第七話 「この帳簿を書いたのは、あなたか」
アーベントロート辺境伯領の城下町に着いたのは、十二日目の昼でした。
まず、寒さに驚きました。王都はまだ十一月の雨でしたのに、こちらはもう、屋根に雪が乗っています。息が白いどころか、頬が痛いのです。
そして、町を見て、二度目に驚きました。
わたくしは、辺境というものを、もっとさびれたところだと思っておりました。ところが通りには荷馬車が途切れずに入ってきて、市も立っていて、露天の前に人だかりができています。そこそこ、どころではありません。王都の東区より、はるかに動いています。
「奥様、あちらは鉄でございますね」
ハンナが、荷馬車の積荷を見て言いました。
「北の鉱山のものでしょう。……あの量を、毎日捌いているのですか」
わたくしは、通りの端で足を止めて、荷馬車の数を数えました。四半刻で、十一台。
この規模を、帳簿に落とすのは、相当な作業です。それを回している人間がいる。あるいは、回しきれていないから、半年前にあの手紙が来た。
そのどちらであるかは、中に入れば分かります。
城は、町の北側の高台にありました。装飾のほとんどない、四角い石の建物です。飾るための城ではなく、守るための城なのだとひと目で分かりました。
門番に用向きを告げると、案の定、断られました。
「取次はできない。領主様は今、鉱山のほうへ出られている」
「お戻りはいつでしょうか」
「知らん。それに、紹介状もない者を通すわけにはいかん」
当然の対応です。わたくしがこの城の門番でも、同じことを言います。
ですから、わたくしは封筒を出しました。
「紹介状は、ございません。ただ、こちらを」
門番は、封筒を受け取って、裏返して、封蝋を見ました。
アーベントロート家の紋章です。
門番の顔から、表情が抜けました。
そこから先は、早うございました。門をくぐって、廊下を歩いて、文官が三人ばかり出てきて、そのたびに封筒を見せて、そのたびに顔色が変わって、結局わたくしとハンナは城の一室に通されました。
そして、四刻ほど待たされました。
これも、当然です。領主様が鉱山からお戻りになるのを待つのですから。わたくしは出された茶を飲んで、窓から町を見て、荷馬車の数をもう一度数えていました。
夕方になって、扉が開きました。
入ってきたのは、大きな人でした。
背が高い、という以上に、体の厚みがあります。外套の肩に雪が残っていました。鉱山から、そのまま来られたのでしょう。髪は黒くて短く、顔にはひげの剃り跡があります。年のころは、三十前後。
目元が、ひどく静かな方でした。
「アーベントロート家当主、レオンハルトだ」
声も、低くて静かでした。怒鳴り慣れていない人の声です。
「待たせた。座ってくれ」
わたくしは礼をして、名乗りました。
「アデライン・クレスウェルと申します。……もっとも、この名を使うなと、三日前に言われてまいりましたので、正確ではないかもしれません」
レオンハルト様は、片方の眉を少しだけ上げました。それだけでした。事情を聞き返してはきません。
その代わりに、卓の上に封筒を置きました。わたくしが持ってきた、あの二通目です。
「これは、半年前に私が出したものだ」
「はい」
「宛先はヴァルトハイム公爵家。返事は来なかった」
「はい。……握り潰されました」
レオンハルト様は、そこで少しだけ黙りました。
「誰が」
「ヴァルトハイム公爵令息、ユリウス様です。商人の相手など、と」
そのまま卓の上に放られた紙を、わたくしが拾って、鞄に入れたのです。半年前の、あの日のことは、よく覚えております。
レオンハルト様は、席を立ちました。
そして、部屋の奥の書棚から、綴じた紙束を持ってこられました。どさりと卓に置かれたそれは、写しの束でした。ヴァルトハイム公爵家が、アーベントロート家に出した取引の書状。三年分です。
一枚目をめくって、こちらに向けられました。
わたくしが書いたものでした。
「この三年、貴家から来る書状は、二種類ある」
レオンハルト様は、指で紙をなぞりました。
「ひとつは、儀礼の文だ。装飾が多く、数字が少なく、要件が最後まで出てこない。……もうひとつが、これだ」
めくられた紙には、わたくしが書いた表がありました。品目、数量、単価、納期、それから前年との差。挨拶は二行しかありません。
「数字が先に来る。前年比が添えてある。こちらが訊く前に、訊きそうなことが書いてある。……この三年、私はこれを読むたびに、貴家に一人だけまともな人間がいると思っていた」
わたくしは、紙を見ておりました。
自分の字です。三年前の、まだ少し丸かったころの字でした。
「半年前、この書き手と直接話がしたいと書いて出した。返事は来なかった。……それで、今日だ」
レオンハルト様は、席に戻られました。そして、わたくしをまっすぐに見て、こうおっしゃいました。
「クレスウェル嬢。この帳簿を書いたのは、あなたか」
わたくしは、口を開こうとして、一度、失敗しました。
声が出なかったのです。
三年間、誰にも訊かれなかったことでした。
訊かれなかったから、答えたこともありません。百人の前で「何もしていない」と言われても、弁明しなかったのは、訊かれていないからです。訊かれていないことに答えるのは、言い訳といいます。
今、訊かれました。
ですから、わたくしは背筋を伸ばして、はっきりと申し上げました。
「はい。……わたくしが、書きました」




