第13話 レックスくん
『——お客様のお呼び出しを申し上げます。紀元前六千六百万年、白亜紀末期の北アメリカ大陸からお越しの、ティラノサウルスのレックスくん。享年不明。……繰り返します。ティラノサウルスのレックスくんをお預かりしております。心当たりのある保護者の方は、至急、冥界迷子センター第一ターミナルまでお越しください』
ピンポンパンポーン。
無機質で事務的な電子チャイムの音が、蛍光灯のチカチカと瞬く殺風景な待合室に響き渡った。
「…………はあぁぁぁッ!?」
私、迷子センター受付係のナナシは、待合室のど真ん中で思い切り叫んだ。
歴史的偉人、悲劇のヒロイン、天才作家。これまで数多の面倒くさい「迷子」たちの相手をしてきた私だが、今回ばかりは完全にキャパシティを超えている。
「いやいやいや! 紀元前六千六百万年ってなんだよ! 時代も種族もスケールぶっ飛びすぎだろ! 犬が来るだけでも前代未聞だったのに、なんで恐竜が迷子センターに来るんだよ! 第一、通訳機にジュラシック語なんて入ってねえぞ!!」
私が一人でカウンターの中でパニックに陥っていると、センターの自動ドアの向こう側から、尋常ではない音が聞こえてきた。
ズン…………ズシン…………。
まるで地鳴りのような、重く、腹の底に響く足音。
それに合わせて、待合室の蛍光灯が激しく点滅し、天井のパネルからパラパラと白い粉が落ちてくる。受付カウンターに置かれた紙コップの水には、映画のワンシーンのように波紋が広がっていた。
「おいおいおい、マジで来るのか。扉、絶対に入りきらないって……!」
ウィィィィ……ガガンッ! メキメキメキッ!!
自動ドアが開きかけた瞬間、そこへ強引に巨大な物体がねじ込まれ、アルミ製のドア枠が飴細工のようにひしゃげた。
粉々に砕け散る強化ガラス。ひきちぎられる配線。火花を散らすセンサー。
もうもうと舞い上がる土煙の中から、それは姿を現した。
全長約十三メートル。体重は優に数トンを超えるであろう、巨大な肉食爬虫類。
天井ギリギリの高さに位置する巨大な頭部には、大人の腕ほどもある鋭い牙がびっしりと並んでいる。太く強靭な後ろ脚と、バランスを取るための太い尻尾。そして、その巨体に全く見合っていない、可愛らしいほど短い二本の前足。
白亜紀の絶対王者、ティラノサウルスのレックスくんである。
「うわああああっ! 天井が! 壁が! 修繕費がァァァッ!!」
私はカウンターの下に身を隠しながら、頭を抱えて悲鳴を上げた。
レックスくんは、無理やり待合室に巨体をねじ込んだせいで、幼児用の黄色いプラスチック製パイプ椅子をバリィッと無残に踏み潰した。さらに尻尾が壁のポスターを薙ぎ払い、巨大な顎から滴る粘り気のある大量のよだれが、リノリウムの床に水たまりを作っていく。
「ギャオォォォ……ッ」
地獄の咆哮かと思い、私が死を覚悟して目をギュッと瞑った……その時。
「……キュゥゥゥン。キュルルルル……」
聞こえてきたのは、巨大生物に似つかわしくない、ひどく情けない鳴き声だった。
私が恐る恐るカウンターから顔を出すと、レックスくんはガクガクと巨大な後ろ脚を震わせながら、待合室の隅っこで、頭を低く下げてうずくまっていた。
その巨大な琥珀色の瞳には、明らかな「恐怖」の色が浮かんでいる。
「……なんだ? こいつ、震えてるのか?」
よく見れば、レックスくんはチカチカと点滅する蛍光灯の光を見るたびに、「ビクッ!」と巨体をすくませていた。
その様子を見て、私は合点がいった。
彼ら恐竜を絶滅に追いやったのは、宇宙から飛来した巨大な隕石だと言われている。空が突然ピカッと光り、すべてが焼き尽くされたあの日のトラウマ。それが、この蛍光灯の光とフラッシュバックしているのに違いない。
自分の死を受け入れられなかったり、死の瞬間のパニックから抜け出せなかったりする者が「迷子」になるのは、人間も恐竜も同じなのだ。
「かわいそうにな。突然あんなデカい石が落ちてきて、何がなんだか分からないまま死んじまったんだろ。……って、同情してる場合じゃない! こいつがパニックになって暴れたら、迷子センターごとペシャンコだぞ!」
私は決死の覚悟でカウンターから立ち上がった。
今日ばかりは、ただお茶を出して話を聞く「適当な受付係」では済まされない。実質、私が主役となってこのジュラシックな事態を収拾しなければならないのだ。
「よーし、落ち着けよー、デカブツ。ここは安全だ。隕石は落ちてこないぞー」
私は両手を前に出し、昔見た恐竜映画の主人公のように、ゆっくりとティラノサウルスに近づいていった。
しかし、レックスくんは私を見ると、「グルァッ!」と短く威嚇の声を上げ、ズシン!と一歩後ずさった。その拍子に、観葉植物の鉢植えが粉々に砕け散る。
「ストップ! ストップ! 分かった、近づかない! そうだ、犬のハチ公の時と同じだ。こういう時は餌付けに限る!」
私は慌てて受付カウンターに戻り、タブレット端末を猛烈な勢いでスワイプした。
ハチ公の時に使った「冥界通販」アプリを立ち上げ、「肉 業務用 超特大」と検索窓に打ち込む。
「ええと、マンモスの肉……いやダメだ、あいつら氷河期だから時代が合わない! じゃあ、トリケラトプスの肉! これだ!」
私は『カートに入れる』をタップし、震える指で『経費で精算』のボタンを押そうとした。しかし、画面に表示された金額を見て、私の目は点になった。
「なっ……ななひゃくまんえん!? 肉一本で七百万円!? 絶滅危惧種どころか絶滅種だからって、ぼったくりすぎだろ! こんなの経費で落ちるわけない!」
私が決済ボタンの前で絶望している間にも、ティラノサウルスは蛍光灯の光に耐えきれなくなったのか、いよいよ「ギャオォォォッ!!」と本格的なパニックを起こし始めた。
太い尻尾が振り回され、受付カウンターのパーテーションが吹き飛ぶ。私の頭上スレスレを、割れたアクリル板が飛んでいった。
「うわあああ! もう自腹でもなんでもいい! ポチッとな!」
私は涙目で決済ボタンを強打した。
数秒後、ポンッという間の抜けた音と共に、冥界の空間転送システムによって、カウンターの上に「巨大なトリケラトプスの骨付き肉」が出現した。車のタイヤ三つ分はあろうかという巨大な肉塊である。
「ほーら! 美味しそうなお肉だぞー! こっち向いて、お座り! いや、お座りしたら床が抜けるから立ったままでいい!」
私は七百万円の肉塊を必死に持ち上げようとしたが、重すぎてピクリとも動かない。仕方なく、床に落としてズルズルとレックスくんの足元まで引きずっていった。
新鮮な血の匂いに気づいたのか、ティラノサウルスのピクピクと動く鼻孔が大きく開いた。
「フンッ……フンフンッ……」
恐る恐る顔を近づけてきた巨大な顎が、トリケラトプスの肉をパクッと咥える。そして、骨ごとバキボキィッ!と凄まじい音を立てて丸呑みにした。
「よしよし、いい子だ。七百万円を一瞬で完食しやがって、私の夏のボーナスはこれで消滅したぞ、ちくしょう」
肉を食べて少し落ち着いたのか、レックスくんは「キュルル……」と喉を鳴らし、私の目の前で、巨大な鼻先を床に擦り付けた。どうやら「もう一つちょうだい」と言っているらしい。
「おかわりはない! お前、早く迎えに来てもらわないと、私が破産する……!」
私が泣きそうになりながら恐竜の鼻先を撫でようとした、その時だった。
ズドドドドドドドォォォォンッ!!!
今度は、センターの正面ガラス張りの壁面全体が、外側から爆発したかのように粉々に吹き飛んだ。
凄まじい衝撃波と粉塵で、私はカウンターの奥まで吹き飛ばされた。
「ゴホッ、ゲホッ! な、なんだ今度は! 隕石か!?」
もうもうと立ち込める煙の中から現れたのは——先ほどのレックスくんよりも、さらに二回りほど巨大な、歴戦の傷跡が刻まれた大人のティラノサウルスだった。
「ギャオォォォォォォォォォォォッ!!!」
待合室の空気を震わせる、鼓膜が破れそうなほどの凄まじい咆哮。
壁をぶち破って現れたのは、迷子になった子供を探しに来た、母親のティラノサウルスだったのだ。
「キュゥゥゥン! ギャオッ、ギャオッ!」
迷子のレックスくんは、大喜びで短い前足をバタバタと振り回し、母親の元へ駆け寄った。(その足音で、ついに床のリノリウムがベリベリと剥がれた)。
二匹の巨大な肉食恐竜は、瓦礫の山となった待合室のど真ん中で、お互いの巨大な鼻先をスリスリと優しく擦り合わせ、「グルルル……」と愛おしそうに喉を鳴らして再会を喜んでいる。
(……ああ、どんなに恐ろしい化け物でも、親子なんだな)
私は崩れたカウンターの裏から這い出し、その光景をぼんやりと見上げていた。
言葉は通じなくても、その姿からは、我が子を心配する母の深い愛と、母に会えた子供の絶対的な安心感がヒシヒシと伝わってくる。
少しだけホロリとしそうになったが、私はすぐに我に返り、タブレットの「引き渡し完了」ボタンをスワイプした。
ピロン、という場違いなほど軽快な電子音と共に、二匹の恐竜の足元に、途方もなく巨大な真っ白な光の道が現れる。
母親ティラノサウルスは、私の方をチラリと見下ろし、「グルル……」と短く低く喉を鳴らした。まるで、「うちのバカ息子に肉を食わせてくれて、世話になったな」と礼を言っているようだった。
そして、子供の首筋を優しく咥え、促すようにして光の中へと歩き出していく。
「あ、ありがとうございましたー。お忘れ物のないよう……って、忘れ物っていうか、残していった瓦礫が多すぎるんですけどー!」
私の空しい叫びを背に、白亜紀の親子は光の中へと溶けて消えていった。
「ふぅ……。動物の未練は純粋で綺麗だが、物理的な破壊力と修繕費がバカにならないぜ」
私は、半壊した迷子センターの慘状を見渡し、絶望的なため息をついた。
ひしゃげた自動ドア、ぶち抜かれた壁、剥がれた床。よだれと泥まみれの待合室。おまけに自腹で切った七百万円の肉代。
始末書だけでは絶対に済まされない。私は途方に暮れながら、とりあえず手近なガラスの破片をホウキで掃き集め始めた、その時だった。
ピンポンパンポーン。
休む間もなく、そしてこの惨状など一切お構いなしに、無機質なチャイムが響き渡る。
それに続いて流れてきたアナウンスに、私はホウキを力強く握りしめた。
『——お客様のお呼び出しを申し上げます。西暦一六〇三年、イングランドのリッチモンド宮殿からお越しの、エリザベス一世ちゃん。享年六十九歳。……繰り返します。エリザベス一世ちゃんをお預かりしております——』
「……六十九歳。今度はイングランドの黄金時代を築いた『処女王』かよ」
私は壁に大穴が空いて吹きさらしになった待合室で、英語の通訳機を右耳にセットしながら、最高級のダージリンティーの準備を始めた。
「女王陛下に、この吹きさらしの廃墟で茶を飲ませろってか? 即刻でロンドン塔にぶち込まれそうだぜ」
どうやら今日の冥界迷子センターも、私に定時退社を許すつもりは毛頭ないらしい。私は胃薬を多めに口に放り込み、次なる「大物」を迎えるための深呼吸をした。




