第28話 卑弥呼ちゃん
『——お客様のお呼び出しを申し上げます。西暦二四八年頃、邪馬台国からお越しの、卑弥呼ちゃん。享年不明。……繰り返します。卑弥呼ちゃんをお預かりしております。心当たりのある保護者の方は、至急、冥界迷子センター第一ターミナルまでお越しください』
ピンポンパンポーン。
無機質で事務的な電子チャイムの音が、蛍光灯のチカチカと瞬く殺風景な待合室に響き渡った。
私、迷子センター受付係のナナシは、インカムの言語設定を「弥生時代の古代日本語」に切り替えながら、受付カウンターの奥で盛大なため息をついた。
「……ついに日本史の最古参クラスかよ。しかも、日本最大のミステリー女王のお出ましじゃないか」
受付カウンターの向こう側。黄色いプラスチック製パイプ椅子の上には、誰も座っていなかった。
代わりに、パイプ椅子の影……薄暗い床の隅っこに、布を頭からすっぽりと被り、体育座りでうずくまっている小柄な女性がいた。
彼女の周りには、魏の皇帝からもらったという『親魏倭王』の金印が文鎮代わりに転がり、床一面には何十枚ものピカピカの銅鏡が、まるで現代人のスマホやマルチモニターのようにズラリと並べられている。
鬼道を操り、三十もの国を束ねた神秘の女王、卑弥呼。
しかし、その実態は……。
「……解せぬ。まったくもって解せぬわ。なぜ二千年も経っているのに、後世の人間どもは私の国の場所ひとつ特定できんのだ!」
布の隙間から覗く目は血走り、目の下にはくっきりと深いクマが刻まれていた。神秘の女王というより、締め切りに追われて何日も徹夜している同人作家か、重度の引きこもりゲーマーの風貌である。
「あのー、卑弥呼さん。とりあえず隅っこで銅鏡を並べるのやめてもらえます? 通行の邪魔なんで。温かいお茶でも飲みます?」
私が紙コップを差し出すと、卑弥呼はビクッと肩を跳ねさせ、銅鏡のモニター越しに私をジト目で睨みつけた。
「うるさいっ、近づくな平民! 私は弟にしか顔を合わせない主義なのだ! だいたい、後世の歴史学者どもは無能の極みではないか! 『九州説』か『近畿説』かで何百年モメているのだ! 私の墓を探して土ばかり掘り返しおって!」
「いや、それは魏の使者が書いた『魏志倭人伝』の道案内がガバガバすぎるのが原因なんですけどね。『南へ水行二十日』とか、そのまま進んだら太平洋のど真ん中にドボンですよ」
「あいつらか! 魏の役人は方向音痴だったのか! だから使者が来た時、私は部屋から出たくなかったのだ……っ!」
卑弥呼は頭を抱え、さらに膝をギュッと抱え込んだ。
「私はな、カリスマでもなんでもないのだ。ただの引きこもりだぞ。毎日毎日、薄暗い部屋の中で、獣の骨を火で炙って割れ目を見て占うだけの簡単なお仕事……のわけがなかろう! 三十カ国から『今年の農作物はどうですか』『隣の国と喧嘩したんですけど』って、ひっきりなしにDMが飛んでくるのだ! ブラック労働もいいところだ!」
「あー、なるほど。スピリチュアル系の中央集権システムですね」
「骨の焼ける匂いは臭いし、銅鏡の磨きすぎで腱鞘炎になるし! それでも私が部屋から出ずに神秘的な『女王』を演じ続けたから、倭国はなんとか平和を保っていたというのに……!」
卑弥呼の瞳から、ポロポロと涙がこぼれ落ちた。
「……私が死んだ途端、男の王が立ったせいで、また国が内乱状態になってしまったと聞いた。結局、私が骨を焼いて祈り続けたあの日々は、すべて無駄だったのだ。私は、国を救えなかった……!」
神秘のベールに包まれた女王の未練は、「自分の引きこもり労働が水泡に帰した」という、あまりにも生々しい絶望と責任感だった。
私がかける言葉を探していた、その時だった。
ウィーン。
センターの自動ドアが開き、パタパタという軽快な足音が響いた。
「——あ、受付のお兄さーん! この人です、うちのおばあちゃん!」
ひどく陽気で、現代の渋谷や原宿にいても違和感のないような、底抜けに明るい声だった。
そこに立っていたのは、勾玉のネックレスをジャラジャラと鳴らし、古代の衣装をミニスカート風にルーズに着こなした、十三歳くらいの少女だった。
「い……壱与……!?」
卑弥呼が布を跳ね除け、目を丸くして立ち上がった。
壱与。
卑弥呼の死後、内乱を鎮めるためにわずか十三歳で女王に即位させられ、見事に国をまとめた親族の少女である。
「ちょ、おばあちゃん! なんでこんなとこでパイプ椅子の裏に引きこもってんの! ウケるんだけど!」
「壱与ォォォッ!!」
卑弥呼は銅鏡を踏み越え、壱与の足元にスライディング土下座を決めた。
「ごめん! ごめんね壱与! 私が死んだせいでバカな男たちが暴走して、お前に尻拭いさせることになっちゃって! 十三歳なんてまだ子供なのに、あんなドロドロの政治闘争の中に放り込んでしまって……! 怖かっただろう! 辛かっただろう!」
卑弥呼が床に額を擦り付けて号泣する一方で、壱与はケロッとした顔で頭を掻いた。
「え? あー、内乱? 全然余裕だったけど?」
「……え?」
卑弥呼が涙と鼻水まみれの顔を上げる。
「いやマジで。おばあちゃんが残してくれた『銅鏡コレクション』と、『魏への外交ルート』、あと『骨占いマニュアル』が超優秀だったからさ。私が『はいはーい、卑弥呼様の後継者でーす。逆らう奴は呪いまーす』って言ったら、男のおっさん連中、みんなビビって秒で土下座したし!」
「び、秒で……!?」
「そうそう。晋にも挨拶の使いを送っといたから、外交もバッチリ! おばあちゃんが何十年もかけて『邪馬台国の女王』っていうブランドをガチガチに固めてくれてたおかげで、私、めっちゃイージーモードだったわ。サンキューな!」
壱与は、ニシシと笑ってピースサインを作った。
卑弥呼はぽかんと口を開け、パチパチと瞬きをした。
自分が薄暗い部屋で、骨を焼き、腱鞘炎になりながら積み上げてきた『引きこもり労働』。それは決して無駄ではなく、確固たるシステムと権威となって、未来の少女を守る最強の盾になっていたのだ。
「私の……私の引きこもりは、間違ってなかったのね……っ!」
「間違ってないって! おばあちゃん、マジでリスペクトしてるから! ……でもさ」
壱与は卑弥呼の腕をガシッと掴むと、力強く引っ張り上げた。
「もう政治も占いも終わったんだから、あの世でまで引きこもってんの禁止ね! 向こうの世界の宴会、めっちゃご飯美味しいんだから! ずっと部屋にいた分、いっぱい外で遊ぼ!」
「お、おおっ……! 外……外に出るのか……! 眩しいのは苦手なのだが……」
「大丈夫大丈夫! 私がエスコートするから!」
私は無言で、床に散らばった銅鏡を足で端に寄せながら、タブレットの「引き渡し完了」ボタンをタップした。
ピロン、という電子音と共に、二人の足元に真っ白な光の道が現れる。
「受付のお兄さーん、お世話様でした! ほら、おばあちゃんも挨拶!」
「う、うむ! 平民の受付の者よ、世話になったな!」
卑弥呼は壱与に手を引かれながら、光の道へと歩き出す。そして、光に溶ける直前、私の方を振り返って、ニヤリと意味深な「ドヤ顔」を浮かべた。
「邪馬台国が九州か近畿か、どうしても答えを知りたければ……私のお気に入りの『銅鏡』に聞くことだな! フハハハハッ!」
「ヒント少なすぎだろ!! せめて県名で言え!」
私の渾身のツッコミも虚しく、日本最古の引きこもり女王と陽キャギャルの後継者は、笑い声を響かせながら光の中へと完全に消えていった。
「ふぅ……。二千年越しのミステリーの真相が『本人が引きこもりだったから』って、歴史学者も泣くぜ」
私が、卑弥呼が放置していった親魏倭王の金印を「今の金相場だといくらになるだろう」と眺めながら、備品の引き出しに片付けた、その時だった。
ピンポンパンポーン。
休む間もなく、無機質なチャイムが響き渡る。
それに続いて流れてきたアナウンスに、私は引き出しに指を挟みそうになった。
『——お客様のお呼び出しを申し上げます。西暦九世紀頃、日本の平安京からお越しの……ええと? 在原業平くん、僧正遍昭くん、文屋康秀くん、小野小町ちゃん、喜撰法師くん。……繰り返します。和歌戦隊ゴカセンジャーの五名様をお預かりしております——』
「……はぁ!? 和歌戦隊!? ゴカセンジャー!?」
私は、古代の引きこもり女王の余韻を完膚なきまでにぶち壊す、あまりにも時代錯誤でカオスなアナウンスに頭を抱えた。
「いやいやいや、平安時代の和歌の天才っていったら『六歌仙』だろ! なんで一人ハブられて、五人組の特撮ヒーローみたいなチーム結成してんだよ! 絶対に仲間外れにされた残りの一人の怨念が爆発する、超絶めんどくさいパターンじゃないか!」
どうやら今日の冥界迷子センターも、私を平和な定時退社へと導いてくれる気は毛頭ないらしい。私は深い絶望とともに、次なる「無駄にポーズを決めまくる平安貴族たち」を迎える覚悟を決めた。




