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一兵卒と諸々  作者: くる ひなた
第三話
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一兵卒と案件3




 朝になった。

 アミーリアは、普段寝ているものより随分と質素なベッドで目を覚ました。

 しかし、寝心地が悪かったわけではない。

 シーツは清潔で、母が恋しくなるような優しい匂いがした。

 ただし、少しだけ窮屈だった。

 背後に、何か温かい衝立てがある。

 そう思って、寝ぼけ眼で振り返ったアミーリアが見つけたのは、切れ長の金色の瞳。

 アミーリアと同じベッドで、彼女を背後から抱きかかえるようにして横になっていたのは、間近で見るのは十日ぶりの人物だった。


「……ジーヤ?」

「……ああ、おはようアミーリア」


 それは、アミーリアが幼いながらも、恋人だと思っていた相手だった。

 この国の第二王子であるジーニャリア。

 大きくなったら嫁に来い、と何度も言ってくれた、アミーリアの素敵な王子様。

 けれど彼は、アミーリアを放ったらかしにして、アミーリアよりもずっと賢くずっと綺麗な女性と過ごしていたのだ。

 ジーニャリアの愛情も優しさも、全部夢だったのかもしれない。

 早く彼を諦めて、忘れなければ。

 アミーリアはそう思うのだけれど、やっぱりまだ彼のことが大好きだった。

 そんなジーニャリアが、目の前にいる。

 自分はまだ夢の中にいるのかしら、とアミーリアは首を傾げる。

 彼女はベッドに横になったまま、ジーニャリアに向かって手を伸ばした。

 そして、人差し指と親指でぶにっと頬を引っ張ってみる。


「……本物の、ジーヤ?」

「本物だとも」


 男の頬は堅くてさほど伸びず、アミーリアの指はすぐに大きな手に捕まって解かれてしまった。

 そうかと思えば寝転がったまま、筋肉質な長い両腕にぐるりと囲まれて抱き締められる。

 アミーリアの身体はぎゅうぎゅうと締め付けられ、厚い胸板に強く押し付けられて苦しかった。

 しかし、耳元で聞こえたジーニャリアの声の方が、もっとずっと苦しそうだった。


「寂しい想いをさせて悪かった。もう二度と、お前を泣かせたりしないと約束する」

「でも……ジーヤはもう……」

「俺はもう、何だ?」

「ジーヤは……もう、私に会いたくなかったんでしょ?」


 それなのに、何故今ここにいるの?

 

 そう続けようとしたというのに、アミーリアの口から出たのは嗚咽だった。

 頭を掠めるのは、美しく聡明な補佐官の姿。

 アミーリアの大好きなジーヤの隣が似合う、大人の女性。

 うぇぇんと、声を上げて泣いてしまうようなアミーリアよりも、ずっとずっとジーニャリアに相応しいクラリス。

 とたんに、涙が止まらなくなってしまったアミーリアを、ジーニャリアはさらにきつく抱き竦め、「馬鹿者っ!」と叱りつけた。


「会いたくないはずがないだろう! この十日間、俺がどれだけ悶々として過ごしたと思っている!」

「だって、手紙の返事もくれなかった! お茶も一緒に飲んでくれなかったっ! だから、私はロビーに……」

「お前は――なにかにつけ、ロビー、ロビーとっ! いっそ、あいつの首を飛ばしてやろうかっ!」


 どこがで、ひいっ、と弱々しい悲鳴が上がる。

 アミーリアは、ジーニャリアの胸元から顔を上げて叫んだ。


「ロビーにひどいことしないでっ! ロビーは、一番のお友達なのっ!!」

「分かっている、何もせん。だが、あいつばかりではなく、俺にも話せ」

「だって……ジーヤは忙しいもの」

「忙しいが、お前の話を聞く暇くらいある。執務の合間に一緒に茶を飲む時間くらい確保する」


 ジーニャリアはそう言うと、アミーリアを囲い込んでいた腕を一度解き、己の腕を枕に寝かせ直した。

 そして、彼女の柔らかな白金色の髪を優しく撫でながら、この度の自分達のすれ違いがマーシュリアの陰謀であったことを告げた。


「マーシーが? どうして?」

「……俺が、ふがいないのが気に入らなかったんだと」

「ふがいないって?」

「……」


 憎々しげにマーシュリアの笑顔を思い返すジーニャリアに対し、アミーリアが黒幕王子に腹を立てている様子はなかった。

 マーシーことマーシュリアは、確かに時々碌でもなくひねくれているが、アミーリアにとってはいつだって優しい兄貴分なのだ。

 認めるのは悔しいが、ジーニャリアもそんな弟王子に背中を押されて今ここにいる。

 ジーニャリアはアミーリアの頬を掌で包み込むと、昨夜の決意を彼女にも告げた。


「お父上に、俺がずっとお前との婚約を願い出ているのは知っているな」

「うん」

「だが、色よい返事はまだいただけていない」


 父親である隣国の王はもとより、末の妹を溺愛する兄姉達には、まだ成人も迎えていないアミーリアを嫁に出す気などさらさらない。

 ジーニャリアもアミーリアの年齢を考慮して、今すぐに無理を押し通すつもりはなかった。

 しかし、それも昨日までのことだ。


「聞き分けのよい男のふりをするのは、もうやめだ」

「ジーヤ?」

「式をあげるのは、お前の成人を待ってもいい。ただし、婚約については早々に、お父上に頷いてもらう」


 きっぱりと告げたジーニャリアを見上げ、無邪気な様子で首を傾げるアミーリア。

 そのまだあどけない表情を前にして、“既成事実”なんて言葉が浮かんでしまうほど、その時ジーニャリアの心は滾っていた。

 彼女の身を包む愛らしい夜着を剥ぎ取り、無垢な身体を抉じ開けてしまおうか。

 ジーニャリアの手付きとなっては、もう別の場所に嫁に出すこともできないだろう、と彼女の父王を追いつめてやろうか。

 ジーニャリアは、獲物を前にした獣のように瞳孔を大きく開かせた。

 そして、まずは手始めに、まだ口付けたこともなかったアミーリアの唇を食もうとした。

 ところが――


「ちょっと、殿下ぁ。朝から人ンちで盛らないでいただけますぅ?」


 ジーニャリアのこめかみを、何かがゴツッと突いた。

 その衝撃により、彼ははっと我に返る。

 ぐりぐりとこめかみを捻ってくるのは、剣が収められた鞘の先。

 ジーニャリアはそれをさも鬱陶しげに叩き落とし、持ち主を睨み上げた。


「今、殿下の頭の中で繰り広げられていたことを実行に移した瞬間、あなたは隣国に宣戦布告したことになりますからね。やめてくださいよ。我々一般市民にとっては、ひじょーに迷惑ですから」

「……モーリス」

「あ、溜まってるんですか? 若者はたいへんですねぇ」


 そう言いながら、なおもジーニャリアのこめかみを道端に落ちている家畜の何やらのようにつんつんするのは、モーリスだった。

 その後ろには、気まずげな様子でロビーも佇んでいる。

 ロビーとモーリスは、アミーリアが目覚める前からの一部始終を、壁際に並んで見物していたのだった。

 ようやく二人の存在に気づいたアミーリアが、ジーニャリアの腕枕から頭を上げた。


「あ、おはよう。ロビー、モ……」

「パ・パ! パパでしょ、アミー」

「えっと、はいパパ。おはようございます」

「うん、おはよう、可愛いアミー!」


 のん気に朝の挨拶をするアミーリアに対し、モーリスは「うーん、いいねぇ~。娘は可愛いねぇ~」と鼻の下を伸ばす。

 モーリスは、昨夜いろいろとふっきれたらしいジーニャリアがアミーリアに無体をしないよう、ロビーと一緒に見張っていたのだ。

 そのロビーはというと、ベッドでくっ付くジーニャリアとアミーリアを前にし、目のやり場に困っている。

 そんな息子を眺めて、「うん、うちの息子も初心で可愛いねぇ」と微笑むと、モーリスはその笑顔のままジーニャリアに向き直った。


「では、ふがいないジーニャリア殿下。とっとと僕らのアミーと仲直り完了しちゃってくださいよ」

「……“僕ら”とは?」

「もちろん、“僕とロビーの”ってことっスよ」

「ふざけるなっ!」


 再び剣先で「うらうら」と小突いてくるモーリスに向かって、ジーニャリアが吠えた。

 彼はこめかみに青筋を浮かべたままアミーリアを抱き起こし、目をぱちくりさせる彼女に向き直る。

 そして、己を落ち着かせるように一つため息をつくと、「とにかく」と口を開いた。


「今後は、遠慮せずに会いに行くぞ。お前もいつでも俺の執務室を訪ねてこい」

「でも……私はよその国の人間だから……」


 隣国の人間である自分が、軍総司令官の執務室に立ち入るなどもってのほか。

 頑なにそう思い込んでいるアミーリアの戸惑いに、ジーニャリアは呆れたように答えた。


「あのな、そもそも軍事機密なんてもんは、執務室に入られたくらいであばかれるような適当な扱いはされていないんだぞ」

「……そうなの?」

「お前に机の引き出しを引っ掻き回されたって、見られて困るようなものはない。それどころか、万が一どこかのスパイが俺の執務室に潜り込んでも、無駄足を踏むだけだろう」


 よくよく考えてみれば、そのとおりなのだ。

 いかにのほほんとしているように見えようと、大国を長年平和な状態に維持するのは簡単なことではない。

 不穏の種というものは、いついかなる時に生じるやもしれず、国を左右するかもしれないような軍事機密が厳重に管理されるのは当然のことだった。

 しかしながら、確かにジーニャリア自身も、これまで積極的にアミーリアを執務室に呼ぼうとはしなかった。

 その理由は、軍事機密とは別にあった。





「ああぁあ! アミーリア様! 会いたかった……っ!!」


 アミーリアと顔を合わせたとたん、そう叫んだ人。

 それは、アミーリアがずっと羨望と嫉妬を抱いていた相手――ジーニャリアの補佐官、クラリス女史だった。


 ロビーの叔父が作った朝食を食べた後、アミーリアは結局そのまま城に戻ることになった。

 アミーリアを楽しませる計画が潰えて、ロビーは少しだけがっかりした。

 一方ジーニャリアは、クラリスとの仲を二度と誤解などさせぬためには本人に会わせるのが一番だろう、とアミーリアを執務室に連れてきた。

 しかし、彼はもうすでに、己の判断を後悔し始めていた。


「ああ、なんて愛らしい。いつも遠目に拝見することしかできず、わたくしの想いは募るばかりでしたが、やっとお会いできた……!」


 由緒正しき公爵家の一人娘クラリスは、可愛いものが大好きだった。

 そんな彼女の中で、アミーリアはこの世で一番可愛いものとカテゴリーされている。

 クラリスはうっとりと頬を染めながら、じりじりと姫との距離を詰めていく。

 しかしジーニャリアがその前に立ち塞がると、表情を一変させた。


「……よりにもよって、閣下との仲を疑うなんてあんまりです。こんな、可愛いの対極にあるような物体に、上官という以外に何の興味もございません」


 ジーニャリアとクラリスは、同い年の幼馴染。

 成人男性らしく立派に成長し、自分の好みからかけ離れてしまったジーニャリアに対し、クラリスの毒舌は容赦を知らない。

 彼女は、とても分かりやすい。

 “可愛くはない”無骨な兵士達を剣で滅多打ちにして、軍部を伸し上がってきたのだ。

 太刀筋に迷いがないと有名なクラリスは、剣の腕においてジーニャリアに次ぐ強さを誇る。


「アミーリア姫様」

 

 しかし、そうアミーリアを誘う声は、女性らしく柔らかだ。

 年の離れた姉王女達にも溺愛されて育ったアミーリアは、優しげな年上の女性にはついつい甘えてしまいがち。

 クラリスの女神のような微笑みの裏に、下心が山と盛られているのも知らず。

 アミーリアの可愛らしい口が「おねえさま……」と小さく紡ぐ。

 それに気づいたジーニャリアは、これはまずいと焦った。

 けれど、クラリスとの付き合いが長い彼は、ちゃんと策を用意していたのだ。


「ロビー!」

「あ、はっ、はい! 閣下!」


 ジーニャリアは、傍らに控えていた少年の名を呼んだ。

 そして、彼の襟首を掴むと、ぐいっと引き寄せてはクラリスの前へと突き出した。


「ロビーよ、特別任務だ。クラリスからアミーリアを守れ」

「むっ……無理ですっ!」

「大丈夫、お前ならできる。――おとなしく、身代わりになれ」

「……へ?」


 ジーニャリアの言葉を理解できず、ロビーはぽかんとする。

 その顎を、すっと前方から伸びてきた優美な手が掴んだ。

 ロビーがそれに気づいた時には、麗しき補佐官の美しい顔がもう、鼻先が触れ合うほどの距離まで迫っていたのだ。


「かわいい……」

「――!?」


 ロビーが童顔なのは父方の遺伝である。

 モーリスなど今年三十五になるが、ジーニャリアとさほど変わらない年齢にも見える。

 さらに、ロビーは男にしては小柄。

 悔しいことに、クラリスの方が小指一関節ほど背が高い。

 そんな、ロビーがコンプレックスを感じている部分が、可愛いもの好きのクラリスにとってはチャームポイントなのだ。

 実を言うと彼女は、毎日アミーリアレポートを提出しにくるロビーに、すでに目をつけていた。

 そして、それに気づいていたジーニャリアによって、彼は生け贄として捧げられることになったのだ。

 

「今後、アミーリアが俺の執務室に来る時は必ず同行するように。――分かったな、ロビー」

「あ、あの……」


 総司令官閣下の命令に、しがない見習い兵士は戸惑うばかり。

 初心な少年を抱き竦め、美貌の補佐官は「うふふ」と満足げな笑みを浮かべる。

 その温もりと柔らかな感触に硬直したロビーは、クラリスの肩越しに父モーリスと目があった。

 彼は思わず、視線で助けを求める。

 すると、平民兵士の希望の星モーリス中佐は、一人息子に向かって大きく頷いた。

 そして、ぐっと親指をおっ立てると……



「でかした、ロビー! 祝、逆玉の輿!!」



 ばちっ、と片目を瞑って、そう叫んだ。






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