第14話 エリザベス一世ちゃん
『——お客様のお呼び出しを申し上げます。西暦一六〇三年、イングランドのリッチモンド宮殿からお越しの、エリザベス一世ちゃん。享年六十九歳。……繰り返します。エリザベス一世ちゃんをお預かりしております。心当たりのある保護者の方は、至急、冥界迷子センター第一ターミナルまでお越しください』
ピンポンパンポーン。
無機質で事務的な電子チャイムの音が、吹きさらしの待合室に虚しく響き渡った。
私、迷子センター受付係のナナシは、ティッシュの空き箱をゴミ箱に捨てながら、深く、深いため息をついた。
少し前にティラノサウルスの親子がぶち抜いていった壁の大穴からは、あの世の冷たい風が容赦なく吹き込んでいる。辛うじて業者が張っていったブルーシートがバタバタと音を立てており、待合室の快適性は完全にゼロだ。
「……はぁ。よりによって、こんな廃墟みたいな時に、イングランドの黄金時代を築いた『処女王』様のお出ましとはね」
私は、右耳のインカムをセットし直し、カウンターの奥から最高級のダージリンティーの茶葉を取り出した。せめて飲み物くらいは最高級品を出さないと、文字通り首が飛びかねない。
「……ここはどこ? ロンドン塔の地下牢? それとも、スペインの異端審問所!? 無礼者、私を誰だと思っているの! 私はイングランド女王、エリザベスよ!」
ブルーシートの隙間から吹き込む風にドレスをはためかせながら、黄色いプラスチック製パイプ椅子に腰掛けている老女が、甲高い怒声を上げた。
真珠や宝石がびっしりと縫い付けられた、巨大で豪華絢爛なドレス。
顔には不自然なほど真っ白な鉛白の化粧が厚塗りされ、頭には燃えるような赤毛の豪奢なカツラ。その姿は、一人の生身の人間というよりも、権力を象徴する「巨大な彫像」のようだった。
エリザベス一世。
スペインの無敵艦隊を破り、イングランドを世界の頂点へと導いた、歴史上最も偉大な女王の一人である。
「あのー、エリザベスさん。とりあえず温かい紅茶でもどうですか? ここはあの世の迷子センターなんで、スペイン海軍も暗殺者も来ませんから、安心してください」
私が紙コップを差し出すと、エリザベスは血走った目で私を睨みつけた。
「あの世……? 私が、死んだというの? 嘘よ! 私はまだ死ねないわ! 議会が私を待っているの! 国庫の計算も終わっていないし、カトリックの残党がいつ反乱を起こすか分からないのよ! 私は、私はイングランドと結婚したの! 国を置いて逝くことなんて許されないわ!」
ワーカホリック極まる女王の未練に、私は淡々と相槌を打つ。
「はいはい、四十五年間も立派に国を治めたんですから、もう十分でしょう。あなたが命がけで守ったイングランドは、この後、世界一の帝国になりますよ」
「私が……守り抜いた……」
私の言葉に、エリザベスは紙コップを握りしめ、ふっと肩の力を抜いた。張り詰めていた「鉄の女」の仮面が、少しだけ剥がれ落ちそうになる。
「……そうね。私は、誰のことも信じず、たった一人で国を背負ってきた。いつ寝首を掻かれるか分からない恐怖の中で、この重いドレスと化粧で武装して……どれだけ孤独だったか……」
彼女が老いた顔を伏せ、歴史の重みに崩れ落ちそうになった、その時だった。
ウィーン。
壊れかけの自動ドアが開き、フランス製の高級な香水の香りが、冷たい風に乗って待合室に吹き込んだ。
「——あらあら。ずいぶんとシワだらけのおばあちゃんになったのね。自慢の白塗りメイクも、ひび割れてるわよ?『処女王』様」
ひどく優雅で、そして氷のように冷たい声だった。
そこに立っていたのは、エリザベスよりもずっと若く、息を呑むほど美しい女性だった。気品あふれるドレスに身を包んでいるが、その白く細い首筋には、くっきりと『赤い斬首の痕』が刻まれている。
スコットランド女王、メアリー・スチュアート。
エリザベスの王位を脅かす最大のライバルであり、最終的にエリザベス自身のサインによって処刑台へと送られた、因縁の相手である。
「なっ……! メアリー!?」
先ほどまでの孤独な黄昏モードは一瞬で吹き飛び、エリザベスはパイプ椅子を蹴り飛ばす勢いで立ち上がった。
「この、首を斬られた敗北者のふしだら女が! どのツラ下げて私の前に現れたの!」
「首を斬ったのはアナタでしょうが! だいたいアナタ、国と結婚したとかカッコつけてるけど、本当は男に愛されなかった言い訳でしょ? 私なんて男たちが放っておかなくて、三回も結婚しちゃったわ!」
「ハッ! その男運が最悪なせいで国を追われて、私のところに泣きついてきたのはどこの誰よ! 結局、男に振り回されて自滅しただけのポンコツ女王が偉そうに!」
「なんですって!? アナタだって、ロバート・ダドリーと結婚したかったくせに議会にビビって諦めたチキンじゃない! 私は愛に生きたのよ!」
「愛で国が豊かになるか! 私は無敵艦隊を沈めて、大英帝国の基礎を築いたのよ! アナタが幽閉されてメソメソしてる間にね!」
ヨーロッパの歴史を動かした二人の偉大な女王が、冥界の待合室で「国を豊かにした方が偉い」「いや女として男に愛された方が勝ち」という、凄惨なマウント合戦を繰り広げている。
(……王族の喧嘩、言葉の殺傷能力が高すぎる)
私はカウンターの奥で、ただただ呆れ果てていた。
「だいたいアナタのその赤いカツラ、似合ってないわよ! 老いぼれ!」
「うるさい! この首無しフランスかぶれ!」
ゼエゼエと肩で息をしながら、ひとしきり罵り合った後。
メアリーが、ふっと冷酷な笑みを浮かべて口元の血を拭った(ような仕草をした)。
「……私は、一生アナタを許さないわよ、ベス。十九年間の幽閉も、あの斧の冷たさも」
「奇遇ね」
エリザベスもまた、絶対に引かないという強い意志を込めて睨み返した。
「私も、私の命と玉座を狙い続けたアナタを永遠に許さない。謝罪など死んでもしてやらないわ」
「ええ、それでいいわ。もしアナタが謝ったりしたら、この質素な紙の器をその白塗りの顔に投げつけてやったところよ」
絶対に許し合わない。和解などあり得ない。
しかし、二人の間には、憎悪と同じくらい深くて重い「理解」が横たわっていた。
「……だけどね」
メアリーが、ドレスの埃を優雅に払いながら言った。
「腹黒い狼のような男たちに囲まれながら、王冠の重さに耐えて生き抜く残酷さを知っているのは……この世にもあの世にも、私とアナタの二人だけなのよ」
「……癪だけど、認めてあげるわ。アナタの首を撥ねた時、私から最後の『同類』が消えたのは事実だから」
それは友情ではない。和解でもない。
ただ、この世界で唯一、自分と同じ地獄を見た相手への「絶対的な対等」の証明だった。
私は無言で、タブレットの「引き渡し完了」のボタンをタップした。
ピロン、という電子音と共に、二人の足元に真っ白な光の道が現れる。
「三途の川の向こうで、決着の続きをつけてあげるわ。エスコートしなさい、敗北者」
「誰が敗北者よ。踏み潰して先に行くわよ、シワシワのおばあちゃん」
二人は決して腕を組むことはなかった。
お互いのドレスの裾をわざと踏みつけ合い、肩をぶつけ合いながら、最高級の皮肉と毒舌を交わしつつ、光の道へと並んで歩き出していく。
「受付の青年! 淹れ方は最悪だったけれど、茶葉の質は悪くなかったわ!」
光に溶ける直前、エリザベスは振り返ることなく、背中越しにそう言い放った。
「どうも。あちらの世界でも、せいぜい派手に冷戦を続けてくださいね」
私が軽く頭を下げると、イングランドとスコットランドの二人の女王は、互いを罵り合う声を響かせながら、光の中へと消えていった。
「ふぅ……。絶対に許し合わない憎悪も、見方を変えれば、唯一無二の絆ってことだな」
私が目元を拭い、ティッシュの空箱をゴミ箱に捨てようとした、その時だった。
ピンポンパンポーン。
休む間もなく、そしてこの吹きさらしの慘状など一切お構いなしに、無機質なチャイムが響き渡る。
それに続いて流れてきたアナウンスに、私はゴミ箱を取り落としそうになった。
『——お客様のお呼び出しを申し上げます。西暦一九二六年、スペインのバルセロナからお越しの、アントニ・ガウディくん。享年七十三歳。……繰り返します。アントニ・ガウディくんをお預かりしております——』
「……はぁ!? ガウディ!? あの『サグラダ・ファミリア』の天才建築家かよ!」
私は、恐竜親子にぶち抜かれてブルーシートがバタバタと鳴る壁の大穴を見つめ、ハッと閃いた。
「おいおい、もしかしてこれ……。この半壊した迷子センター、あの天才に頼めば直してもらえるんじゃねえか……!?」
しかし、すぐに背筋に冷たいものが走る。あの男の建築物は、完成までに平気で百年以上かかる上に、デザインが独特すぎるのだ。下手をすれば、この殺風景な待合室が、ぐにゃぐにゃに波打つ奇抜な世界遺産に改造されかねない。
どうやら今日の冥界迷子センターも、私に定時退社を許すつもりは毛頭ないらしい。私は新しいゴミ袋を取り出し、センターが未完のサグラダ・ファミリア化するのを阻止しつつ、なんとか壁だけを早く直してもらうための交渉作戦を練り始めた。




