第十三話 リリア様は、笑顔だけは絶やしません
――リリア・メイフィールド視点――
わたしは、男爵家の三女です。
うちはお金がありません。父は借金があって、姉は二人とも、年の離れた方のところへ嫁ぎました。わたしが七つのとき、母がこう言いました。
「リリア。あなたはお顔がいいのだから、笑っていなさい」
「わらってると、どうなるの?」
「かわいがってもらえます。女が生きていくのに、それがいちばん確かな道よ」
それから十年、わたしはそのとおりにしてきました。
笑っていれば、怒られません。笑っていれば、誰かが助けてくれます。実際、そうでした。半年前、夜会でユリウス様に声をかけていただいたのも、わたしが笑っていたからです。
「君は、明るいな」
ユリウス様は、そう仰いました。
「あの家には、そういうものがない」
あの家。ヴァルトハイム公爵家です。
初めて伺ったとき、わたしは、その方を見ました。
アデライン・クレスウェル様。
廊下を歩いていらして、わたしとすれ違って、こちらを一度だけご覧になって、それから行ってしまわれました。何も仰いませんでした。
……怖い方だと思いました。
冷たい目で見られた、と思ったのです。わたしのような家の者は、公爵家にふさわしくないと思われているのだ、と。
今になって思いますと、あのとき、アデライン様は紙を三枚お持ちでした。歩きながら、そのうちの一枚をご覧になっていました。
たぶん、わたしのことは、見ていらっしゃらなかったのだと思います。
*
鍵束を預かって、ひと月半が経ちました。
二十七本あります。
わたしは、毎晩、机の上にそれを並べます。並べて、数えます。数えても、どれがどれかは分かりません。
最初のころは、使用人の方に聞きました。
「あの、この鍵はどこのですか?」
聞かれた方は、少しのあいだ黙って、それから目を伏せて、こう仰いました。
「……アデライン様は、ご存じでした」
その日から、わたしは聞けなくなりました。
奥様にも、伺ってみました。マルグレーテ様です。
「あら。あなたが預かると仰ったのでしょう?」
扇の向こうで、そう仰いました。
「わたくしに聞かれても困りますわ。わたくしは、そういうことはしませんもの」
ユリウス様にも、伺いました。
朝食が一時間かかった日の夜に、思い切って、こう申し上げたのです。
「ユリウス様。わたし、やっぱり何も分からなくて。教えていただける方が、どなたか……」
ユリウス様は、わたしの頭に手を置いて、こう仰いました。
「君は、そんなことを気にしなくていい」
「でも」
「笑っていてくれれば、それでいい。この家に足りなかったのは、それだ」
わたしは、笑いました。
ほかに、何ができるでしょうか。
*
五日前のことです。
文書庫を開けようとして、わたしは鍵を間違えました。
先が四角い鍵が、三本あります。三本とも、似ています。二本目を差し込んだとき、途中で止まって、引いても抜けなくなりました。
わたしは、力を入れました。
中で、かちん、と音がしました。
……壊れました。
使用人を呼んで、文書庫の錠が開かなくなったと伝えました。呼ばれた方は、錠を見て、鍵を見て、それから、とても短く、こう仰いました。
「錠前師を、王都の西から呼びます。往復で六日かかります」
六日。
わたしは、その場で謝りました。ごめんなさい、わたしのせいです、と。
その方は、何も仰いませんでした。
ただ、去り際に、ほんの少しだけ、聞こえるか聞こえないかの声で、こう仰ったのです。
「……アデライン様なら、噛ませませんでした」
わたしは、その夜、部屋で泣きました。
誰にも言えません。「わたし、がんばりますから!」と、皆さんの前で言ったのです。あんなに大きな声で、両手で鍵束を抱えて、笑って言ったのです。
今さら、分かりませんとは言えません。
言えば、わたしの唯一のものが、なくなってしまいます。
*
昨日、廊下で、使用人の方が二人、話しているのを聞きました。
「マルタが辞めるって」
「腕、まだ治らないんだろう」
「梯子から落ちたんだよ。あの子、高いところ駄目なのに」
「なんで割り振られたんだ」
「知るかよ。……前は、割り振られなかったんだ」
わたしは、曲がり角の手前で、立ち止まりました。
前は、割り振られなかった。
つまり、誰かが、割り振らないようにしていた、ということです。
その方が、それをどこかに書いていたのだとしたら。……そして、その紙が、もうこの家にないのだとしたら。
わたしが数えている二十七本の鍵は、たぶん、そういうものが、あと何百も並んでいる家の、入口の入口なのだと思います。
*
今朝も、わたしは六時に起きました。
ユリウス様のお部屋の前に行って、扉越しに、朝ごはんの時刻を伺いました。
それから厨房に行って、お伝えして、頭を下げて、戻ってきました。
鏡の前で、顔をつくりました。目尻を下げて、口の端を上げます。母に教わったとおりの形です。
わたしは、次の朝も、笑いました。
それしか、教わっていないのです。




