05 小さな変化に
翌日。
教室の窓から差し込む朝の光を見ながら、俺は昨日の図書室での出来事を何度も思い出していた。
カバンの中には、水瀬から借りた文庫本が入っている。
昨日の夜、自分の部屋でページを開いたものの、彼女から直接渡された本だと思うとどうにも意識してしまって、結局最初の数ページしか進まなかった。
「おはよう、一ノ瀬くん」
始業前のガヤガヤした教室で、自分の席にカバンを置いたタイミングで声をかけられた。
跳ね上がる心臓。
ドクンと耳の奥で音がして、俺は思わず身構える。
いつものように視界が光で塗り潰される「あの感じ」に備えて、さりげなく机の端に手を置いた。
「……おう、水瀬。おはよう」
視線は外さずに、なるべく普通を装って返事をする。
激しい鼓動と一緒に視界の端からすーっと色が引いていく。
やっぱりダメか——
そう思ったけれど、いつもなら一気に真っ白になるはずのモヤが、薄い霧みたいなところでピタリと止まった。
(……あれ?)
完全に目が見えなくなるわけじゃない。
目の前に立っている水瀬の顔も、表情も、薄いカーテン越しみたいにぼんやりとだけどちゃんと見えている。
「本、少し読めた?」
「あ、うん。昨日の夜、頭の方だけちょっと。……面白いな、これ」
「本当? よかった。進んだらまた教えてよ」
それだけ短く話すと、水瀬は自分の席へと戻っていった。
去っていく後ろ姿を見送りながら、俺は少し呆然としていた。
胸は相変わらずバクバク言ってるし、余裕なんて全然ない。
なのに、今日は完全に視界が消えなかった。
(なんでだ……? いつもなら、とっくに真っ白になってんのに)
自分の体に起きた小さな、でも確実な変化に、頭の中が追いつかない。
昨日、図書室で彼女の素直な本音を聞いたからだろうか。
それとも、逃げずにちゃんと向き合おうとしたからか。理由はよく分からない。
ただ、ずっと俺を邪魔してきたあの真っ白な世界に、ほんの少しだけ隙間ができた気がした。




