第十二話 消えた出入り業者
最初に来なくなったのは、仕立屋でした。
次が、花屋。その次が、蝋燭。
どれも、誰も気づきませんでした。仕立屋が来なくても、花が届かなくても、屋敷はとりあえず回るからです。回らなくなったのは、酒屋が止まったときでした。
ミュラー商会。王都の南で五代続く酒商で、ヴァルトハイム公爵家とは三十年の取引があります。
その番頭が、朝から応接室に座っておりました。
「取引を、停止させていただきます」
ユリウスは、耳を疑いました。
「……何を言っている」
「先々月分と、先月分の代金が、まだ頂戴できておりません。銀貨で、六百二十枚になります」
「そんなはずはない。支払いはしているはずだ」
「されておりません」
番頭は、帳面を開いて、こちらへ向けました。日付と金額が、几帳面に並んでおります。
ユリウスは、それを見て、それから顔を上げて、扉の外へ怒鳴りました。
「会計を呼べ!」
しばらくして、家令補佐の男が、おそるおそる入ってきました。
「……公爵家には、会計係がおりません」
「は?」
「三年前、グレアム様がお辞めになってから、置いておりません。会計の帳面は、アデライン様が……」
部屋が、静かになりました。
ユリウスは、しばらく何も言いませんでした。それから、低い声で尋ねました。
「支払いの名簿は、どこにある」
「存じません」
「屋敷の中にあるだろう。探せ」
探しました。三日かけて、屋敷中を探しました。
見つかったのは、応接室に積んだままになっていた、三十六冊の帳簿です。誰も開いていませんでした。開いても、どこに何が書いてあるかが分かりませんでした。
支払いの順序は、そこには書いてありませんでした。
書いてあったのは、六冊目の手帳のほうです。
――ミュラー商会。番頭はヴェルナー。締めは月末、支払いは翌月十日までなら文句が出ない。十五日を越えると翌月の卸値が上がる。ただし事情を先に伝えれば待つ。三十年の付き合いなので、頭を下げれば通る。下げなければ、通らない。
その手帳は、今、北の辺境にあります。
*
四日目に、ユリウスはミュラー商会へ人をやりました。
番頭のヴェルナーは、もう一度、応接室に来ました。今度は、帳面を持たずに来ました。
「支払いは、明日にでもする」
ユリウスは、そう言いました。
「だから、取引は続けてもらいたい。公爵家だぞ。三十年の付き合いだろう」
「……ユリウス様」
ヴェルナーは、六十過ぎの、小柄な男です。この男が公爵家に入るようになったのは、ユリウスが生まれる前のことでした。
「支払いは、頂戴いたします。それは当然でございます。ただ、取引のほうは、お断りさせていただきます」
「なぜだ」
「去年の冬のことを、覚えておいでですか」
「……冬」
「大雪で、街道が三日止まりました。うちは荷を出せませんでした。三十年で、初めてのことでございます」
ヴェルナーは、膝の上で手を組みました。
「わたくしは、詫びに参りました。違約の銀貨を積んで、首を差し出すつもりで参りました。……そうしましたら、アデライン様が、こう仰ったのです」
ユリウスは、黙っておりました。
「『こちらの備蓄で二十日はもちます。街道が開いてからで結構ですので、無理をなさらないでください。人と馬を傷めるほうが、よほど高くつきます』」
応接室は、静かでした。
「……あの日、うちは潰れずに済みました。違約金も取られませんでした。以来わたくしは、公爵家の荷を、いちばんに出してまいりました。雪の日も、値上げの年も、いちばんにでございます」
ヴェルナーは、そこで一度、頭を下げました。
「わたくしは、公爵家と取引していたのではございません。アデライン様と取引しておりました」
「……」
「あの方がいらっしゃらないのでしたら、うちが無理をする理由も、ございません」
それだけ言って、ヴェルナーは帰りました。
翌週、肉屋が止まりました。
その次の週に、炭と、麻と、蝋燭の別の口と、洗濯の請負が止まりました。
どこも、理由は同じでした。支払いが遅れたから、ではありません。支払いが遅れたときに、誰も詫びに来なかったからです。
三年間、この家の支払いは、必ず十日までに出ておりました。遅れる月は、前もって使いが来ました。使いは必ず手紙を持っていて、そこには「今月は領地の補修で出が多く、十五日になります。ご迷惑をおかけします」と書いてありました。
その手紙を誰が書いていたかを、業者は全員、知っておりました。
公爵家の者だけが、知りませんでした。




