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冥界迷子センター  作者: てっぺい


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24/26

第24話 レイヴン・ノア・ディストピアくん

『——お客様のお呼び出しを申し上げます。西暦二〇二六年、日本の埼玉県、実家の子供部屋からお越しの……ええと?』


 無機質で事務的な電子チャイムの音。しかし、続く女性のアナウンスは、かつてないほど困惑し、完全に素のトーンで原稿を読みよどんでいた。


『……っ、れ、煉獄の業火を纏いし虚無の執行者、レイヴン・ノア・ディストピアくん。享年三十五歳。……繰り返します。レイヴンなんとかくんをお預かりしております。心当たりのある保護者の方は——って、なにこの痛い登録名』


「…………はぁ?」


 私、迷子センター受付係のナナシは、インカムから流れてきたアナウンスの最後に盛大なため息をついた。


 天下人、天才科学者、古代エジプトの王に巨大恐竜。人類史を彩る数々の「大物」を相手にしてきた私だが、西暦二〇二六年——つまり「現代」からの迷子が来るのは極めて珍しい。おまけに、名前のスケールだけなら始皇帝を凌駕りょうがしているが、出どころが「埼玉の実家」という時点で地雷の臭いしかしない。


 私が重い足取りでカウンターから出ると、幼児用の黄色いプラスチック製パイプ椅子に、一人の男が座っていた。


「クックック……。どうやら『境界線』を越えてしまったようだな。我が内に眠る黒炎竜が、この次元の魔力に共鳴してうずきやがるぜ……」


 色褪せた深夜アニメのTシャツに、だるだるのグレーのスウェットパンツ。右目には眼帯、左腕には包帯がグルグル巻きにされている。そして、ぽっちゃりとした三十代半ばの男が、右目を片手でおおいながら、中腰で不気味な笑い声を漏らしていた。


 ……歴史的偉人でもなんでもない。ただの、ごうの深い現代の「中二病ちゅうにびょうこじらせニート」だった。


「あのー、レイヴンさん? とりあえずパイプ椅子の上に立つのやめてもらえます? 壊れるんで。あと、お茶でも飲みます?」


 私が冷たい麦茶を入れた紙コップを差し出すと、男は「ふん」と鼻を鳴らし、前髪をバサッと掻き上げた。


「麦茶だと? 馬鹿を言え。俺の体が求めているのはエリクサーか、さもなくば『魔力回復ポーション』だ。……おい、神よ。さっさと俺に『ステータス』を見せろ。そしてチートスキルを寄越せ。俺の異世界無双ハーレムライフが待っているんだ」


「いや、私ナナシっていうただの受付係なんで。神じゃないです。ていうか異世界転生いせかいてんせいなんてないですよ、ここあの世の役所なんで」


「ハッ、隠しても無駄だぜ! 俺は分かってるんだ! トラックにかれそうになった女子高生を助けて死んだ主人公は、神からチート能力をもらって貴族の三男に転生するって相場が決まってるんだよ! さあ、俺のステータスを……ステータス・オープンッ!!」


 男が虚空こくうに向かってビシッと指を突き出す。

 ……当然、待合室の蛍光灯がチカチカと鳴るだけで、何も起きない。


「あれ? ステータス・オープン! オープン! おかしいな、詠唱えいしょう破棄はまだ未取得か……?」


「……あのねえ」


 私は完全に死んだ魚の目で、手元のタブレット端末をスワイプした。


「本名、佐藤さとうタカシくん。三十五歳、無職。……死因、『三日三晩ぶっ通しでネトゲをしていて、トイレに立った拍子に転倒し、頭を打って気絶』。トラック関係ないどころか、家から一歩も出てないじゃないですか」


「な、なんだと!? 馬鹿な、俺は確かに世界を救うために……!」


「ゲームの中の話でしょ。ていうかこれ、死因のところに『(仮)』ってついてるな。魂の接続エラー……?」


 私がタブレットの表示に首を傾げた、その時だった。


 ウィーン。

 センターの自動ドアが、けたたましい音を立てて開いた。


 これまでの歴史上、ここから現れたのは、皇帝、王妃、天才の愛弟子、忠犬の飼い主など、ドラマチックな保護者ばかりだった。


 しかし、今回そこに立っていたのは——。


「——タァァァカァァァシィィィッ!!!」


 色褪せた花柄のエプロンを身につけ、右手に「ハエ叩き」を持った、パーマ頭の初老の女性だった。


「ひっ!?」


 虚無の執行者レイヴン(佐藤タカシ・35歳)が、パイプ椅子の後ろにカエルみたいに縮み上がった。


 現れたのは、歴史上の偉人でもなんでもない。タカシのオカンである。しかし、その身から放たれる覇気は、秦の始皇帝や織田信長すらも凌駕する、圧倒的な「実家のお母ちゃん」のプレッシャーだった。


「あ、あんた! いつまで寝てんの! お昼ご飯のチャーハン冷めてるでしょ! だいたいあんた、夜中にゲームばっかりしてっから、廊下で盛大にすっ転んで白目剥いて泡吹いてんじゃないのよ! 救急車呼ぼうかと思ったわよ!」


「か、母ちゃん!? なんでチュートリアルエリアに魔王が降臨してんだよ! 俺は今、異世界に転生して……!」


「誰が魔王だバカ息子ォォッ!!」


 スパーーーンッ!!


 オカンのハエ叩きが、タカシの後頭部にクリティカルヒットした。

 冥界の待合室に、乾いた素晴らしい音が響き渡る。


「あだァッ!! 痛てえ! 痛覚オフの設定にしてないのかよこのクソゲー!」


「ゲームじゃない! あんた、明日ハローワーク行くって約束したでしょ! こんなとこで中二病こじらせてる暇があったら、さっさと起きて履歴書書きなさい! あんたの部屋、ペットボトル転がりまくってて臭いんだからね!」


「や、やめろ! 俺のパーソナルスペースを侵すな! 俺の右腕の黒炎竜が……痛っ、引っ張るな! 耳が取れる!」


 オカンは、三十五歳のぽっちゃりニートの耳を容赦なくガシッと掴み、そのまま出口の方へとズルズル引きずり始めた。


「あー。なるほどね」


 私はタブレットを眺めながら納得した。

 彼は死んでいなかったのだ。ただの過労と転倒による一時的な気絶。その際、強すぎる異世界への現実逃避の念が、魂を幽体離脱させ、一時的にこの冥界迷子センターにバグで迷い込ませてしまっただけなのだ。


「お母さん、お迎えご苦労様です。おたくの息子さん、チートスキル要求してきて面倒だったんで助かりました」


「まあまあ、受付のお兄さん、うちのバカ息子がご迷惑をおかけして本当にすみませんね! ほらタカシ! お兄さんに謝りなさい!」


「離せ! 俺の異世界が! エルフの奴隷美少女が俺を待って……痛い痛い痛い!!」


 オカンはペコペコと私に頭を下げながら、タカシの耳を限界まで引っ張って、自動ドアの方へ向かった。


 私がタブレットの「現世送還」ボタンをタップすると、二人の足元に現世へと繋がる光の道——というより、見慣れた「実家の玄関のドア」がホログラムのように浮かび上がった。


「ほら、帰るわよ! 今日の夕飯はあんたの嫌いなピーマンの肉詰めだからね!」


「なんだと!? このディストピアめ! 俺を現世リアルという名の地獄に引き戻す気かァァァーッ!」


 虚無の執行者レイヴンこと佐藤タカシの情けない絶叫は、オカンの「やかましい!」という一喝と共に、実家の玄関のドアの向こうへと完全に吸い込まれて消えた。


「ふぅ……。どんなに異世界転生を夢見ても、実家のお母ちゃんの物理攻撃の前には、ステータスもチートも無力ってことだな」


 私は、タカシが残していった麦茶の紙コップをゴミ箱に放り投げ、今日こそは本当に平和な気持ちで帰れそうだと、大きく伸びをした。


 ……その時だった。


 ピンポンパンポーン。

 休む間もなく、そして私のささやかな希望を無慈悲に打ち砕く、無機質なチャイムが響き渡る。


 それに続いて流れてきたアナウンスに、私は羽織ったばかりのカーディガンを思わずきつく握りしめた。


『——お客様のお呼び出しを申し上げます。西暦一五一九年、フランスのクロ・リュセ城からお越しの、レオナルド・ダ・ヴィンチくん。享年六十七歳。……繰り返します。レオナルド・ダ・ヴィンチくんをお預かりしております——』


「……六十七歳! って、今度は人類史上最大の『万能の天才』のお出ましじゃないか!」


 私は、慌ててイタリア語の通訳機と、彼が待合室のパイプ椅子や自動ドアの構造を解剖し始めた時のためのスケッチブックを必死に探し始めた。


「モナ・リザすら未完成だったっていう、筋金入りの飽き性にして完璧主義者だぞ! この迷子センターの構造を解析されてアトリエに改造される前に、なんとしても送り出さないと!」


 どうやら今日の冥界迷子センターも、私を帰宅させる気は毛頭ないらしい。私は深い絶望とともに、次なる「好奇心のバケモノ」を迎える覚悟を決めた。

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