第15話 ガウディくん
『——お客様のお呼び出しを申し上げます。西暦一九二六年、スペインのバルセロナからお越しの、アントニ・ガウディくん。享年七十三歳。……繰り返します。アントニ・ガウディくんをお預かりしております。心当たりのある保護者の方は、至急、冥界迷子センター第一ターミナルまでお越しください』
ピンポンパンポーン。
無機質で事務的な電子チャイムの音が、吹きさらしの待合室に響き渡った。
私、迷子センター受付係のナナシは、カタルーニャ語の通訳機をインカムに同期させながら、恐竜の親子がぶち抜いていった壁の大穴の前でうずくまっている一人の老人を観察した。
「おお……なんというダイナミックな破壊の痕だ! この牙の軌跡が描く放物線、そしてひしゃげた鉄骨のねじれ具合! これぞ自然界の力学! 神の意志を感じる有機的なフォルムだ……!」
老人は、黄色いパイプ椅子には見向きもせず、壁の瓦礫を夢中で撫で回していた。
ボロボロの古びたコートに、すり減った靴。髪と髭は白く伸び放題で、ポケットからは木の実やクルミがいくつか転がり落ちている。一見するとただの浮浪者にしか見えないが、彼こそが歴史に名を残す天才建築家、アントニ・ガウディその人である。
「あのー、ガウディさん。感心してるところ申し訳ないんですけど」
私は、用意した温かいコーヒーの紙コップを片手に声をかけた。
「そこ、さっき白亜紀の迷子が暴れて壊していった穴なんで。もしよかったら、あなたの天才的な建築スキルで、パパッと塞いでもらえませんか? もちろん、経費削減のためにタダで」
私が下心を丸出しにして頼むと、ガウディは紙コップを受け取りつつ、血走った目で私をギロリと睨みつけた。
「塞ぐだと!? この神聖な自然のアーチを、人間の浅はかな『直線』で塞ごうというのかね! 直線は人間のもの、曲線は神のものだ! こんな無機質な四角い部屋を作った奴の気が知れん! どうせなら、この穴を起点にして待合室全体を巨大な巻貝のような螺旋構造に作り変えるべきだ!」
「ストーップ!! 壁一枚直すのに何百年かける気ですか! いいからベニヤ板とモルタルで適当に平らにしてください!」
私が全力で阻止すると、ガウディは「芸術を理解せん役人め」とブツブツ文句を言いながら、壁際のリノリウムの床にどっかりと座り込んだ。
生前、彼は路面電車に撥ねられて命を落とした。そのあまりにもみすぼらしい身なりのせいで、誰にも大建築家ガウディだと気づかれず、手当てが遅れたことが致命傷になったという。
だが、彼をこの冥界の入り口に縛り付けている未練は、そんな不運な事故に対する怒りや、浮浪者扱いされたことへの屈辱ではなかった。
「……ああ、神よ。なぜ私をこのタイミングでお召しになったのですか」
ガウディは、両手で顔を覆い、深く、深い悲嘆の声を漏らした。
「サグラダ・ファミリア……私の、いや、人々の贖罪の聖堂。四十年間、すべてを捧げてきたというのに、まだ『生誕のファサード(正面飾)』すら完成していないのだ! 図面も模型も、まだ途中なのに! 私が死んでしまっては、誰が残りの塔を建てるというのだ! あれは、私にしか完成させられない神の設計図なのだぞ……っ!」
享年七十三歳。生涯独身を貫き、ただ己の思い描く「神の建築」のためだけに生き抜いた男の、あまりにも巨大すぎる無念。
自分が死ねば、あの壮大なプロジェクトは永遠に未完のまま、誰にも理解されずに放置されてしまうのではないか。その強烈な責任感と恐怖が、彼を迷子にさせていた。
「……大丈夫ですよ。あなたの聖堂は、ちゃんと後世の人が引き継いでますから」
私が事実を伝えようとした、その時だった。
ウィーン。
ひしゃげた自動ドアの隙間から、仕立ての良い上品なスーツを着た、恰幅の良い初老の紳士が静かに足を踏み入れた。
「——その青年の言う通りだよ、アントニ」
穏やかで、しかし確かな信頼に満ちた声だった。
そこに立っていたのは、エウセビ・グエル。
ガウディの才能を誰よりも早く見抜き、生涯にわたって彼を経済的にも精神的にも支え続けた、最大のパトロンにして無二の親友である。
「グ、グエル……!? 君なのか……!」
ガウディは、床から弾かれたように立ち上がった。
「ああ。ずいぶんと待たせたね、私の最高の建築家」
グエルは、浮浪者のように汚れたガウディのコートを全く気にする様子もなく、歩み寄ってその両肩を力強く抱きしめた。
「すまない、グエル! 君が資金を出してくれたコロニア・グエル教会も未完のまま、サグラダ・ファミリアも途中で投げ出すことになってしまった……! 私は、君の期待にも、神の期待にも応えられなかった不完全な男だ!」
「何を馬鹿なことを言っている。君は、一つの種を植えたんだよ」
グエルは、ガウディの白髪交じりの頭を優しく撫でた。
「君の構想は、一人の人間の寿命で完成するようなちっぽけなものじゃなかった。それは君自身が一番よく分かっていたはずだ。『神は急いでおられない』……そう言っていたじゃないか」
「それは、そうだが……! しかし、私の頭の中にしかない設計を、後の者たちが理解できるはずが……」
「アントニ。君が残した模型の欠片、デッサンの一枚一枚から、君の弟子たちが必死に君の意志を読み取ろうとしている。そして百年後、見たこともないような技術(3Dプリンターやコンピューター)を使って、世界中の人々が君の思い描いた曲線を空高く積み上げているんだ。君の聖堂は、君一人の作品じゃない。時代を超えて、人類全員で作る『祈りの結晶』になったんだよ」
その言葉を聞いた瞬間、ガウディの琥珀色の瞳から、ボロボロと大粒の涙がこぼれ落ちた。
「私の、祈りが……受け継がれて、いる……?」
「ああ。君の情熱は、決して死んではいない。見事だったよ、アントニ」
天才の孤独を、誰よりも理解し、支え続けた親友の言葉。
自分が人生を賭けたものは、無駄ではなかったのだと知ったガウディは、まるで子供のようにグエルの胸で泣き崩れた。
私は無言で、インカムの翻訳機能をオフにし、タブレットの「引き渡し完了」ボタンをタップした。
ピロン、という電子音と共に、二人の足元に真っ白な光の道が現れる。
「さあ、行こうか。向こうの世でも、また君の奇想天外なアイデアを聞かせておくれ」
「ああ……! あちらの世界には、どんな自然の曲線が待っているか、楽しみでたまらないよ!」
ガウディは、憑き物が落ちたような晴れやかな笑顔で、グエルと共に光の道へと歩き出した。
そして、光に溶ける直前。
彼は私の方を振り返り、足元に落ちていたティラノサウルスの開けた大穴の瓦礫と、砕け散ったガラスの破片を、ヒョイヒョイッと拾い集めた。
ガウディがそれらを大穴の淵に沿ってポンポンと配置していくと、瓦礫は重力と絶妙なバランス(懸垂曲線)を保ち、見事な「ステンドグラス風の有機的なアーチ」を形成して穴を塞いでしまった。
「受付の青年! コーヒーの礼だ! 自然の摂理を愛したまえ!」
ウインクを残し、二人の姿は完全に光の中へと消えていった。
「ふぅ……。天才ってのは、最後まで規格外だな」
私は、ブルーシートの代わりに壁を塞いだ、息を呑むほど美しく芸術的なアーチを見上げた。
ただの瓦礫とガラス片で作られたとは思えない、神々しいまでの光が待合室に差し込んでいる。
「……最高に綺麗だけど、これのおかげで待合室の他の部分が死ぬほど安っぽく見えるようになっちゃったじゃねえか」
私が頭を抱え、タダで修繕してもらったことを少しだけ後悔し始めた、その時だった。
『——お客様のお呼び出しを申し上げます。西暦六四五年、飛鳥の板蓋宮からお越しの、蘇我入鹿くん。享年不明。……繰り返します。蘇我入鹿くんをお預かりしております——』
「……今度は飛鳥時代かよ! しかもあの『大化の改新』で首をすっ飛ばされた古代の超大物じゃないか!」
「絶対、暗殺のドロドロした恨み辛みと未練を持ち込んでくるに決まってる……! というか、斬られた首から血を流して床を汚すパターンだぞ! 誰か、至急ブルーシートと大量のモップを経費で追加してくれ!」
どうやら冥界迷子センターの業務は、芸術の余韻を超え、今度は古代日本の血生臭い政治闘争へと私を引きずり込むつもりらしい。私は慌ててインカムの言語設定を「飛鳥時代の古語」翻訳モードにセットし、次なる「古代の迷子」を迎える覚悟を決めた。




