年六十二歳。

 生涯無敗の剣豪を縛り付ける未練。それは、戦闘狂としての純粋すぎる「強敵への渇望」だった。


 彼が「この冥界で一番強い奴を呼べェッ!」と叫んでいた、その時だった。


 ウィーン。

 センターの自動ドアが開き、ガシャン、ガシャン、と重厚な金属音が待合室に響き渡った。


「——Oh, ここが極東の戦士が待つという、ヴァルハラへの入り口か」


 そこに立っていたのは、日本の武士でもなければ、幕末の志士でもなかった。


 全身を分厚い鎖帷子《チェーンメイル》で覆い、頭には巨大なバケツのような鉄兜を被り、左手には巨大な盾、右手には無骨なロングソードを持った、歩く鉄城のような大男だった。


「えっ!? 中世ヨーロッパの騎士!?」


 私が慌ててインカムの同時翻訳を英語に切り替えながらタブレットを見ると、そこには信じられない名前が保護者として表示されていた。


 ウィリアム・マーシャル。

 五人のイングランド王に仕え、生涯で五百回以上の馬上槍試合に出場してただの一度も敗れなかったとされる、「史上最高の騎士」である。


「な、なんだ貴様は! 南蛮の甲冑武者か!?」


 武蔵が、二本の木刀をスッと青眼に構えた。


「いかにも。私はイングランドの騎士、ウィリアム。あの世の闘技場で『極東に生涯無敗の男がいる』と聞き、血が騒いで迎えに来たのだ。我が無敗の盾と剣、君の刃で打ち破れるかな?」


「ほぅ……。俺の二天一流は、万物を両断し、すべてを貫く究極の『矛』。鉄の樽に入っただけの鈍重な貴様など、一瞬で兜の隙間を突いて脳天をかち割ってくれるわ」


「ハッハッハ! 面白い! 我が鎖帷子と盾は、あらゆる一撃を弾き返す究極の『盾』。モーニングスターの痛撃すら弾くこの装甲、木の棒でどうにかなるものか!」


 すべてを貫く『究極の矛』と、すべてを弾く『究極の盾』。


 洋の東西を超えた、生涯無敗のレジェンド同士による「矛盾《ほこたて》」の究極対決が、今、この狭い迷子センターの待合室で幕を開けようとしていた。


「いざ、尋常《じんじょう》に……!」

「いざ、騎士の誇りにかけて!」


 バチバチと火花を散らす両者。

 武蔵が、目にも止まらぬ速さで踏み込み、右手の木刀でウィリアムの兜の隙間を狙って鋭い突きを放つ!


 ガギィィィィンッ!!


 しかし、ウィリアムは熟練の動きでカイトシールドを構え、その突きを完璧な角度で弾き飛ばした。


「甘いぞ極東の戦士! 我が盾は鉄壁なり! そりゃあっ!」


 ウィリアムが反撃とばかりに、重いロングソードを大上段から振り下ろす。当たれば一たまりもない重戦車の一撃。


 スッ……。


 武蔵は柳に風とばかりに半歩身をかわし、ロングソードの刃筋を左手の木刀で軽く受け流し、力を無効化してしまった。


「なっ……我が剣が、空を切っただと!?」


「ふん。ただ重いだけの剣など、当たらなければ意味がないわ。……しかし、その盾と鎖帷子、確かに堅いな」


 武蔵が距離を取り、ウィリアムも盾を構え直す。

 待合室に、極限の緊張感が走る。次に動いた方が、致命傷を負う——。


 ……かと思いきや。


「あのさ、南蛮の騎士殿」

 武蔵が突然、木刀を下ろして素っ頓狂《とんきょう》な声を出した。


「その左手の盾なんだけど、どうやって腕に固定してるんだ? 俺の木刀を弾いた時、手首のスナップが全然ブレてなかったぞ」


「ん? ああ、これか」

 ウィリアムもあっさりとロングソードを下ろし、盾の裏側を武蔵に見せた。


「ここにな、革のベルトが二本クロスしてあって、腕をガッチリ固定できるのだ。こうすれば、馬の突撃の衝撃にも耐えられる。……ところで君のその『二刀流』、両手に武器を持ったらバランスが崩れると思うのだが、どうやって重心を保っているんだね?」


「おっ、いい質問だな! これはな、『五輪書』の水之巻にも書いたんだが、太刀を片手で振る時は、足運びと腰の捻りで遠心力をコントロールするんだ。ちょっと貸してみろ」


「なるほど! では、私がこの重いロングソードを片手で振る時の体術にも応用できるかもしれないな! 君、この兜の隙間を狙ってきたが、あそこは内側に皮のクッションがあって……」


「マジか! じゃあ刃筋を立てて斬り込むより、打撃で脳を揺らした方が効果的だな! おい、ノートと筆はないか!」


「「…………」」


 私はカウンターの奥で、完全に死んだ魚の目をしていた。


 究極の矛と究極の盾の命懸けの「ほこたて対決」は、開始わずか五秒で終了した。

 生涯無敗を誇る天才戦士たちは、戦いの極致に達するあまり、相手を殺すことよりも「未知の武術の理論とデータ」を収集する『重度の武術オタク』へと変貌《へんぼう》してしまったのだ。


「ふむふむ! 鎖帷子は刺突《しとつ》に弱いが、斬撃にはめっぽう強いわけか!」

「その通り! 君のその柔らかい布の服は防御力がゼロだが、機動力は最高だな! ちょっと私のロングソードを持ってみてくれないか!」


 リノリウムの床に座り込み、お互いの武器や防具を交換し合って「すげえ!」「なるほど!」とキャッキャと盛り上がる二人の最強おじさんたち。


「あー、お取り込み中すみません」

 私はメガホンを取り出し、待合室のど真ん中でオタク語りをする二人に声をかけた。


「ここは迷子センターなんで、武術のオフ会は三途の川の向こうの闘技場でやってください。次の迷子が来ちゃうんで」


「おお、そうであった! すまない受付の青年!」

 ウィリアムが立ち上がり、兜を脱いで爽やかなウインクをした。


「武蔵よ! 君の武術の理論、実に素晴らしい! あの世の闘技場で、存分に私とデータを突き合わせようではないか!」


「おう! 俺もまだまだ兵法の道が未完成だと知って、血が沸き立ってきたぞ! 南蛮の騎士よ、お前の防具の弱点、必ず見つけてみせる!」


 私は無言で、タブレットの「引き渡し完了」ボタンをタップした。


 ピロン、という電子音と共に、二人の足元に真っ白な光の道が現れる。


「行くぞウィリアム! 歩きながら俺の『空の巻』についてレクチャーしてやる!」


「素晴らしい! 私は馬上槍《ランス》の重心コントロールについて語ろう!」


 東の無敗の剣豪と、西の無敗の騎士。

 彼らは武器を交えるのではなく、互いの「強さ」を心からリスペクトし合う武術オタクの親友として、肩を並べて光の道へと歩き出していった。


「受付の青年! 茶はいらんと言ったが、貴様のその差配、見事な『兵法』であったぞ!」


「はいはい。向こうの世界の闘技場は壊しても経費かからないんで、存分にやり合ってくださいね」


 私が軽く会釈をすると、矛盾の対決を平和裏に終わらせた二人の英傑《えいけつ》は、やかましくも楽しげな武術談義を響かせながら、光の中へと完全に溶けて消えていった。


「ふぅ……。究極の矛と究極の盾がぶつかると、最終的には『オタク同士の情報交換会』に落ち着くってことだな」


 私が、武蔵の木刀の素振りで舞い上がったホコリをホウキで掃き集め、今度こそ本当に平和な定時退社を迎えられると大きく深呼吸をした、その時だった。


 ピンポンパンポーン。

 休む間もなく、無機質なチャイムが響き渡る。


 それに続いて流れてきたアナウンスに、私は思わず持っていたホウキを落としそうになった。


『——お客様のお呼び出しを申し上げます。西暦……ええと、年代も国籍もバラバラの五名様。エドヴァルド・ムンクくん、ヨハネス・フェルメールくん、フィンセント・ファン・ゴッホくん、クロード・モネくん。そして……繰り返します。芸術戦隊『パレットレンジャー』の五名様をお預かりしております——』


「……はぁ!? 芸術戦隊パレットレンジャー!? ちょっと待て、前に来た『和歌戦隊ゴカセンジャー』の悪夢再びじゃないか!」


 私は、もはや時代も国境もガン無視したカオスすぎる案内に頭を抱えながら、彼らが待合室の壁を前衛アートで汚し始めた時のための、大量の除光液とモップを探し始めた。


「しかも、歴史に名を残す気難しい天才画家たちの詰め合わせに、なんで最後の一人が……なんだよ! 絶対に協調性ゼロで内部崩壊するし、待合室が絵の具まみれになる未来しか見えない……!」


 どうやら今日の冥界迷子センターも、私を平和な定時退社へと導いてくれる気は毛頭ないらしい。私は深い絶望とともに、次なる「個性が大渋滞した迷惑な戦隊」を迎える覚悟を決めた。

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