第22話 ツタンカーメンくん
『——お客様のお呼び出しを申し上げます。紀元前一三二三年頃、エジプトの王家の谷からお越しの、ツタンカーメンくん。享年十九歳。……繰り返します。ツタンカーメンくんをお預かりしております。心当たりのある保護者の方は、至急、冥界迷子センター第一ターミナルまでお越しください』
ピンポンパンポーン。
無機質で事務的な電子チャイムの音が、蛍光灯のチカチカと瞬く殺風景な待合室に響き渡った。
私、迷子センター受付係のナナシは、クレオパトラの時に使った古代エジプト語の通訳機を再び耳にセットしながら、受付カウンターから身を乗り出した。
「重い……重いよぉ……首が、首が折れちゃう……」
幼児用の黄色いプラスチック製パイプ椅子の上で、異様な光景が展開されていた。
細身の少年の頭に、教科書やテレビで誰もが一度は目にしたことのある、あの絢爛豪華な『黄金のマスク』がすっぽりと被せられているのだ。
純金製、総重量およそ十一キログラム。
いくら王の威厳を示すためとはいえ、生前病弱で杖をついて歩いていたという少年に、そんな超重量級の鉄アレイのようなものを頭に乗せればどうなるか。当然、首の筋肉が耐えきれずに、前後にカックンカックンと危険な角度で揺れている。
「あのー、ツタンカーメンくん。とりあえず、それ外しましょうか」
私が見かねてカウンターから飛び出し、両手で「フンッ!」と黄金のマスクを上に引き抜いてやると、中から汗だくになった青白い顔の少年が現れた。
「ぷはぁっ! あ、ありがとう、受付のお兄さん。もう、死んでるのに首が痛くて仕方なかったよ……」
少年王は、私の差し出した温かいホットミルクを両手で受け取ると、パイプ椅子に深くため息をつきながら腰を下ろした。
古代エジプト第十八王朝のファラオ、ツタンカーメン。
世界で最も有名な王の一人だが、実際の彼は、歴史の表舞台を力強く駆け抜けた英雄などではない。大人たちの権力争いに巻き込まれ、わずか十九歳でひっそりとこの世を去った、孤独で虚弱な少年にすぎなかった。
「だいたい、後世の人たちは勝手すぎるよ。僕がゆっくり三千年も寝ていたのに、無理やりお墓をこじ開けて起こしたかと思えば、今度は『ファラオの呪い』だなんて言いがかりをつけて!」
ミルクで少し息を吹き返したのか、ツタンカーメンはパイプ椅子の上でぽかぽかと脚を揺らしながら愚痴をこぼし始めた。
「僕、呪いなんてかけてないよ! 発掘のスポンサーだったカーナヴォン卿が死んだのって、ただ蚊に刺されたところを髭剃りで切っちゃって、そこから菌が入っただけじゃないか! 抗生物質がない時代の不運を、なんでもかんでも僕のオカルト魔術のせいにしないでほしいよ! 新聞を売るために話を盛った記者の人、絶対あとで呪ってやる……あっ、呪っちゃダメだった」
一人ツッコミをして落ち込む姿は、偉大なファラオというより、ネットの炎上被害に遭った現代の若者のようだった。
「はいはい、風評被害で大変でしたね。でも、世界中の人があなたのおかげで古代エジプトのロマンに熱狂したんですよ」
私が慰めるように言うと、ツタンカーメンは少しだけ寂しそうに目を伏せた。
「ロマン、か。……僕は、自分が王様だったなんて、ちっとも思ってないんだ。生きていた時は、周りの大人たちの言う通りにお飾りとして座っていただけ。そして僕が死んだ後、次の王様たちは、僕の存在を歴史から消し去るために、記念碑から僕の名前を全部削り取ったんだよ」
彼の言葉には、十九歳という若さで歴史の闇に葬られた、深い諦めと悲哀が滲んでいた。
「歴史から存在を消されて、真っ暗な冷たい石室の中で……僕は、永遠に一人ぼっちで忘れ去られるはずだった。……三千年間、本当に寂しかったんだよ」
死の瞬間の未練ではなく、死後三千年というあまりにも長すぎる「孤独」こそが、彼の魂を迷子にさせていたのだ。
ウィーン。
その時、センターの自動ドアが開き、砂埃の匂いがふわりと待合室に舞い込んだ。
「——いいえ、陛下。あなたは決して、忘れ去られてなどいませんでした」
かすれた、しかし深い敬意に満ちた、初老のイギリス紳士の声だった。
そこに立っていたのは、日焼けした肌に、使い込まれた探検服とサファリハットを身につけた男だった。彼は黄色いパイプ椅子に座る少年を見るなり、その場に深く、うやうやしく片膝をついて頭を垂れた。
ハワード・カーター。
エジプトの王家の谷で、何年もの間、誰もが「もうそこには何もない」と諦めた後もたった一人で発掘を続け、ついにツタンカーメンの墓を三千年ぶりに発見した、執念の考古学者である。
「き、君は……僕の眠りを覚ました、あの発掘者の……?」
「はい。ハワード・カーターと申します。……陛下、三千年もの長きにわたる安らかな眠りを妨げてしまった無礼を、どうかお許しください。そして、『呪い』などという心ない噂から陛下のお名誉をお守りできなかったことも」
カーターは、深く頭を下げたまま懺悔した。
王の墓を暴くということは、考古学者であると同時に、古代の信仰において最も重い罪を犯すことに他ならない。彼もまた、その罪悪感を抱えたままこの冥界へとやってきたのだろう。
しかし、ツタンカーメンは怒るどころか、驚いたように大きな目をパチクリと瞬かせた。
「君が……僕を、見つけてくれたの?」
「はい。他のファラオたちがあなたの記録を消し去ったがゆえに、皮肉にもあなたの墓は盗掘者から逃れ、完全な状態で残されていました。私は、ほんの僅かな手がかりを頼りに……あなたを探し続けていたのです」
「僕を、探して……? 歴史から消された、ちっぽけなお飾りの王様を?」
「ちっぽけな王などではありません!」
カーターは顔を上げ、熱を帯びた声で断言した。
「あの分厚い壁に穴を開け、ろうそくの火をかざして中を覗き込んだ時のことを、私は永遠に忘れません。背後にいたカーナヴォン卿に『何か見えるか?』と聞かれ、私はこう答えました。『はい、素晴らしいものが』と。……黄金の輝きも素晴らしかった。しかし何より素晴らしかったのは、三千年の時を超えて、陛下、あなたという人間の存在を、この世界に再び証明できたことです」
カーターのまっすぐな言葉に、少年王の瞳から、大粒の涙がポロポロとこぼれ落ちた。
「あなたは今や、世界で一番愛され、世界で一番有名なファラオです。誰も、あなたのことを忘れはしません」
「……そっか。君は、僕を迎えに来てくれたんだね」
ツタンカーメンは、袖で乱暴に涙を拭うと、パイプ椅子から立ち上がり、カーターの元へと歩み寄った。
「ううん、謝らなくていいよ。……だって、君が見つけてくれなかったら、僕は今でもあの暗い部屋で、ずっとずっと一人ぼっちだった。……僕を見つけてくれて、ありがとう、カーター」
王が微笑みかけると、執念の考古学者は顔をくしゃくしゃに歪ませ、再び深く深く頭を下げた。
私は無言で、タブレットの「引き渡し完了」ボタンをタップした。
ピロン、という電子音と共に、二人の足元に真っ白な光の道が現れる。
「さあ、行きましょう、陛下。あの世には盗掘者も、呪いの噂を流す記者もおりません。心ゆくまで、永遠の安らぎを」
「うん! そうだ、向こうの世界に行ったら、君の発掘の話、もっとたくさん聞かせてよ!」
三千年の時を超えて結ばれた「発掘者」と「王」の奇妙な友情。二人は並んで、温かい光の中へと歩き出していく。
「あっ、受付のお兄さん!」
光に溶ける直前、ツタンカーメンは振り返り、カウンターの上に置かれたままの十一キロの純金の塊を指差した。
「ミルク、ごちそうさま! その重たいマスク、お礼としてお兄さんにあげるよ!」
「いやいやいや! こんな国宝級の純金、私物化したら間違いなく横領でクビになるから! 持って帰って!」
私の必死の叫びも虚しく、少年王の笑い声と共に、二人の姿は光の中へと消えていった。
「ふぅ……。永遠の命より、誰かに見つけてもらうことのほうが、魂は救われるってことだな」
私は、カウンターに残された眩しすぎる十一キロの黄金のマスクを前に、これをどうやって経理に申告すべきか、深い絶望と胃痛を抱えながら頭を抱えた、その時だった。
ピンポンパンポーン。
休む間もなく、無機質なチャイムが響き渡る。
それに続いて流れてきたアナウンスに、私は黄金のマスクを危うく床に落としそうになった。
『——お客様のお呼び出しを申し上げます。西暦一一八六年、相模国、由比ヶ浜からお越しの……』
いつもと違い、どこか躊躇うように途切れるアナウンス。
『……お名前のない、男の赤ちゃん。享年、ゼロ歳。……繰り返します。名前のない男の赤ちゃんをお預かりしております——』
「……はぁ!? 享年ゼロ歳!? って、今度は生まれたばかりの赤ちゃん!?」
私は、黄金のマスクを慌ててロッカーに押し込みながら、顔を真っ青にして備品棚をひっくり返し始めた。
「おいおい、偉人や恐竜の対応マニュアルはあっても、赤ちゃんの粉ミルクやおむつなんて備品にあるわけないだろ! しかも一一八六年の由比ヶ浜って……まさか、あの残酷な歴史の犠牲になった小さな命か……!」
どうやら今日の冥界迷子センターも、私を平和な定時退社へと導いてくれる気は毛頭ないらしい。私は深い悲壮感とともに、次なる「言葉を持たない、小さすぎる迷子」を迎える覚悟を決めた。




