第十五話 辺境の冬支度
アーベントロート辺境伯領は、一月の半ばから三月の頭まで、街道が閉じます。
雪です。北の峠が埋まると、王都どころか、南の隣領へも荷が出せません。およそ五十日、この領はまるごと孤立します。
ですから、冬支度というのは、この土地でいちばん大事な仕事でした。
わたくしが着任して最初に驚いたのは、その冬支度の計画書が、たった一枚だったことです。
「一枚ですか」
「一枚だ」
レオンハルト様は、平然と仰いました。
「去年より少し多めに積む。毎年そうしている」
「去年より、といいますと」
「去年は、一昨年より少し多めに積んだ」
……つまり、どこにも根拠がないのです。
わたくしは、その日から、数えはじめました。
城の人数。町の人数。鉱山の作業員。それぞれの、一日あたりの消費量。塩、油、麦、豆、燻した肉、薪、それから飼葉です。人だけでなく、馬と牛も冬を越します。
十二日かかりました。
出てきた表を持って、わたくしはレオンハルト様の執務室へ参りました。
「三点、ご報告がございます」
「聞く」
「ひとつめ。薪が、過剰です」
レオンハルト様の眉が、動きました。
「……過剰?」
「はい。今年の積みかたですと、二割ほど余ります。去年も、一昨年も、春に余っていたはずです。余った薪は湿って、翌年には使えなくなりますので、毎年、二割を捨てていたことになります」
「……捨てていた」
「金額に直しますと、年に金貨で三十枚ほどです」
レオンハルト様は、机に肘をついて、額を押さえられました。
「ふたつめ。塩と油が、足りません」
「薪が余って、塩が足りんのか」
「はい。薪は目で見て分かりますので、多めに積まれます。塩と油は樽ひとつに詰まっておりますので、量が目で見えません。……見えないものが、足りなくなります」
これは、どこの家でも同じでした。公爵家でも同じです。人は、目に見えるものを多く積んで、見えないもので毎年足りなくなります。
「みっつめが、本題でございます」
わたくしは、表の三枚目を出しました。
「鉱山の作業員の、ご家族の分が、計算に入っておりません」
部屋が、静かになりました。
「……何人だ」
「四十七人です。作業員のご家族で、鉱山の集落に住んでおられる方々です。作業員本人の分は、鉱山の帳面に入っております。ご家族の分は、どこにも入っておりません」
「どこにも」
「城の帳面にも、町の帳面にも、鉱山の帳面にもございません。……ですので毎年、二月に足りなくなっていたはずです」
レオンハルト様は、ゆっくりと顔を上げられました。
「なぜ、それが分かった」
わたくしは、去年の収支の綴じを開いて、二月の頁を指しました。
「こちらです」
そこには、こう書いてありました。
――雑費 金貨 十八枚。
「一昨年の二月にも、ございます。十五枚。その前の年にも、二十一枚。……三年とも、二月だけです」
「……」
「それから、この雑費だけ、出所が領の金庫ではありません。当主の私費から出ております。帳面の綴じが、この項目だけ別になっておりました」
レオンハルト様は、答えませんでした。
答えないことが、答えでした。
毎年二月に、集落から誰かが来て、足りないと言う。帳面のどこを見ても、その四十七人分は載っていない。載っていないものを領費から出すと、監査で引っかかる。
ですから、この方は、ご自分の財布から出していたのです。
三年です。たぶん、もっと前からでしょう。
「レオンハルト様」
「……なんだ」
「これは、当主様が優しいという話ではございません」
わたくしは、はっきりと申し上げました。
「帳面が間違っているという話です。四十七人が、この領の帳面の上に存在しておりません。存在しない人間には、備蓄も、賃金も、医者も割り当てられません。……今年は、入れます」
レオンハルト様は、長いこと、わたくしを見ておられました。
この方は、あまり表情が動きません。動かないので、最初のころは何を考えておいでか分かりませんでした。今は、少し分かります。
目元が、ほんの少しだけ、やわらぐのです。
「……補佐官」
「はい」
「うちに来て、六十日だな」
「六十三日でございます」
「六十三日で、うちが十年気づかなかったものを、三つ持ってきた」
「帳面を、頭から読んだだけです」
「十年、誰も読まなかった」
レオンハルト様は、席を立って、窓のほうへ行かれました。外は、また雪でした。
それから、背を向けたまま、こう仰いました。
「その表は、いつ作った」
「十二日かけました」
「昼間は、食堂と発注をやっていたな」
「はい」
「発注の見直しも、ヨナスから上がっている。あれもあなたがやったと聞いた」
「はい」
「鉱山の出荷表も、先週こちらへ回ってきた」
「……はい」
レオンハルト様は、振り返られました。
そして、ずいぶん静かな声で、こう尋ねられたのです。
「ところで、補佐官」
「はい」
「あなたは、いつ寝ている」




