第34話 ペリーくん
『——お客様のお呼び出しを申し上げます。西暦一八五八年、アメリカ合衆国のニューヨークからお越しの、マシュー・カルブレイス・ペリーくん。享年六十三歳。……繰り返します。ペリーくんをお預かりしております。心当たりのある保護者の方は、至急、冥界迷子センター第一ターミナルまでお越しください』
ピンポンパンポーン。
無機質で事務的な電子チャイムの音が、蛍光灯のチカチカと瞬く殺風景な待合室に響き渡った。
私、迷子センター受付係のナナシは、英語の通訳機を右耳にセットしながら、絶望的な破壊音に身をすくめた。
ドォォォォーンッ!!
「カイコク! カイコクシテクダサイ! ナゼコノドアハ開カナイノデスカ! 返事ガナイナラ、大砲ヲブチ込ミマスヨ!」
受付カウンターの向こう側。自前の艦砲を据え付けて、センターの自動ドアに狙いを定めている大男がいた。
金ボタンの並ぶ軍服に、立派なエポレット。威厳たっぷりに胸を張り、手には「親書」という名の脅迫状を握りしめている。黒船を率いて幕末の日本に強引な「開国」を突きつけたアメリカ海軍提督、マシュー・ペリー。
「あー、ペリーさん! ストップ、撃たないで! そこ、さっきガウディさんが芸術的なアーチで直してくれたばっかりなんだから! 壊したら修繕費、ドルで請求しますよ!」
私がカウンターから身を乗り出して叫ぶと、ペリーは不機嫌そうに鼻を鳴らした。
「五月蠅イ! 私ハ『開国』セヨト言ッテイルノダ! ココハ冥界ノ玄関口ダロウ? ナゼ自由貿易ヲ受け入れナイ! 一時間以内ニドアヲ開ケナケレバ、全艦一斉掃射デス!」
「いや、システム上のエラーでドアが開かないだけですよ。提督、あなたは軍人としては超一流でしたけど、外交の手口が『強引なクレーマー』そのものなんですよ……」
私がため息をつきながら、気休めのコーヒーを差し出そうとした、その時だった。
ウィーン。
エラーを起こしていた自動ドアが、重々しく、そしてどこか「疲弊しきった」音を立てて開いた。
「——いい加減にしろ、この、……この、……自分勝手野郎がッ!!」
そこに立っていたのは、立派な裃を身につけた三十代後半の男だった。しかし、その顔色は土気色で、目の下には真っ黒なクマが刻まれている。右手には胃薬の瓶、左手には「各藩からの陳情書」という名の書類の山を抱えていた。
阿部正弘。
ペリー来航時、二十五歳という若さで幕府の老中首座を務め、日本を救うために奔走し——そして、そのあまりの激務とストレスにより、三十九歳という若さで過労死した悲劇の政治家である。
「……ア、アベ? 日本ノ、幕府ノ最高責任者ジャナイカ!」
ペリーが驚いて大砲の火縄を引く手を止めた。
「そうだ阿部だ! あんたに『一年後にまた来るわ』って言われてから、こっちがどれだけ残業したと思ってんだ! 朝から晩まで『開国か攘夷か』って騒ぐ大名たちの板挟みになって、天皇陛下には報告しなきゃいけないし、軍備は足りないし、予算はないし! 私の胃は、あんたの黒船が来るたびにボロボロになったんだよ!」
阿部正弘は、普段の冷静な「沈着冷静な老中」の仮面をかなぐり捨て、ペリーの胸ぐらを掴まんとばかりに詰め寄った。
「あんたはいいよな! 大砲ぶっ放して、適当な親書を投げて、あとは船でパーティーしてればいいんだから! その後の『実務』と『調整』を押し付けられたこっちの身にもなれ! 私はね、あんたのせいで死ぬほど働いて、本当にもう……物理的に死んじゃったんだからね!」
「Oh……。ソーリー、アベ。デモ、アレハ国務省ノ命令デ……」
「命令だろうが何だろうが、こっちは三十九歳だぞ! まだこれからやりたい仕事もたくさんあったのに、あんたのクレーマー対応だけで人生終わっちゃったよ! 見てくれ、この胃薬の量! あの世に来てからも、黒船の汽笛の音がフラッシュバックして夜も眠れないんだ!」
阿部正弘が涙ながらに胃薬の瓶を床に叩きつける。あの、幕末を武力で屈服させた威厳たっぷりの提督が、過労死した担当者の「ガチの怨念」を前に、完全にタジタジになっている。
「……アベ、悪カッタ。私モ、君ガソコまで追い詰められてイルトハ知らナカッタ。君ハ実ニ誠実ナ交渉人ダッタ。私ハ君ヲ尊敬シテイル……。ダカラ、モウ怒らナイデ……」
ペリーがシュンとして大砲を片付け始め、阿部正弘に歩み寄ってその肩を叩こうとした。
「触るな! あんたに肩を叩かれると、また新しい要求を突きつけられる気がして動悸がするんだ! ほら、さっさとあの世のゲートに行け! そっちの入国管理はアメリカ政府じゃなくて閻魔大王の管轄だから、一ミリも融通利かないからな!」
「……イエス、サー。直ちに従イマス……」
私は無言で、阿部正弘に「お疲れ様です……」と新品の胃薬の箱を渡し、タブレットの「引き渡し完了」ボタンをタップした。
ピロン、という電子音と共に、二人の足元に真っ白な光の道が現れる。
「さあ行こうか、マシュー。あちらの世界では、外交も条約も一切なしだ。君はただの引退したおじさんとして、ゆっくり過ごすんだ。……私も、ようやくこれで休める」
「アベ、本当ニ済まなカッタ。向こうデハ、私ガ君ノ胃に優しいティーを淹れマショウ……」
強引すぎる提督と、その対応で人生を使い果たした老中。
かつての「攻める側」と「守る側」は、今や「クレーマー」と「疲弊した店長」のような不思議な連帯感を見せながら、光の道へと歩き出していった。
「受付のお兄さん、……日本を頼んだよ。あとの不平等条約の改正は、陸奥宗光くんあたりが頑張ってくれるはずだから……」
阿部正弘は、死んでなお責任感に満ちた言葉を残し、光の中へと溶けて消えた。
「ふぅ……。歴史を動かす大事件の裏には、必ず一人か二人の『過労死寸前の実務担当者』がいるってことだな。阿部さん、本当にお疲れ様……」
私が、ペリーが大砲を据え付けて傷ついたパイプ椅子を撫でながら、ようやく訪れた静寂を噛み締めた、その時だった。
ピンポンパンポーン。
休む間もなく、そして私の安息を容赦なく打ち砕く、無機質なチャイムが響き渡る。
それに続いて流れてきたアナウンスに、私は思わず右耳の翻訳機を叩いて故障を疑った。
『——お客様のお呼び出しを申し上げます。西暦一五五二年、中国の広東、上川島からお越しの、フランシスコ・ザビエルくん。享年四十六歳。……繰り返します。ザビエルくんをお預かりしております——』
「……はぁ!? ザビエル!? って、日本に初めてキリスト教を伝えた、あの歴史の教科書の肖像画で一番有名な宣教師じゃないか!」
私は、慌ててポルトガル語の通訳機をセットしながら、さらに次のデータを見て絶望した。
「……ちょ、待て。お名前は『フランシスコ』だけど、登録されてる未練の内容が……『布教の情熱』じゃなくて、『なぜ日本人は私の髪型をあんなにバカにするのか』になってるぞ!」
どうやら今日の冥界迷子センターも、私に平和な定時退社を許すつもりは毛頭ないらしい。私は深い絶望とともに、次なる「日本で一番有名なヘアスタイルの聖者」を迎える覚悟を決めた。




