第十六話 「あなたは働きすぎだ」
「あなたは、いつ寝ている」
そう尋ねられて、わたくしは正直に申し上げました。
「四時間ほど頂戴しております」
「四時間」
「はい。十二時に休んで四時に起きております。それで足りておりますので」
レオンハルト様は窓のほうを向いたまま黙っておられました。
わたくしは何か不手際があったのかと思いました。備蓄表の数字が間違っていたか、あるいは口のきき方が過ぎたか。三年間で身についた思考の順番です。何か言われたらまず自分の不備を探します。
「補佐官」
「はい」
「明日は休め」
……は。
「あの、明日は鉱山の出荷表の締めが」
「文官に回す」
「回すと申しましても、あれはわたくしが様式を変えたばかりで」
「様式を変えたなら、変えた通りにやれば誰でもできる。できないなら様式が悪い」
返す言葉がありませんでした。
「これは命令だ」
レオンハルト様はそれだけ仰って部屋を出ていかれました。
*
翌朝、わたくしは四時に目が覚めました。
起きて着替えて、扉に手をかけたところで思い出しました。今日は休みです。
わたくしは部屋に戻って椅子に座りました。
……それから、一刻ほど座っておりました。
何をすればよいのか分からなかったのです。
考えてみますと、わたくしは十六のときから実家の帳簿を手伝っておりました。そのまま公爵家に入って三年です。休みという日を最後に取ったのがいつか、思い出せませんでした。
七時にハンナが入ってきて、椅子に座っているわたくしを見て足を止めました。
「奥様。何をなさっているのですか」
「休んでおります」
「……そのお顔で」
「休み方というのは、どのようにやるものでしょうか」
ハンナは眉間を押さえました。それから外套を取ってきて、わたくしの肩にかけました。
「町へ行ってらっしゃいませ」
*
雪の朝の町は思ったより人が出ておりました。
通りの雪は踏み固められていて歩けます。市も立っておりました。冬でも動いている町だと着いた日に思いましたが、近くで見るとそうでもありません。店の半分は板が打ちつけてありました。
わたくしは目的もなく歩きました。
何も買いませんでした。買う必要のあるものがなかったからです。
通りの端に小さな屋台が出ていて、そこだけ湯気が上がっておりました。焼いた麦の菓子を売っております。並んでいた女が二人、こんな話をしておりました。
「これも今日で終わりだってさ」
「もうかい」
「蜂蜜がないんだと。春まで休みだよ」
わたくしは一枚買いました。
厚い麦の生地に蜂蜜を塗って焼いたもので、甘みは薄く、腹にたまります。銅貨三枚でした。
売っていたのは五十がらみの女でした。
「奥さん、城の人かい」
「はい」
「じゃあ最後に買えてよかったね。明日から店を閉めるんだ」
「冬のあいだは、どうなさっているのですか」
「何も」
女はあっさり言いました。
「街道が閉まったら仕事がないからね。うちの人は鉱山に行ってるけど、女はやることがないよ。春まで家で座ってる」
春まで、五十日。
わたくしはその数字を頭の隅に置きました。置いただけです。今日は休みですので。
*
夕方に城へ戻りました。
執務室の扉を開けて、わたくしは動けなくなりました。
机の上が、減っておりました。
朝に積んであった鉱山の出荷表が片付いております。処理済みの印が押されて、右の棚に順番に並んでおりました。
「補佐官様」
文官長のグスタフ殿が入ってきました。五十過ぎの痩せた方で、わたくしが様式を変えたときにいちばん渋い顔をされた人です。
「勝手に触りました。ご無礼を」
「いえ。……全部ですか」
「全部です。四人でやりました」
グスタフ殿は少し決まりの悪そうな顔をされました。
「新しい様式は、慣れると早うございますな。前の様式なら丸一日かかっておりました」
「ですが、わたくしがやるものですので」
「それが困ります」
はっきり言われました。
「補佐官様がいないと回らない、というのは仕組みとして困るのです。ここは冬に五十日閉じます。人が倒れることもございます。一人にしか分からない仕事を作ると、その一人が寝込んだ日に領が止まります」
わたくしは机を見ておりました。
公爵家では逆でした。
わたくしにしか分からない仕事が増えるほど、わたくしはあの家に必要とされている気がしておりました。必要とされていないと出ていけと言われるかもしれないと思っておりました。
ですから抱え込みました。三年かけて、誰にも渡さずに抱え込みました。
抱え込んだ結果が、あれです。
「グスタフ殿」
「はい」
「……ありがとうございます」
「いえ。明日も休んでくださって結構ですぞ」
「それは困ります」
「困りますか」
「困ります」
グスタフ殿は少し笑って出ていかれました。
*
その夜、廊下でレオンハルト様とすれ違いました。
「休めたか」
「休み方が分かりませんでした」
「そうか」
レオンハルト様は足を止めて、こちらを見ました。
「うちは、誰か一人が倒れたら終わる領地にはしない」
「はい」
「あなたも、その一人だ」
わたくしはその場で返事ができませんでした。
あなたがいないと困る、と言われたことなら三年のあいだに何度かあります。仕事が滞ると必ず言われました。
あなたが倒れると困る、と言われたのは初めてでした。
同じような言葉ですが、まるで別のものです。




